ハトとハードボイルド 第二回
結局のところ、彼自身に何が起きたのか。マッケンジーには理解できていない。視界の隅には呑気そうにハトが歩いている姿が見える。
彼はもともとマッドシティで探偵業を営んでいるだけの、自分では善良だと信じているいち市民である。いささか胡散臭い内容ではあったものの、依頼とおぼしきメールを受け取った彼はジョーバンアーバンライン快速に揺られてこのイバラシティを訪れていた。昼日中、人気の少ない電車を降りて自動改札口を抜けると、目の前にある大時計が十二時の針を指していて、構内にはやけにハトが歩いている。駅にハトがいるのは決して奇妙なことではないし、時計の針が実際の時刻とずれているのも、駅員が時刻を合わせるのをサボっているからだろうと気にも留めずにいた。もしもこのとき、彼が他の場所にある時計も気にしていたらそれらも十二時の針を示していたことが、あるいはマッケンジーがポケットに忍ばせている携帯端末機の画面を見れば、デジタル時計が「00:00」を表示していたことに気が付いたかもしれない。あり得ないことだが、彼が改札口を出たのは午前零時のイバラシティであった。
一つ一つ説明をしなければならない。無機質で丸い目をしたハトが、相変わらずそこらを歩きながらでーでーと首を前後に動かしている。彼らを出迎えたのは黒いスーツを着た、長身で細身の、いかがわしい笑みを浮かべた男だった。どうやら彼が依頼人、というか、マッケンジーにメールを送り付けて彼をこのイバラシティに呼びつけた張本人であるらしい。
「お待ちしておりましたァ!」
などという言葉が白々しく、アーケードの天井に響く。イバラシティは異世界からの侵略に晒されていて、すでに一部の地区は彼らの手に落ちている。人類はこの町を守り、あるいは取り戻さなければならない。侵略は「ハザマ世界」と呼ばれる零時のイバラシティで行われていて、これに対抗する人類は、このハザマで能力をふるうことができる者から無作為に選ばれる。何も考えていないかのような目で、ハトがこちらを見ている。
「信じられないのも無理はありません。習うより慣れろというもので」
そう言ってあとは放置されてしまったのだ。依頼も報酬も何もあったものではない。零時のイバラシティでは終電も終えているから、ハザマ時間が過ぎるまで彼らは半ば強制的にこの町に留まるしかなかった。今どきの若い者は新しい物や環境に慣れるのも早いから、訳の分からない事情を受け入れた彼らは、早々に町中に繰り出すと侵略者とやらからイバラシティを守るべく身を投じているらしい。マッケンジーはそこまで積極的にもなれなかったが、さりとてやる気がない訳でもなく、まずは足を止めて自分が少しでも知りえることを知ろうとすることにした。
胡散臭い男 - サカキとかいったか - が、習うより慣れろと言った意味はすぐに理解できた。まともな日常ではありえない、ずるずるとした不定形の体を引きずるかたまりが、マッケンジーに近づいてくると明らかに敵意を向けている。例の侵略者かと思ったがそうではなく、この世界を訪れる者に手あたり次第に襲い掛かる、この世界の生き物?であるらしい。それはつまり侵略者も自分たちも、この世界にとっては異物でしかない余所者なのではないか。そう思ったが口にするのはやめておいた。あまりにも分からないことが多すぎる中で、疑問はいま解決すべき疑問と後にまわるべき疑問に分けられる。こんな雑魚めいたクリーチャーが相手でも、自分がゲームの主人公には程遠い「ああああ」でしかなければあっさりと56されてカネと装備だけ巻き上げられないとも限らないのだ。
「アアアア・・・・」
彼らはナレハテである。ひらがなではなく、カタカナで名付けられたのは慰めではなく、彼らを登録した誰かが延々と繰り返される作業に飽きたからだろう。ろくな愛着もなく、この世界に登録されることを許されないままに削除されるとナレハテだけが残った。たぶんここでマッケンジーが倒されてしまえば、彼も似たような存在になってこの場所をうろつきながらうめき声をあげるだけの存在になるのだろう。自分がボーナスポイントが19だとか、29だとか、59といった超人的な存在ではないことを知っている。ハトはナレハテの存在など気にもせずに、足をしまうと床に堂々と座り込んでいる。
襲われたとか戦うとかいっても、彼にはその知識も経験もない。だがサカキが言っていたことが本当なら、このイバラシティに呼ばれた人間は何かの能力をふるうことができるはずだ。どうやればその能力とやらが使えるのかさっぱり理解できないが、まずは頭で念じてみたり、手のひらや指先を相手に向けてみたり、チョエーとか何かてきとーに叫んでみたり、ホヘーとか奇妙奇天烈なポーズをとってみたりする。実際に近づいて殴り合うのは最後の手段で、まずは離れた安全なところから、なるべく恥ずかしくない動作から先に試してみる。あいかわらず無機質なハトというハトの目が彼を小莫迦にしているように見える。
