「……子爵、お茶をお持ちしました。」


恭しくそう言った、鈍色の鎧の隻眼の女騎士の手にした盆に乗せられたポットとカップは、
いつもの白無地ではなく、おそらくは来賓用と思われる装飾の施された豪華なものでした。

「その呼び方は止せ、今は地位も家門も捨てた身だ。
　……茶はいい、それよりも人払いを頼む。」

わかっているのかいないのか、女騎士は恭しく一礼すると、その場を後にします。

「……人払いなんてする必要、あったの？」


子爵と呼ばれた黒いフードの魔導士は、何も答えません。
騎士団の詰所の一室には、彼と、白いフードの長耳少女の二人だけで、この部屋の外にも人の気配はまばらです。
おそらくは先日の伯爵の洋館にて、大量の戦死者を出したことも響いているのでしょう。
窓の外の庭園では、昨夜の戦闘にて同伴した、緋色の服の少女をはじめ、数人がはしゃぎながら談笑している姿が見えます。
難しい話には我関せず、といった様子です。


「……そんなことより。
　聞きたいことは三つ。」

「……私に答えられることならば。」


「一つ目。
　あの怪物が、なぜ昨夜あの場所に現れると知っていたの？」

「別に、あの場所だから現れたというわけではない。
　あれは、こいつを追ってきただけだ。」

そう言って取り出したのは、厳重な封印の施された小瓶。
中に封入された、不気味に蠢く黒い粘液ともつかない何かに、彼女は見覚えがあるのでした。

「これ……、あの時の？」

「そう……、あれは、失った身体の断片に引き寄せられる。
　あの時貴様を使ったのは、どうしてもこれを回収する必要があったからだ。」

「……それ、大丈夫なの？」

「大量に集まれば危険だが、この程度ならば何の問題もありはせぬ。」



「二つ目。
　……その青い石は何？」

少女の視線の先にあったのは、さっきの小瓶以上に厳重な封印を施された青い石。
多くの切子面を備えたそれは、昨夜あの怪物の胸から引き抜かれたものでした。

「……詳しいことは判らないが、核のようなものとも、種子のようなものとも言える。
　あの怪物は、昨夜あの後貴様らが討ち滅ぼしたが、魔力という名の水をこの種子に与えれば、
　今一度、同じ怪物が芽吹き、生まれるだろう。」

「そんな危ないもの、どうして持って帰ってきたのよ……。」

「こいつをあのまま闇の中に放置しておけば、怪物はすぐにでも復活するからだ。
　私の手元に置いておけば、少なくとも復活することはないだろう。」



「ふーん……、それで、三つ目。
　結局、あの怪物は死んだの？」

「……死んだとも言えるし、死んでいないとも言える。」

「答えになってないわ。」


「あの怪物に、我々にとっての死というような概念は存在しない。
　貴様にも理解できるように言うとするならば、個体としては死んでいるが、生物としては生きている。

　あの石を抜き取った後の怪物……、言うなれば、あれはただのゴーレムに過ぎぬ。
　……とは言っても創ったのは私、並みの人間に太刀打ちできるような代物ではなかったはずだがね。

　"彼女"の記憶や感情、そういった「個体」としての概念は、すべて身体の側にある。
　貴様らがそれを破壊した時点で、彼女の個体としての概念は死亡し、消滅した。
　……尤も、もし骨の欠片でも残っていれば、僅かでも生き残っているということになるのかもしれないがね。
　先も言ったように、あの石から怪物が蘇ろうとも、それは再生したのではなく、
　生まれ変わったといった方が正しいのかもしれぬ。」


「なら、その石を砕いてしまえばいいのではなくて？」

「試してみろ……と、言いたいところだが、そんなことはできるはずもないし、
　失敗した貴様の命を吸って、また再び怪物が生まれでもしたら面倒だ。

　……この石を創ったのは、人間でも、魔物でも、神ですらない。
　きっと、言葉では言い表せない恐ろしい何か、だ。
　それは、我々の浅はかな知恵など、到底及びもつかないところにある。

