三月の終わり。
今年は春の訪れが早かったこともあり、桜は一気に満開になり、今の時期はその命を散らしていた。
誰かが言っていた。
「桜は、散り際が一番美しい」
未練も後悔もなく、堂々と散る姿に一切の迷いはない。
ここが散り際ならば、潔く、散る。
美しい花を、命を、繋ぎ止めることはしない。
刹那的な美しさを持って、命を散らす。
「……わたしも、死ぬときは桜みたいに散りたいですね」
あたたかい春の日差しが入る、窓際を眺めて呟いた。
白い部屋、白い床、白い天井、揺れるレースのカーテンも、勿論真っ白だ。
消毒液や薬品の匂いにもうすっかり慣れてしまって、この部屋の香りがどんなものか分からない。
たまには綺麗な花束を、花瓶いっぱいに生けてくれたらいいのに。
『衛生上、生花は禁止されているんだ』
困ったようにわたしを宥めた母親の言葉を思い出し、盛大に溜め息をつく。
衛生、衛生……ではこの十五の乙女の心の衛生は一体どうなるというのやら。
固くて冷たいベッドに横たわったままのわたしは、こうしていつも白い箱庭に閉じ込められたまま。
四角く切り取られた窓の景色だけを楽しみに、毎日こうして目を開けている。
心臓は動いているし、呼吸も正常に出来ている。
苦い薬の量は増えてしまったし、点滴は毎日しているし、最近は……食事も味気ないけど、わたしはこうして生きている。
否……生かされている、というべきなのか。
正しい言葉は、いつも見つからない。
きっとそれは、深くて冷たい水の底に落ちていて。
わたしは潜って、手を伸ばしても、それを拾いにはいけない。……奈落はまだ、わたしを迎えに来てくれないから。
「……もっと近くで、桜を見たいですね」
重い身体を動かそうとしても、最近はもう起き上がることすら難しくなってしまった。
以前はこの脚で歩いて、あの桜の木まで行けたというのに。
わたしはどこも悪いところなんてない。
人より身体が弱くて、人より病気になりやすくて、人より……長生きが出来ない。たったそれだけのこと。
両親は理由があって別居はしているけど、ふたりとも健在で実は仲が良いことも知っている。戸籍上の夫婦なだけだと、母親は呆れたように言うけれど、そこには少なからず――自分の夫への愛情を感じられた。薙刀を振り回す武士みたいだけど、上品で可愛らしいおばあ様と、アンティーク好きで面白いものばかり集めているハイカラなおじい様もいて、兄弟はいないけど、それなりに幸せな日々を過ごしていた。
……きっかけは、二年前。
異能の適正チェックとでもいうのか、両親に連れられて研究施設に連れて行かれた頃に遡る。
血液検査や肺活量のチェック、レントゲン……健康診断と似たような検査をして、あとは自分の持つ異能を、実際に使用して見せる。
恐らく、異能の制御率や威力、どのような能力なのか――そういうのを調査するだけのもの。
イバラシティに住む住人は、ほとんどが異能を持っている。だからこれは、検査であり確認であり、データ収集のひとつだろう。
そう思っていた。
きっと両親も、そのつもりだったのだろう。
しかし結果は残念ながら、芳しくないものだった。
それについては、また今度ゆっくり日記に書いていこうと思う。
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わたしは今日も異能のひとつを使って、大好きなカスミ水族館へ行く。
カスミ公園で季節の花を見ながら、カスミ湖を眺めて、カッスィーを探してみたりもする。たまに給水塔も行くけど、そろそろあの螺旋階段が苦しくなってきた。
もう登れないかもしれない。でもあそこには、花畑がある。あの鈴蘭を眺めながら、風を感じるのもきっと気持ち良いだろう。
症状が進行して、異能を使う時間が限られてきてしまい、遠くの街へは行けなくなってしまった。
……こうやって少しずつ、わたしの居場所は減ってしまうのかな。
少しだけ、ほんの少しだけ、胸がちくりと痛んだけど、不思議と涙は出なかった。
不思議な部屋で、出会った月さん。
ふわふわ可愛くて、やわらかくて、理想の女の子そのもの。彼女は今、恋をしていると言っていた。それが、相手には迷惑になるかもと……淋しそうに、笑って。
その姿は、わたしにはかぐや姫のようにも、源氏物語の朧月夜の姫にも見えてしまった。
……どうか彼女の恋が、苦しいものにならないように。わたしにはこうして、願うことしか出来ないから。
せめて彼女の想いが、彼女の想い人に伝わるといい。
新しい友だちができた。
彼女の名前は江華さん。すらりと背が高くて、スタイルも良くて、大和撫子という言葉がぴったりの女の子だ。ずっと前から、実は何度か見掛けていて。
素敵なひとだなって、思ってた。
凛とした強さ。それを感じて憧れに近いものを抱いたのかもしれない。
月さんと江華さんがお友達同士ということもあって、不思議な縁を感じながらも――はじめて、お話することが出来た。
嬉しかった。抱き締めて貰えて、あたたかくて、やわらかくて。
月さんと江華さん、ふたりとお友達になれたのは本当に幸せなことだと感じた。
春の足音はずっと聞こえて。
寒くて冷たかった冬はもう「さよなら」を告げていた。また一年後、会えるのだろうか。
冬の空に見た綺麗な星も、吐く息の白さも。
振り返れば冷たいだけではなく、綺麗で儚い思い出を残してくれていた。
…………。
神様。
はじめての恋を教えてくれた、あの人に。
大好きな、清春さんに。
最後のさよならを、言うのが怖いんです。
お願い。どうか、どうか。
この砂時計の砂を、少しでもいいから……これ以上零れないで。砂が零れ落ちる度に、わたしは嘘を吐かなくてはいけなくなる。
もうこれ以上、あの人に嘘を吐きたくない。
「今日のイバラシティは、朝からたっぷりの日差しで、絶好のお洗濯日和です。衣替えの準備にも最適です。そろそろ、冬物を片付けても大丈夫でしょう」
ラジオの天気予報は、今日の天気は晴れだと告げる。
……花冷えではない。少しほっとして。
制服のリボンを綺麗に結んで、鏡の前で笑ってみる。大丈夫、そう呟く。
今日はまい子さんとのお花見だから、とても楽しみだ。いい天気で本当に良かった。
楽しみで早起きして作ったお弁当、まい子さんに合うといいのだけど。
「わたしは大丈夫です。……この脚はまだ、歩けますから」
誰も聞いていない、わたしだけの、わたしにしか聞こえない言葉。魔法の呪文のように呟いて、外へ繋がるドアを開けた。
『code03:百年の孤独』