生い茂る草木をかき分けながら、人間の先導で森を進む。
ふと、こちらを振り返った人間が軽い調子で話しかけてきた。

「おゥ、そうだ嬢ちゃん。ちッとばかし聞きてェコトがあるんだケドよ。」
「…何。」

無遠慮な問いかけに、無愛想をもって返すと、
人間がいつも通りの口調で、さらりと投げかけたのは、あまりにも突拍子もない質問であった。

「エルフの里に行きてェんだが、ちッと道を教えてくれねェか。」

その瞬間の自分の表情はきっと滑稽だっただろう。
「はあ？」と口が開き、長い耳が通り過ぎた言葉を再確認するかのように跳ね上がるのを感じた。

先日の、ダークエルフと一般のエルフを同一視するかのような発言と言い、
この人間はどうにも、こちらにとっての禁句や爆弾発言を簡単に口にしすぎる。

無知ゆえではない。
この人間が、見かけどおりの軽薄な人間ではないということは−−認めたくないが−−分かってきている。
おそらく、150年を生きながらその大半の年数を森の中だけで過ごしてきた自分よりも、
よほど多くの物を見て、知って、経験してきているのだろう。
エルフの種族としての特性も、しきたりも、技術も、魔術も、食文化も、
知っていて、わざと人を小馬鹿にするような口調と表情で、こちらの神経を逆なでしてくるのだ。

「エルフの里へ行って…そこで何をしようというの？
まさか、今度はエルフの長命の力を自分のものにしようというんじゃないでしょうね…」

妖精の女王の加護から、いや、失われた加護の“負債”から逃れるために、不死の王を食らった人間。
よもや、不死の力だけでは飽き足らず、長命のエルフたちをも食らおうというのだろうか。
人魚の肉を食べた人間は不老不死を得るという、海辺の国々に伝わる荒唐無稽なおとぎ話のごとく。

「知っていたって教えないし、教えたところでお前一人ではたどり着けないわよ。
もしたどり着けたとしても、エルフたちはお前たち人間をそう易々と受け入れはしないわ。」

ましてやこいつは、過去に里を一つ壊滅させている。近づけてなるものか−−。
できうる限りの険しさを視線に乗せて、人間の顔を睨みつける。
自分の回答は、エルフたる者の模範解答として、予想の範囲内だったのだろう。
視線をさらりとかわし、表情を少しも変えることなく、「まァそうだろうナ」と小さく頷いた。

人間がこちらに背を向け、再び森を歩み始める。
その背中を覆う、エルフの技術を模した姿隠しの外套が目に入る。一体どこで盗み得たのか…

（だけど−−）
草を踏みつけ、枝葉をかき分けながら進む人間の後を追いながら、考える。

行動を共にするようになった当初こそ、自暴自棄からか強い攻撃性を見せることもあったが、
この人間が−−やはり認めたくはないが−−粗暴で残虐なだけの人間ではないことも分かってきている。
時折メアリーに笑ってみせる表情は優しいし、
肉を食べない自分のためにわざわざ肉抜きの食事を別に用意するような細やかな気遣いも見せる。
今も、後ろを歩く自分やメアリーが歩きやすいように、
邪魔な小枝や葉をさりげなくナイフで切り落としながら進んでいる。

何より、袂を分かったとはいえ、一時はあの妖精が愛していた人間なのだ。
純粋なる光と善と愛の象徴。彼女が愛情を注いだからには、“悪い”だけの人間ではないのだろう。
その人間が、今さら、ただ単純に力を求めてエルフの里を襲おうとしているとは思えなかった。

（ではなぜ−−）
考える鼻先を、人間の手から漏れた闇の魔力の臭いがくすぐり、顔をしかめる。

ナイフを振るうたびにかすかに漏れる闇色の澱み。戦闘のたびに血の色に染まる両の眼。
こちらの鼻も麻痺したのか、身体から漂う闇の臭いはだいぶマシになってきたように思うが、
不死の王は今も人間の身体の中でその存在を保っており、完全に吸収されてはいないのだろう。
今は、人間自身の意志の力で抑え込んでいると言っていたが、いつかバランスが崩れるかもしれない。