　……我々にできるのは、ただこれを封印し続けることのみだ。」


「……あんたの手元に置いといたら、また変なことに使いそうだけどね。」

「……耳が痛いな。」


そう言って笑い合う二人。
その部屋の外では、完全に気配を殺した黒い服の女が、静かに聞き耳を立てているのでした。

ぴょんと伸びたミオさんの触覚を、思わずぎゅっとしてしまったアムル。

驚く声を聞くと、あわててパッ、と、ミオさんの触覚から手を離し。

そんなことを言ってたら、目の前にやってきたミオさんが、まさかの不意打ちで触覚をふーっと。

感覚が鋭くても、ぜんぜん注意もせずに油断してたせいで、触覚に冷たい吐息が！
背筋をふるるるるっと震わせて、触覚をおさえてよろめきます。

＼効果はばつぐんだ！／

ぱふぱふ、と自分の耳に触れながら、そんなことを言うアムルなのでした。

そんな感じで、しばらく有意義なお茶会を楽しみ…

いつのまにかそんな時間になって、別れていくのでした。

・・・

・・・

・・・

そして数日後。

ばさりっと何かが羽ばたく音が聞こえて、空を見上げるとエシャロットの姿がありました。
そして、ふわりとミオの前に着地します。

バスケットに甘いイチゴのケーキと渋めのお茶っ葉が入った袋をいれて天使がやってきたのであった。

硝子細工が砕け散るときのような、甲高い破砕音が響き渡りました。

その音は残響となって、暗闇の中を波のように漂い、消えて行きます。

その異変に、最初に気付いたのはメグでした。

聡明な白兎の目論見の通り、影を断ち切り、影から少女を救いだすための光の魔法。

しかし、その光の刃で影を切り離したはずが、切り離した後に残っていたのは少女ではなかったのです。

代わりに其処に在ったのは、青い宝石と白い欠片……。

メグがありったけの魔力を乗せて放った刃は、それ自体も圧倒的な質量を持つ。

自分の魔法重力にまかせて放った光で彼女を蒸発させてしまったのならば……。

つまり、最期に残るは「目玉」と「骨」――

メグはわなわなと震えだし、大事な大事な魔法の杖を ぽろり と落としてしまいます。

それを黒棘が見逃すわけもなく、杖をひょいと拾い上げて手の届かない高さへと持ち上げます。

しかし、メグはそれに気を配る余裕はありませんでした。震えながらその場に立ち尽くします。

その事実がメグに重くのしかかり、へなへなとその場に座り込んでしまいます。

今も黒棘に囲まれた危険な状況にも関わらず。……まるで糸の切れた操り人形のように。

白兎の従者が慌ててメグの許へと駆け出そうとしますが、

黒い棘が鉄格子のように彼を取り囲んで、身動きするのを赦してはくれません。

もはや、完全に悪意を持って二人と襲おうとする黒い影。

彼の声はメグに届いているのかいないのか。それでも必死に呼びかけます。

ならば、それまでメグにいじらしく語りかけていた白い少女は、影の生み出した幻影に過ぎなかったのか。

恐慌状態に陥り、焦点の定まらない視線を虚空に向けて、アヒル座りのようにへたり込むメグ。

そのメグほどじゃないが、普段は聡明なこの白兎も予測不能の事態に混乱しているようだった。

恐慌する二人の傍で……。

メグの光の魔法の化身たる空の精霊が小さく感嘆符を零しました。

彼女には何かが見えたようでしたが、二人には気づきません。

そうこうしている間にも、今度は明確な悪意を持って黒い棘がメグに向けて食指を伸ばします。

先程までの、胡乱げな鈍いスピードはどこへやら、制御を失った棘はまっすぐ少女へと……。