能力を使うには何か条件がある「ハズ」だ。そう考えなければそもそも何をしていいか分からないから、それを前提条件にしている。もしも彼がもともと何の能力も持たない村人、またはナレハテ候補だというなら、せいぜいあがいた後でなるようになるしかないだろう。そこらにハトの姿が見える。見も知らぬ世界、見当もつかぬ世界で、自分が無力かどうかも分からない。ことは尋常ではない焦りを彼にもたらしていたが、マッケンジーの表情は不敵なままで口元にはにやけた笑みまで浮いているように見える。緊張したり力むと笑ったような顔になるのは、癖ともいえぬ彼の癖だった。でーでーとハトが鳴いている声が頭蓋骨の裏側まで響く。
「畜生め。それにしても、なんでハトばかり目につきやがる!」
その瞬間、奇妙過ぎることに気づいた。ナレハテが明らかに力を弱めてぐったりとしている。そして改札口を出たころには数羽しか目につかなかったハトたちが、今は確実に二十羽はいてナレハテの周囲にも現れていたハトが飛び去っていく。ハトがいること。ハトが増えること。マッケンジーが能力とやらを持っていること。ナレハテが弱っていること。むりやりこれらを関連付けるなら、ハトが現れると相手が弱るということはないのだろうか。
実際に近づくのは最後の手段である。だから彼はその最後の手段を試みることにした。こんな莫迦な能力があるものだろうか?そう考えながらその気になった彼がナレハテに近づくと、ソレの口のように見える中からハトが現れて飛んでいく。それで耐えきれなくなったようにナレハテは潰れてただの水たまりのような残骸になってしまった。
どこからでもハトを生み出すことができる能力。射程距離があるらしく、彼が近づいたところにハトが現れる。おそらく、ハトを生むためには何かのエネルギーが必要で、それは周囲にあるモノやヒトから消費される。だからハトが増えれば増えるほど近くにいるモノは消耗していくし、たとえば人間から直接ハトが現れたらハト一羽を生み出す力をそのまま消耗することになる。
「テメーは、でーでーぼっぽぽーとか言っていればいい」
大時計に目をやると、五分ほど時間が過ぎていたらしい。ずいぶんくたびれたように思えて肩で息をつくが、ほとんどの連中は方々に散っていったらしく駅に残っているのは数人しかいない。その中で、一人、この街に来る途中にジョーバンアーバンラインの車内で見かけた娘の姿があるが、見ると彼女も手にしたごつい布袋でナレハテを殴り倒した直後らしかった。もちろん布がごついのではない。何か知らないがごついかたまりを包んでいる布、というわけでよくもあんなモノを振り回せるものだと思う。
会釈を返してきた顔は若くも幼くも見えるが、いまひとつ年齢がはっきりしない。まあ、こんなふざけた世界で他人の年齢など気にしても仕方がない。
「先程の戦闘、観察させていただきました!じゃんじゃん打倒していくとしましょうッ!!!!」
唐突に声がかけられる。サカキはまだここにいたらしく、こちらを値踏みするような視線を向けているが、彼の心中の声を文字にするなら「落第ではないが期待するほどでもありませんね」といったあたりだろうか。どうやら相当な人数が、マッケンジーたちと同じようにこのイバラシティに集められているらしい。本当はこのふざけた笑顔の男をハトまみれにしてやりたいところだが、身の程もわきまえずに襲いかかってもろくな結末は待っていないだろう。彼らはこのゲームの世界に放り込まれたようなもので、ゲームのルールを知っている主催者に歯向かえば、それこそリセットされてナレハテの一匹にされても後悔することすらできないのだから。
まずは言われた通りにするしかないのだろう。好奇心を刺激されていないわけでもなく、これも依頼と考えて荊の街へと足を踏み入れる。一人では心もとなく思い、まずは手を組めそうな奴を探すべきかと考えると、ふと先ほどの娘と目が合った。ここに連れ来られているからには彼女にもなにがしかの能力とやらがあるのだろうと思う。
「おいそこの。とりあえず組んでみないか」
「それ、なんぱとゆーやつですか?」
もう少し誘いようというものがあるし、もう少し返事のしようというものがあるだろうと、マッケンジーは心中で少しだけ後悔した。彼らの目的は目下のところ、自分があのナレノハテにならないことである。だが、そのようなムナクソノワルイことを考えたくもなかったから、それだったらもう少しオンナを誘うのに気の利いた言葉でも考えたがよさそうだ。
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まずは手探りでルールもよくわからないまま、という自分の状況を素直に日記にしてみました。書いているうちにナレハテの解釈?を勝手に考えてしまいましたので恒例の書いたもん勝ちで書いてます。もしもこの世界にPCを登録する際にボーナスポイントというものがあるならば、マッケンジーさんはたぶん一桁ポイントしかもらえておらずサムライにもなれませんが、経験を積めばボーナスポイントに頼らずとも強くなれるだろうと思います。