「これで、あなたは全てを識った。
黒薔薇卿の暴君としての歴史、
父親と慕った男の悪行と最期、
そして、あなたの本当の名前―――」
辺境の地グリムドール郊外、黒き森の木々に隠されるようにして、その洋館は建っていた。
休戦以来、国内において最多となる死者を出した『黒薔薇事件』、その舞台。
辺境伯ローゼンフェルド家に仕える黒薔薇騎士団と、王立騎士団による武力衝突。
この事件については、その発生の起因も含めて不可解な点が余りにも多い。
一説には時期を同じくして南方領域で発生していた、少女連続拉致殺害事件が遠因と言われるものの、
戦闘に参加した両軍の騎士達の尽くが戦死した上、領主であるレオン・ローゼンフェルド卿も、
事件以降に行方不明となっており、当事者からの聞き取りも出来ずに真相は闇の中である。
後に騎士団の行った実況見分によれば、最初こそ両軍による戦闘が行われたのは事実らしいが、
どうやら途中で別の勢力が介入したらしく、中には両軍による共闘の痕跡も見られたという。
騎士達の最期、その余りにも凄惨に変わり果てた姿から、様々な憶測が飛び交ったものの、
残された奇怪な謎の多くは、未だ完全には解明されていないのである。
そんな曰くだらけの洋館の中、そこに居たのは二つの人影。
一人は、淡い金髪にウサギのような赤い瞳の長耳少女。
もう一人は、色素の抜け落ちたような白い髪と肌、薄氷色の瞳の少女。
昼でも薄暗く鬱蒼とした中庭。
かつて、その場所で開かれていた気違いのお茶会の参列者達、
肉は腐り、骨さえ朽ちて、その痕跡は、もう何処にも無い。
「―――つまり、もうお父さまは、この世界の何処にも居ないのね」
「ええ、それにあなたの家門、ローゼンフェルド家も没落して、
……というよりも、事実上は滅亡したものとして扱われているわ。
南方領域の統治は、ブランテーゼ家が引き継いでね」
「家門とか、統治とか、どうでもいい。
私はただ、お父さまと一緒に居たかっただけ」
「あなたは気にしなくても、周りはそうもいかないのよね……」
「………?」
「さっきも話したけど、ローゼンフェルドは暴君の系譜。
この辺りでは、その名前を快く思わない人も多い」
「それなら、私はどうしたらいい……?」
「今までは、なんて名乗ってたの?」
「……ミオ」
「じゃあ、これからもそう名乗ったらいいんじゃない?
本当の名前は必要なときにだけ使うようにして。
……もちろん、あなたが嫌じゃなければ、だけれど」
「今までずっと、私はその名前で呼ばれていた。
そっちの方が、呼ばれて落ち着く、嫌なわけない」
「それなら、これからは私もミオって呼ぶことにするね。
……そろそろ帰ろっか、ミオ。
あなたの前で言うのもなんだけど、正直ここは居心地が悪い」
「むせ返るような血と薬の匂い、魔法陣……。
私が覚えていた場所は、きっとここ」
「それは、素敵な思い出?」
「……わからない。
お父さまは優しかったけれど、とても寂しかった。
―――それに、素敵な思い出は、今なら他にもたくさんある。
大切な思い出は、お父さまのことだけじゃない」
「それはよかった。
帰ったら、また一緒にクッキーでも焼きましょう」
「……ネアの作ったクッキーは、全然おいしくない」
「やかましいわ」
軽口を叩いて、笑い合いながら帰路につく、その後姿に怪物の面影はない。
様々な因果と運命に縛られた呪いから、彼女は解き放たれたのだ。
これからは、きっと、人として―――