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　社長のメルンテーゼの軌跡は、今までの世界とは少し違った。他の世界よりも成長速度が早かったのだ。それはただの偶然かもしれないし、異世界でのセオリーのようなものを、記憶を失っても体が覚えていたからかもしれない。いずれにせよ、他の世界の社長よりも倍は早いスピードだった。


　安心を得るだけの力を早期に得たことで、未来よりも過去について考える時間が増えた。そしてそれは、今まで見逃してきた違和感に気付く時間ともなった。


　最初に感じたのは、"どこか記憶の連続性が失われている"という記憶の違和感である。これはメルンテーゼに降り立った時から感じてはいたが、「異世界に降り立ったショックのようなものだろう」と流していた。次に感じたのは"鏡に映った自分が老いている"という体の違和感である。そして、"最初に契約したエンブリオが、他のエンブリオと比べて特殊な力を持ちすぎている"という状況の違和感にも気づく。


　これら一つ一つの違和感ならば、それは取るに足らないことであった。思い過ごし、記憶違い、たまたま……そのような言葉で片付けられる。だが、3つも重ねれば偶然とは言い難い。「自分はメルンテーゼと同じような異世界にいたことがあって、その記憶を失っているだけなのでは？」という答えに社長をたどり着かせる。


　その説を後押しするかのように、「別の世界で社長とあったことがある！」と、道であった男が声を掛けてきた。

　その男の名はニスイ(Eno2581)、社長は彼についてまったく思い当たることがなかった。だから「他人の空似じゃないか？」と社長は言うが、ニスイは「いいや、間違いねえ！　その風貌と性格と行動は俺の知ってる社長だ！」と言う。


　どうやら社長とニスイは、別世界で親友だったらしい。だが、ある日急に社長がいなくなったそうだ。結局、何を言っても社長は「記憶に無い」としか言わないため、「社長の記憶喪失か、いつか思い出すといいな」ということで場が収まった。


　しかし、自分を親友だというニスイに対して、社長の胸中にはまったく別の言葉があった。

　その日以来、社長とニスイは行動を共にするようになる。そして二人の間に、元の世界と変わらぬほどの時間が流れた後、社長はニスイを切り捨てた。


　ニスイが相棒と言えるほど育て上げたエンブリオを、社長は理由つけて一時期的にレンタルし、そのままネクターを求める金持ちに売ったのだ。その報酬として、価値の高い宝石を手にする。


　別に社長はニスイを騙す必要はなかった。社長のエンブリオを操る能力はどうせ消えるのだから、金が欲しければ自分のエンブリオを売れば良かったのだ。しかし、エンブリオの力は、社長が唯一頼れる力である。それを手放して、交渉の場に立つ気にはなれなかった。


　だから社長は、親友を売った。自分の安全のために。その日以来、ニスイとは一切連絡を取っていない。


◇



　少し話を戻そう。


　社長が異世界に降り立った時、『世界の説明をしてくれるガイド役がはじめに話しかけてくる』と言ったが、当然ながらメルンテーゼにもガイド役は存在する。それが社長と一番先に契約したエンブリオ『フェアリーくん』である。


　フェアリーくんというのは本名ではなく、社長が勝手につけた名前というか、そう呼んでいる名前だ。

　と、以前に名を尋ねたことはあったが、返ってきた答えはバッサリしたものだった。


　ガイド役は嘘を付かない。嘘というのは、立場が下のものがつく行為だからである。社長が「自分が元の世界に戻ることはないのか？」と聞けば、「はい、いつか全てを失って戻ってもらいます」と真実を教えてくれただろう。しかし、社長はどの世界でもそれをしなかった。


　もし戻ると言われれば、それは再び自分が、何の力も持たないオッサンに戻るということである。社長は恐れたのだ。その真実に目を向けられなかった。


　それはこのメルンテーゼでも同様だった。自分の違和感に気づき、ニスイの言葉という確固たる後押しを得ても、社長はフェアリーに尋ねることはできなかった。


◇


　しかし、その事態が急変することになる。社長がメルンテーゼで住処にしていた『タンポポ荘』で起きた一つの事件、「管理人ポポロが力を使いすぎて倒れたため、タンポポ荘の維持が不可能になってしまうかもしれない」がキッカケとなって。


　ポポロは神であり、法外な力を持っている。社長は彼女の力に憧れを抱いていた。自分もああなりたいと思っていた。しかしそれは敵わないことも理解していた。人は何かに憧れ、それが手に入らないと分かると、そこに幻想を抱く。社長はポポロに対して崇拝に近い感情を持っていた。「タンポポ荘にいれば、未来永劫、心地良い時間が流れるのだろうな」という根拠の無い崇拝を。


　その身勝手な崇拝は、この事件をキッカケにしてあっさり壊れ、社長に現実を魅せつける。

　その事件を見て、社長が得た結論。――この瞬間、社長は「何を犠牲しててでも絶対に成り上がる」という絶対の意志を固める。


　そして社長はタンポポ荘を去った。


◇


　意志を固めた社長は、『何人にもぜったいに踏み潰されない力』を持つことを考えるようになる。それには、まず『この一揆が終わった時、自分がどうなるのか？』という点を確認しなければ為らなかった。何かを無したとしても、それを取り上げられたら成功する意味が無い。至極当然の結論である。


