わかりやすくため息をついたのはグレイ。それを見てフィーナは不服そうな表情を隠そうともしない。
「君は僕を殺したくないだけだよ」
「そうじゃないとはいえないけど、グレイは何とかなるって最初から考えてないじゃない！」
「そりゃそうだよ、僕は誰よりこの身にかけられた魔法について知っている」
「だからその魔法がはたから見ればたいしたものじゃないんだって」
「たいしたものじゃないとか、結局は君の感覚じゃないか」
「私はメルンテーゼで過ごしているうちにいろいろわかったんだよ」
「僕も過ごしてはいたけど？」
「グレイは過ごしたっていえないじゃない！」
　言葉は行き交うものの前に進んでいる実感はなかった。状況を知らない人が見れば、二人の若者が口げんかをしているだけに見えたかもしれない。
　グレイに掛かった魔法について、フィーナはそれを解除する手段があるといい、グレイはそんなものはないから殺せと訴える。
　ただいくら言い争っても、フィーナに終らせる意思がない以上は、いつかグレイの体に限界がくる。そうなれば、開戦は避けられず、結局はフィーナに任せることになってしまう。
「悔しくないの？　自分の命がこんな形で終るなんて」
「……」
　痛いところを突かれて黙る。悔しくないわけがない。不自由な世界に生まれて、選んだはずの人生は捻じ曲げられたもので、その後といえば、操り人形のように使われているだけだ。自分の意思で死ぬことが出来れば、わずかでも復讐にはなるかもしれないと思っていた。
「……もしかしたら魔法を解除できないかもしれない。私が負けてしまうかもしれない。それでも……私は救えるかもしれない人を斬り捨てるなんて出来ない」
　瞳は真直ぐ彼を見ていた、あの人と似ていた
　気圧されたようにわかったといって、自分でも驚き、ため息を一つ。
　身体に力を込めていたのをほどいていく、気持ち悪い感覚が流れ、体の自由が奪われていく。
　一部が支配されれば、そこから全身に広がるまでは早い。目の前の標的を「見た」のがわかる。
　大岩にくくりつけた手を引き剥がす。フィーナは十分な距離をとって、大きく息をつく。
　肩を二、三度。上下させてダンデライオンを右手で握り、ポケットから取り出した紅い宝石を叩く。
　封入されていたのは炎。身に着けていた衣服が戦闘用のものにかわっていく。
　両手にはそれぞれ色違いの手袋。靴は硬い物へと変わり、長い靴下が太股までを包み込む。ズボンは短めスカートへ変わり、上半身は紅い文様の入ったノースリーブに炎の意匠を凝らしたマントを羽織る。
「フィーナ……」
「心配ないっていっても流石に無理だよね、大丈夫！　信じて」
自然に瞑っていた瞳は片方が紅く変色し、強い意思を持ってグレイを睨みつけたまま、後ろから心配そうに賭けられた声に、振り返りはしないものの、声音は明るく返した。
　グレイはいつの間にか立ち上がり、両手を肩ぐらいの高さに構えている。
　上下を黒でそろえた服装は、周囲が闇に閉ざされれば融けて消えてしまいそうに見えた。表情から読み取れるものは何もなかったが、わずかな呼吸音が、生きているということを感じさせた。
　先に動いたのはグレイだった、後ろ足を蹴りだすと足元の土が舞って、一息に距離をつめてくる。
　フィーナはそれを咎めて大剣を突き出す。潜るように回避されると、後方へ跳びつつ下段を薙ぐ。攻撃する前から当たるとは考えていなかったので、身体をそらすことで空を斬らされても表情は変えない。
　続けて繰り出される攻撃をほとんど苦もなくかわし、大きく剣を振るって距離をとる。
　大剣を肩の位置まで引き上げ、両手で構えて出方を伺う。
　二刀を使わないのは決して手加減のためではなかった。
サーリャによる衣装は単純な膂力による剣戟を得意としていた。また咄嗟の判断で片手持ちに変えても、バランスを崩すことはない安定性をもたらしてくれる。切り替えが自由であるならば奇襲のようなことも出来る。
　その優位と同じように考えていたのは、グレイがクリスと戦ったことがあるのではないかということで、フィーナの二刀流がクリスのコピーに近いことを考えると、見たことのある技を単純に繰り出すことに抵抗があった。
　いつかは使わないといけないだろうけどね……
さらにもう一つ。もし経験を次の戦いへと生かしているのならば。彼の意思を強固に封印しない理由がそこからわかりそうだった。