そして、その黒棘が肩口からメグの身体を貫こうとする刹那……。

メグの身体が眩いレモンイエローに発光したかと思うと、彼女を中心に幾重もの光の環が生まれる。

その光の環は、徐々にメグの周囲に広がっていき、七色に発光しながら勢力を広げていく……。

メルンテーゼは今やすっかり夜の帳でしたが、闇の中で大地の一角が昼のような明るさを放ちます。

その昼の中心にいたのはもちろん、光の環に包まれて発光する、この琥珀色の髪の少女。

七色の光の環は波のように揺らめいて、辺りを明るく染めていきます。

揺らめきによって波長を変える、幻想的な七色。

壊れたマリオネットのようにへたり込んでいたメグは、再びゆらゆらと立ち上がります。

無言。三白眼。明らかに怒気の混じった鋭い視線。

哀しみ、苦しみ、怒り、いろいろな感情が入り交じった、彼女の精神。

メグもまた、制御を失った黒棘同様、制御を失った絡繰人形のように、

ぎこちないながらも、明らかな意思を――破壊を――持ってゆらりと動き始めます。

主人の少女が、自分の理解の範疇を越えて動き出すさまを、従者は黙って見つめることしかできません。

暴走し始めたメグは、次の瞬間にどう動くかなんて、もはや誰にもわかりません。

アルの脳裏に、少年のようなハスキーボイスが聴こえました。

まるで、頭蓋骨の下から直接話し掛けるように、ケタケタと嗤う悪魔のような声でした。

それには答えず、異形の兎はソネットを暗誦するように、すらすらと言葉を紡ぐ。

そういって、異形の兎はケタケタと不快な嗤い声を上げる。

そう言うと、異形の兎は、恍惚とした表情を浮かべて魔力が暴走するメグを見やる。

白兎と異形の兎とが無粋な会話を交わしている間にも、
メグの放つ七色の光の環は、尚も大きく、強く、眩く、光を放っていました。

うわ言のように、良くわからない呪文のような何かを呟きながら、ゆらゆらと黒い影に向かいます。

影が、新たな攻撃対象を見つけて喜び勇むかのように、棘をメグに向けて放ちます。

しかし、メグがその棘を包み込むように左手の掌を拡げると、風船が萎んだときのように、

棘はへなへなと、ゆっくり地面へと叩き落とされてしまいました。

メグはゆっくりと青い宝石と白い骨片を拾い上げました。

愛おしむかのように、大事にそっと抱き上げ、いそいそと胸元に仕舞い込みました。

そして、いよいよもはや異形の怪物と化した影を見やります。

メグが何ごとかを叫ぶと、眼前に大きな稲妻が降り注ぎました。

それは大きな竜巻くらいはあろうかという密度と大きさを持った、もはや稲妻のような何か。

或いは、紫電が四方八方に纏わりついた、大きな大きな光の剣のような何か。

ジリジリと、神経が焼き切れるような異音を発しながら、見ると稲妻の落ちた場所には焦げた跡。

黒い棘のうち数本は、この稲妻によって消し炭も残らないほどに焼かれ蒸発してしまったかのようでした。

契約する主人が暴走する様子に、為すすべもない空の精霊。

一方、異形の兎は、その暴走を楽しそうに見つめます。

怒気を孕んだ三白眼は、ギロっ と黒い影に鋭い視線を送ります。

すると、黒い影の頭上に、黒くて黒い、漆黒の雷雲が立ち上りはじめます。

まるで、先ほどの雷をいつでも落とすことができるのだと、威嚇するかのように。

ゆらりと、半分ほど理性を失ったメグが黒い影と対峙する。

もしも黒い影が力で彼女を捻じ伏せるなら、まだ力が安定しきっていない今のうち。

もしも黒い影に対話を企図する心持があるのなら、それを受けるだけのココロはある。

果たして影の怪物はどう出るか――。