力強い頷きと共に手を引かれ、城を後にする。
歩いて、歩いて、歩いて、歩いて。
でも、なんだかあっという間だったのは、彼の足取りとその手の力強さのおかげだろうか。
以前作ってもらったスリッパは今ではもうすっかり足になじんで、不安を振り払うような速度にも、一度も「待って」なんて言わずについていける。

そうして到着した故郷は。
以前とちっとも変わっていないといえば、そうだった。

川面ではシルフが滑るように飛び交い、水際に寄せる水は石を洗う。
少し奥に立ち並ぶ家々は記憶のとおりにころりと丸く、
シルフの起こす風を防ぐために植えられた木々の影に寄り添っている。
初夏の光をキラキラ反射する川面に照らされ、暖かそうに輝いている。

だが、以前とはまったく違ってしまったといえば、そうだった。

川面を行きかっていた船は、今はない。
それを操る、男たちの姿もない。
時折ぷかりと水面に顔を出しては手を振ったり、他愛のないおしゃべりをしたりしていた女たちの姿も。
家々の煙突からは煙は上がらず、転がるように駆け回る雛たちの姿もない。

「………本当に、行ってしまわれたのね〜」

ほつり、つぶやく声に悲しみは薄い。
出立をしばらく待ってくれ――なんてわがままは、結局聞き入れてはもらえなかったけれど。
でも、見捨てられたわけではないのは、かばんの大切な場所に仕舞ったたんぽぽが、少し黄ばんだ羽根が知っている。

そして、村人たちがいなくなっても。
彼らが築いたこの村は、今も、とてものどかで綺麗に見えた。
それはいくつもの世界を渡ってようやく安住の地を見つけた彼らの、平穏を作ろうとした彼らの精一杯の成果であったし、
それを守ろうとした己と傍らの彼の、精一杯の結果であった。

胸に小さな痛みを感じながら、でも、ふふ、と笑みをこぼす。
風に舞い上がる髪を押さえながら、彼を見上げた。

「心配してたより、ずっと綺麗ね〜
これなら、どなたかがやってきてここに住みたいって思った時も、
すぐに住んでいただけそう……」

そのときには、どうかきっと。羽根の有無や見た目の相違で住人を選ばない、そんな村になるように。
それはひとつだけ、この土地に託していきたい願いでもあった。

「…………………………」

戻りたいと彼に願ったときの不安とは裏腹の、晴れやかな気持ちを抱いて。
けれど、消えない少しの痛みを胸にのこして誰もいなくなった村を見つめる。
唇が、音を立てずに薄く開いて、閉じて。
それを合図としたように、エンブリオたちが飛び出してきた。

「ね、わたしたちはこれからここからお出かけするけど…あなたたちは、どうなさる〜？」

一緒についてきてくれれば、それはとても嬉しいけれど、エンブリオというこの世界固有の種である彼らが世界を渡ることが出来るのかどうかもわからない。
無理強いはできないと、それはずっと決めていた。
跳ねるもの、飛ぶもの、歩くもの、泳ぐもの。
それぞれに考えているのだろう彼らをちょっぴり寂しそうに見やり、あ、といきなり高い声を上げ。
かばんの中から長老の羽根を取り出すと、彼を見上げた。

「そうだわ、エンバーさん、あのね〜？
この羽根、エンバーさんに差し上げようと思うの〜
ほら、これからエンバーさんは、いろいろ、書くことが増えるでしょう？
それに使っていただけたら、わたしもおじいさまも、嬉しいかなって……」

差し出す。
何の加工もしていない、受け取ったままの羽根だ。
だって、ペンに加工するのは彼の方が上手だから。
それにこの羽根は、この一揆で己の振るった何本もの羽根ペンのように
戦いのために使うのではなく、その先の…"これから"のために使いたかった。
だってそれは、かつて、同族だけで何者にも侵されず暮らすことを夢見て道を切り拓いた長老の羽根であったから。

風が吹いた。
ひとりでこの村を出発したころより、少し伸びた髪を押さえて。
そして今度こそ、屈託のない笑みで彼を見上げた。

「エンバーさん、そろそろごはんのしたく、しましょうか〜
そのあとは……ね、次はどこに行こうかしら〜？」

メルンテーゼを包んでいた争いの気配―――
強い負の感情めいた重い空気が薄れた気がして、瞬く。

差し出された箱からは甘い香りがする

かわいいと言われた瞬間だけぢりっとした痛みが走るものの頬ずりされるままにしているとそれも治まっていく……。

そのまま続けられる言葉を消化しきれないのか、胸に顔をうずめたままむずがるようにかぶりを振る……。

チリチリとしびれが走る手がヤドランカの手を遠慮がちに握り返す……。

　彼女がエンブリオを呼び出す様子に、控えめに、躊躇いがちに言葉を掛ける。

　彼女と共に居るひとが、どんなひとなのか。その興味があったことは確かだし、言ったことは本当だ。
　けれども、気まずさが些か勝利してしまったようだ。

　そう問うて、必要であれば簡単なことは手伝って。
　しかし楽しそうに料理をする彼女の表情が、段々曇って行ったのは見逃さない。
　黙って、続く言葉を聞いていた。

　彼女は、住んでいた村のことがとても好きだったように思えた。
　楽しそうに、愛しそうに語っていたのをよく覚えている。
　村のみんなは仲が良くて、村全体で一つの家族のようだと言っていたくらいだ。
　その村人たちがみんな、メルンテーゼを出て行く。メルンテーゼにあった村が、無くなる。
　一番悲しいのは彼女だろう。
　そっと、その背中に触れ、宥めるようにゆるりと撫でる。

　もうその村は、「村」とは言えないかもしれない。
　けれども、心からそう告げた。