　睨みあいは続いている。わずかに構えを変えると、それに対応してくる。飛び込まれないように距離を保ちながら思考を走らせていく。
　奴らのやり方からすれば、グレイがある程度自由に動けたのはいいことじゃないはず。
　抹殺と保護のラインをそこまで重要視するだろうか。もちろん奴らの価値観を理解しているとはいえなかったので、断言することはできないが、今回はグレイが時間を稼いだ上に、手紙をのこしてフィーナに警告をしていた。
　抜け道のような手段を探したとは言っても、あまりにもお粗末ではなかろうか、クリスの脅威をフィーナに見ているとしたら、もっと手堅い対応を行うべきではないか。
　考えられるのは……グレイが書いた恐れというのが大げさってこと。もしくはそこまで厳しくしてしまうことで、失ってしまうものがあるということかな。
　前者の場合は油断していたってことで終る話なので、後者の場合を考える。失ってしまうものとは何か？
　わずかにすれる音、すり足で詰められた分の距離を同じようにして取り直す。飛び込む気配を感じたものの、牽制を行って押しとどめる。
　……わかった。
　経験は身体に宿るかもしれない。技は身体から引き出せるかもしれない。ただ戦いというものは、その時どきの判断の連続なのだ。
　いくらすばやいとしてもシンプルな反応を行うだけだとすれば、さほど苦労せず撃破出来るだろう。いくら力強いとしても、その動きが単純なら命中することなどないだろう。
　五感を研ぎ澄ませて状況を読む。身体の出番はそれからだ。
　だからこそ奴らは彼の感覚を残したかった。
　
　
　一気の跳び込みでこちらから見て左側へと入り込む、その過程で大剣を右へ動かし、跳び込みに刃がついてくる。
これは右半身を引くことで回避されることもわかっている。
切っ先を見つめるような瞳を睨み返し、大剣を左手一本で振りきると、自由になった右手で抜刀して一文字に薙ぐ。
　合わせた動きは素早かった。左掌で軌道をずらして上半身のひねりを利用した打ち降ろす形の右拳。大剣マグノリアがそれを受け止め、弾き返す。
　フィーナは距離をとるために離脱、グレイがすぐさま追いかけるが、両手持ちの大剣を突き出され、距離をつめるまでにはいかない。
　一瞬の拮抗があるが、予備動作のない回し蹴りがマグノリアの刀身を捕え、横へと弾く。
　驚愕を顔に貼り付け、踏ん張って前方を薙ぐ一撃を放つが悪手だった。タイミングを計ったように身体を沈みこませると、くぐるように回避して踏み込む、距離が一気に詰まる。
　反射的に逆手で剣を抜こうとするがわずかにグレイのほうが早い。腕が伸び、しかし何も起きなかった。
　抜き打ちは回避されるが、全速力で距離をとる。
　運が良かっただけ……！
　視線を追うと衣装の一部分が消失し、炎によって修復されている途中だった。おそらくグレイが選択したのは服を掴んでの投げで、魔力によって編まれた服であったためにそれは失敗に終ったが、もし打撃を選択されていたらと、背中に嫌な汗を感じる。
　長く細い息。いくつかの選択肢を思い浮かべるが現状維持を選択。服の修復が終ったことを確認して、構えを高く取る。
　格闘技術が高い相手との間合いの取り合いは分が悪かった。
　そういえばクロエさんにも一方的にやられちゃったからね。
　苦い練習試合を思い出して、出来る限りの工夫をする。リーチの有利は動かないのだから、決して焦らないこと。
　勢いよく踏み込んで大剣を振るう、切っ先にひっかけるぐらいの意識をし、反撃のために踏み込んでくれば、逆に捌くつもりだった。
だが複数回に及ぶ剣戟は届かず、もう一歩踏み出すべきか悩まされてしまう。
　あと一歩だけ……反撃を誘発すれば……！
　距離が詰まる。繰り出す剣は軽いものではない、十分な意思と力を載せた剣戟だ。それなのに届かない。
　上手く避けられていることは事実だったが、腹立たしいのはほとんど動きという動きがないままにそれをされていることだった。氷点下の瞳が過ぎ去っていく剣先をただ見ている。
　焦りが手を滑らせた。左から右へと薙ぎ、返し刃で隙を消す一連の動きがわずかに乱れる。
　見計らったように踏み込まれ、肘が刀身を捉えて軌道をそらす。顔面に向かってくる縦拳が見え、これは何とか回避。大剣を振ることは間に合わず、胸部を狙った足刀を地面と平行に跳んで避けるも、着地は失敗し、ぐえっ。と声を上げ背中を打つ。流石に打ち出すタイプの蹴りの後は追撃が遅れるのか、立ち上げるだけの余裕はあった。