　9年もの間数々の世界を冒険して、何度も同じループを繰り返した。このメルンテーゼに降り立ち、そして社長はようやく、真実を尋ねる勇気を持つ。それは勇気というよりも、殺意と表現するに相応しいものだった。「どうせ自分は、メルンテーゼに来なければあの公園で死んでいた」という想いを基礎として、「ならばもはや怖いものなど何もない。自分を元の世界に戻す者が入るならば、そうなる前に殺してしまえばいいのだ」という結論に着地したのだから。


　社長はフェアリーくんに２・３質問をする、そして、自分の予想通りだったことを知って、即座に奇襲を仕掛ける。不意打ちとしては完璧だった。しかし、その攻撃は「ガイド役を攻撃するのはルール違反」として、フェアリーくんの体に一時的に宿った神の力によって、容易に塞がれる。


　順番は逆になるが、そうして現れた神は、自身の名を「理不尽」だと社長に名乗った。もちろんそんなふざけた名前が本名であるはずなどもなく、「社長が最も嫌うものが理不尽だから」と知っているが故に、そう名乗った。


　その意図に気付いた社長は頭に血が登る。しかし、今までの異世界でもそうだったように、理不尽が絶対的すぎるその力を振るえば社長には為す術などあろうはずもない。できる事と言えば、四肢を地に貼り付けられ、舌で土の味を確かめるぐらいである。


　そして真実を告げられる。「全ての力を失って元の世界に戻りますか？ それとも記憶を失って別の世界に行きますか？」と。今までの世界と同じように。


　いつもなら絶望する社長。だが、絶対の覚悟を決めたメルンテーゼの社長は、そこで思考が止まることがなかった。神を逆に挑発し、神が自分に何を求めているかを引き出したのだ。


　そして、「自分は神の玩具である」という立場を利用して、社長は取引きを持ちかける。

　と。これが何度も弄ばれた末に、ようやく上げられた小さな反撃の狼煙。


◇


　理不尽はしばし思案した後、社長の提案を受け入れた。理由は二つあった。


　一つは、９年という長い間、社長という男を見続けたことで、彼に飽き始めていたのだ。むしろ、飽きやすい気まぐれな神が、一人の男を９年も見続けたということが稀有なことであった。二つは、全ての真実を受け入れたこの男がどのような結末を迎えるのか楽しみになったのだ。絶望というものは希望が大きければ大きいほどそそり立つもの。全てを受け入れた先に絶望が待っていれば、それは極上の味がすることだろう。


　そして社長は神の束縛から開放されることが決まった。タイミングは70日になった瞬間である。


　同時に、それは全てを失うタイムリミットをも意味している。社長がエンブリオを使えるのは、理不尽からほんの僅かばかりの力を分け与えて貰ったからだ。神の掌から降りることを決めた社長は、神から授かったものをすべて返さなければならない。


　社長には二つの道が残されている。一つは、全ての力を失って元の世界に戻る道。この際に社長は２０年の歳月を経過させられる。「住所不定無職（５８）のオッサン」となる。これが神が選んだ社長への利子である。


　もう一つは、全ての力を失ってこのメルンテーゼに残る道。こちらには条件がある。それは社長がチェリーを失うこと。


　神はこのシステムに、一つの優しさを与えた。それは「チェリーを失えば、全ての力を失ってその世界にとどまることができる」というものだ。これは「普通の人間ならでも容易に選ぶ選択肢なのに、それを選ばずに無様に記憶を失って不幸なループに陥っている」と嘲笑うための悪意のある優しさだった。どの異世界の社長でもあった共通のシステムだが、しかし社長はどの世界でもそれを選ばなかったし、選ぶ気もなかった。


　社長は他者を信用していなかったのだ。常に自分が第一であり、他者のために生きるなぞ思考の思の字もなかった。故に誰にも心を許さず、故に誰とも支えあうことはなかった。ニスイは社長のことを親友と言っていたが、その世界の社長の心中も、このメルンテーゼと同じようなものだったのだろう。


　「では、この世界ではどうすれば良いのかという話になるが、要はチェリーを失ってさえしまえばいいのだ。その手段はいくらでもある。そしてルール的にそれで問題ないということも、何度もフェアリーくんに取ってある」


◇


　社長はそこで目を開ける。（思えば遠くに来たものだ）過去を振り返り、これから何をするべきか思考の整理がついた。

　社長はメルンテーゼで多くの一揆衆たちと多くの時間を過ごしてきた。その中には、戦友と呼べる存在もにいた。


　だが、社長にとって友とは『相互利用価値』という意味である。戦友とは、戦に関して相互利用しあう関係のことだ。戦が終わった今、そこに利用価値はない。故に、それはもう友ではない。自分は力を失うし、相手にとって自分も友ではなくなるだろう。


　社長がこのメルンテーゼで得たのは、ニスイを騙して得た宝石だけである。今も社長の手の中に握られているそれは、現在の市場価値で30万PSは優に超える。この多額のPSが、友とエンブリオを失った社長に残される力。これをより効率よく運用し誰にも踏み潰されないほどの力を付ける、そのためには自称社長から本当の社長になる。それが、これから先に待っている、この男の物語である。