（もしかして…）
数千年を生きたエルフの長老ならば、不死の王を完全に支配する方法を知っているだろうか。
−−いや、どれほど長く生きたとしても、エルフが死霊術に関わることなどあり得ない。
だが、精霊界と妖精界は隣り合う存在。妖精の女王の加護を解除する方法は知っているかもしれない。
そして、一度取り入れてしまった闇の魔法を、体内から消滅あるいは除去する方法も…

（もしかして、この人間はそういった方法を求めているのかしら？）
それならば、協力しないでもない。生命を正しき状態に戻すというのならば、エルフとしても手を貸してもいい。
どうせこちらも、行く当てのない旅だ。

「あっ姐さん、ドラゴンマウンテンが見えましたよー！戻ってきたー」
メアリーが声を上げる。木々の間から差し込む光の量が増え、やがて視界が広がり、森を抜けた。
目の前に、竜の背を思わせるような、険しく隆起した岩山がそびえ立つ。
この世界での最後の日をこの思い出となる山で過ごそうと、戻ってきたのだ。

ナイフをブーツの鞘に戻し、ヤレヤレ、とごちながら、人間が肩を回す。
その隣りにメアリーと二人、並んで立つ。
傾きかけた陽の光も暗い森から出たばかりの目には眩しい。山から下る穏やかな風が顔をなでた。
後ろをついて歩いていた間は風に乗って漂い来る闇の臭いにずっと悩まされたが、
なるほど、風上に並んで立てば臭いはさほど気にならない。

「人間」
話しかけると、頭一つ高いところから、「んァ？」とだらしない返事が返ってきた。

「…正直に言えば、今の私には当てはないわ。私の故郷の森はもう失われてしまったし。」
眼前の山の稜線を見つめながら、固い表情は崩さずに言葉をつなぐ。
「ただ…旅をしていれば他のエルフに会うこともあるし、人の町で神秘の森の噂を聞くこともあるでしょう。
そのときに同族である私が共にいれば、お前を里に導くこともできるでしょうね。」

「おォ？案内してくれるッてのか、嬢ちゃん？」
意外そうな返答に、キッと相手を睨みつけ、素早く言う。
「勘違いしないで、お前を手伝ってやるという話じゃないわ。」

そう、これは取引きだ。非常にアンバランスな条件の。
里の情報が手に入ったら、道案内をする。ただし、里に害をなそうとしたら、その首を刎ねてでも阻止する。
そこに至る前に人間の意思の力が不死の王に負けるようなら、やはり戦わなければならないだろう。
でもそれまでは一緒に旅をして、もうしばらく食事を作ってもらいたい。

なんて一方的な取引きだろうと、心の中で笑う。人間が得する部分はほとんどない。
そもそも、まさかこちらから引き続きの同道を申し出るなどとは思っていないだろう。
一体どんな返事が返ってくるか−−十中八九、一人の方が気楽だと断られるに違いない。

それでも、断られたとしてもついて行こう。メアリーも一緒に連れて行こう。
こんな不安定な状態の人間を野に放すなんて、まして単独で同族の里に近づけることなんてできない。
それに、この三人でいるのは、総じてそれほど悪くなかった。人間が作る食事は美味しいし、焼き菓子は甘く心を溶かす。

だから、もう少し一緒にいたい。
−−そうだ、私は、もう少しこの人間と一緒に旅をしてみたい。

軽薄で粗野でだらしなく、どこか底知れぬところがあり、全く信用ならないが、
世話好きで意外と思慮深く、愛する妖精に見限られただけで生きる気力を見失うほどに脆い人間。
自分が抱いてきたステレオタイプの人間像とは異なる、具体的な個としての人間。
その人間の生きざまを、もう少し見てみたい。

並べ立てた理由の底に転がる小さな感情を素直に認めた時、長らく強張ったままだった頬が少し緩んだのを感じた。

そう言って相変わらずの笑い方で笑っている。

珍しく苦々しい表情になってから、溜め息をついて遠い目で微かに笑う。

それですぐにいつもの笑みに戻る。