　圧倒的に速度が足りない、十分な威力をそなえた剣戟があるとはいえ、当たらなければ何の意味もない、もちろん速さを補う技術があればよいが、持ち合わせていないため、宝の持ち腐れといっても言い過ぎではなかった。
　サーリャ。ごめんね！
　心の中で謝ると大きく後退し、マグノリアを鞘に収めてしまう。首からかけたダンデライオンを手にとると叫ぶ。
「考えていたより早いけど……六花で行くよ！」
　それは全員に対する合図だった。皆が一度に動き出すと、サイプレス、ラナンキュラス、ウィスティリア、カモミール、セフィロトをフィーナの上空へ投げる。
　フィーナのほうでは、クリサンセマムを放り投げると、地面から立ち上る光が別の形へと換装をはじめている、左右違った色の手袋は白に統一され、手の甲には六本の剣を放射状に並べた紋章が浮かぶ、靴は太股までを護る強固なものに、純白の中に輝きを織り込んだ上着は手首の辺りまでを包んでいる。紅かった右目は黄色い輝きを宿していた。
　先ほどとの大きな違いといえば、ぼんやりとした光を放ち続けるマントと、投擲された剣たちが落ちてくるのと同時に中空で光の鞘が生成され、彼女の周囲を漂っていることだ。
　わずかに目を細めるグレイだったが、特に興味なさげに構えを取った瞬間に、フィーナの姿が掻き消えた。
　地面に残った跡と、残った光子から高速で移動したことがわかるが、次の瞬間にはすぐ傍に気配が出現している。
　反射的に身体をそらすと、剣が空を斬った、だがそこから宙に浮かんだ剣を抜き打って、腕を切りつけようとする。
　それをかわして蹴りを放つと、また一瞬にして距離をとる。
　マントが最初に比べ短くなっている。一部を光の魔力に変化させると、それを速度に変換し、爆発的な加速力を得る機構だった。だがストックを使い切ると今度はしばらく溜めの時間が必要になる。
　光の鞘は剣をフィーナの望む場所へ動かすことができた。手をかざしそこへと呼び込めば、わかりづらい位置からの剣戟を放つことも可能だ。
　……初見で何とかしたかったんだけど。
　表情が浮かばないのは、その優位を生かせなかったからだ。相手になれられる前に何とか優位を作っておきたかった。
　マントの使いすぎは怖いけど、もう一回！
　そう決意するのに時間はかからず、剣を全て収めた形のまま、タイミングを計る。
　ぐっと足に力が入り、マントが布から光子へと変化する。加速する感覚が全身を包み、一瞬にして間合いを侵略する。
　あらかじめ決めた連撃は、速さを何よりも重視したものだった。右手の横なぎを振り切る位置で鞘に収納、返し刃を見せながら、左手で突きを放つ。
　前に進みながらの剣戟を上手くかわされる、思わず舌打ちをして、踏み込んだ勢いが消える前に、何とか一撃を入れようと、さらに踏み込む。
　身体の左に設置した剣は二つ。右手での抜き打ちにグレイは身体を引いて回避行動をとるが、振り切った右手に剣はなかった、正面を薙ぐ直前に再度収納を行い、右手はただ振るだけ。さらに一歩踏み込んで、左の逆手で抜き打ちを放つと、逃げ遅れた右腕を捕える。
　嫌な感触を感じる。距離をとると、だらりと垂れた右腕から血を流しながら、グレイがこちらを睨んでいた。

久しぶりに現れた青年は、申し訳なさそうにそう言って。

共感してくれる相手を見つけて興奮しているのか、
止めなければいつまでも語っていそうな雰囲気だ。

がしぃッ！と伸ばされた手をとる。

もういっそ全てを受け入れ……ようとしたようだが、じっと見る目を見つめ返すうちに噴火寸前のマグマ並みに顔面を紅潮させ、プルプル小刻みに震えだした。やはり無理があったのかもしれない、遂にはちょびっと涙目になってきた。

何かマズイものを取り込んだことがあるのか、ちょっと顔色が青ざめた。

むにょんと変型したかと思うと、ミニサイズの少女型に戻る。目を閉じたままで、まだ意識は切り替わっていないようだ。

剣を抜く、二度三度と素振りをして、目を瞑ると彼女の周囲に光が集まり、衣装を変化させていく

数度、電気が流れたような音がして、ふよふよと鞘に収まったままの剣が彼女の周囲を囲むように浮いた