ぐすぐすと鼻をすすりながら、改めてテーブルの上に広がった贈り物に手を伸ばす。
ふわふわしたたんぽぽの綿毛。
経た年をあらわすように、少し黄色っぽくなった羽根。
真っ白な羽根であったころをあらわすような、白い封筒と便箋。
どれも不思議と、日向の香りがした。
ひとつひとつ、丁寧に拾い上げて、こぼさないように汚さないように、
そして傷めてしまわないように、そっと封筒の中へとしまう。
それを贈ってくれた人たちのやさしさを思うように、大切に胸に抱いた。

「…ごめんなさい、エンバーさん、急に泣いちゃったりして〜。
あのね、先生からのお手紙だったの。
あとそれと、おじいさまから……」

言いかけて、また、涙がこぼれそうになってしまう。
悲しいときだけでなく、うれしい時にも、こんなにたくさん泣けるのだ、と。
自分の泣き虫ぶりが少しおかしい。

「……うふふ、あのね、あの……」

言葉で説明しようとしても、こみ上げるものが声を詰まらせてしまう。
だから結局、今抱きしめたそれをそのまま、彼へと差し出すことにした。

「エンバーさん、村を出てから今まで…たくさん心配してくださって、ありがとう。
わたしはもう、だいじょうぶよ〜。
……ね、また、あらためて。がんばりましょうね〜？」

うわさでは、王を倒した者やその先、悪しきたくらみをしていた旧き者を退けた者もいるともれ聞こえていた。
自分たちに出来ることはもうないのかもしれない。
けれど、そんな大きな変革はできなくても。
この世界を見放した者たちがまた戻ってこられるような。
争いで傷ついた人やエンブリオや物を癒すような。
なにか、ささやかでも、誰かの役に立つことはできるかもしれない。
これからの道は、それを探すためのものなのかもしれないと、ふと思った。

気がつけば、バクラヴァはもうあまり残っていない。
お腹もくちくなったことだし、残りは明日以降の蓄えとするのがよさそうだ。
片付けましょうか、と立ち上がる。
作る間より、ずいぶんと短い時間で調理場は綺麗になるだろう。
再び歩き始めるころには、少女のかばんからあふれ出した甘い香りが、廊下にふんわりと漂っていた。
希望を見つけたその小柄な後姿、左右に揺れるおしりのように、少しだけ滑稽で、でもなんだか嬉しくなるような、そんな香りが。

旅立った頃の記憶はもうすっかり薄れてしまったけれど、
それは悲壮でなく、希望に満ちたものであったのは容易に察しがつく。
その最中でたくさんの人に出会いたくさんの世界を渡り歩いてきたが、
覚えている限り、当然、男は自らと同じ種族に出会ったことはなかった。
彼らが当たり前にその辺りを闊歩する様子を想像して、肩を揺らし。

こちらを見上げる視線に首を僅かに傾ぎ、少しのあと、
双眸が丸くなるのに瞬きを落とした。笑っているくせに。そりゃあ笑うさ。
言葉を返す代わり、その額をつついた手を下ろしてくつくつ喉を鳴らし。

名を呼ばれて、短く相槌めいた言葉だけを笑い交じりに返す。
そうして、世に溢れている数多もの本たちを脳裏に思い浮かべる。
本になる前の原稿を、その原稿を机に向かった男自身が書いている様を、
そこに宿る魔力と想いとせかいのきれはしをと、パズルのように当て嵌めて想像する。

確かに、誰でもない男が一番適任であるだろう。
あの名作に注がれた読者たちの想いを知っている登場人物のひとりであり、
曰く“仲間たちの”苦しさを誰よりも解っている、ほぼ唯一であるのだろうから。

随分と大役を任されてしまったと、後ろ頭をがしがしと掻いて。

最後の方は独り言めいて。
分割世界を作るとはいえ、作ってそれで終わりになるはずもない。
本当にそうして仲間たちに自由を与える気があるのなら、かつて男がそうだったように、
物語の外で生きていくやり方を、しっかりと教えてやらねばならないに違いない。
その為に自身に足りないものは幾らでもある。いずれも先の話と言えども。

まずはそう、彼らの為になる世界の根幹を作り上げて、形にすることだ。
どれだけの力が必要になるかは解らない。彼女にも力を借りる事になるだろう。
魔力が足りなければ、物語に込める“想い”を強くすればきっと上手くいく。

彼女の胸のうちこそ察せねど、魔力を分け与えてくれる、それだけで十分嬉しい――と。
言葉を聞けば、男はきっとそう言っただろうから。

口籠る様子に首を傾げつつ、男の言葉を可愛らしい声に乗せる相手へ瞬きを落とす。
残念ながら聞こえてしまった。虚を突かれたような表情のままで動きを止めてから、
ふは、と笑い声を漏らし。上手くは見えぬその後ろ姿を追って、歩みを少しだけ早めた。

一歩、二歩。三歩。

大股で歩を刻んで彼女の隣に並び、
更に一歩進んで、意地悪くその顔を覗き込もうとする。

先の事など解らなくとも。
思い描いたものに繋がるようにと、そう。

歌うように呟いて、羽根ペンを持った右手を伸べる。
羽根ペンに宿った光のひとつが飛び出して、くるくると回り始めた。

ひとつ、ふたつ、みっつ。
回るたび、辺りの温度が下がっていく。
吐く息が白くなる。ちらちらと、白いものが落ちてくる。
星まで凍らせるような冷たい風が、サッと下から上へと吹き上げた。
目を開けると、いつから立っていたのだろう。
そこには、白い肌、赤い反物を携えた女がいた。