いつも人間は、何も識らない方が幸福だろうに―――
王立騎士団グリムドール分遣隊駐屯地、機密書庫。
煌く白刃が頬を掠めて、後背の壁に突き刺さる。
薄氷色の瞳は、その剣戟を放った相手の鬼のような形相を、眉一つ動かさずにただ見ていた。
舞い散った数本の白髪は、床に落ちる途中、チキチキともがくように宙に溶けて消える。
「よくもぬけぬけと、顔を見せられたものですね」
憎悪、絶望、苦悩、悲哀―――
片方だけの碧眼からでも充分に伝わるほどに、亜麻色の髪の女騎士の表情には感情が満ち満ちていた。
その様子を後ろで見ていた淡い金髪の長耳少女―――ネアは、一瞬ピクリと反応するが、動かない。
「……貴方が蟲でも殺すように薙ぎ払った騎士達は、私の家族も同然でした。
彼らの未来も、私の居場所も、貴方は……全てを奪ったのです!」
震える刀身が首筋に宛がわれてもなお、白髪の少女―――ミオは狼狽えない。
「その剣で私の首を刎ねたいのなら、そうしたらいい。
それであなたの復讐心が少しでも晴れるなら、八つ裂きにしたらいい。
……私はその裁きを受けるために、あなたの前に来たのだから」
「……その行為が何の意味もなさないことを、私は知っています。
伯爵、黒薔薇卿―――レオン・ローゼンフェルドの作り出した忌々しい怪物のことも」
その言葉を聞いたミオは、どこか哀しい眼をして。
「……大事な人を奪われたのは、私も一緒。
お父さまの胸に矢を刺したのは、あの人達」
「それはっ、伯爵が悪い人だったから―――」
「それでも……、お父さまは、とっても優しかった。
私の家に武器を持って、土足で上がり込んできたあの人達こそ、私には悪い人に見えた」
「―――くっ!」
「……殺したくなった?」
剣を構え直した女騎士の心情を見透かすように、嘲るように、ミオは言葉を紡ぐ。
「……例え貴方を死なせる形になったとしても、私は生涯貴方を許すことはないでしょう。
ですが、ここで私が衝動のままに蛮行を振るうのも、あの時の貴方と変わりません。
……ですが」
女騎士は一歩下がり、剣を鞘に納めて。
そのまま踏み込んでからの、体重を乗せた手甲からの渾身の一撃を見舞った。
ミオの軽い身体は面白いように吹き飛ばされて、近くにあった機密本棚に突っ込み、
木片や鍵の束、有象無象の書類の束を盛大に巻き込みながら崩れ落ちる。
「ちょっと!?」
静観を決め込んでいたネアも、さすがにこれには驚いて、
同時に、機密書庫の出入り口を見張る守衛の騎士達が、何事かと集まってくる。
「その辺にしときなさいよ、ナタリア!」
そう言い残して、ネアは集まってきた騎士達を宥め誤魔化しながら、その場を後にする。
後に残されたのは、剣呑とした雰囲気の二人。
ナタリアと呼ばれた女騎士の鋼鉄の手甲から繰り出された一撃は、鉄拳制裁というには些か重く、
相手が通常の人間であれば致命傷になりかねないものだったが―――
瓦礫の隙間から、よろよろと白い手が伸びる。
「……とても痛い」
「貴方が痛みを感じるとは、想定外でしたが……。
あの騎士達の受けた痛み、恐怖心は、今の比ではなかったことでしょう。
―――そして、もちろん伯爵……貴方のお父様も。
不本意ではありますが、何もせず……という訳には参りませんでしたので。
この件は、これで手打ちということにしておきましょう」