前回の日記→［http://urx.nu/cOka］

※前回の続きです。ミハウ視点。
　E-No.1196　コトカ・ラヤヤルヴィさんと内容がリンクしてます。
　合わせてお読み頂ければ幸いです。





背負った彼女は、軽くて。その軽さが、ほんの少し、怖い。

――早く、休める場所まで。

無理をしての具現化によって生命力を失い、ヒリアイネンさんの解約で多少戻ったとはいえ、今の彼女は消耗している。
故郷のことも、コトカさんは知っているとヒリアイネンさんは言っていた。それに対するショックだってあるだろう。
ゆっくりと休めるところへ、彼女を連れていきたい。

その一心で、部屋を出て、足を前へ進ませる。
頭の中にある地図と、周囲を照らし合わせながら、慎重に。
ウルヘアさんには先を見てもらい、後ろはイェジに任せた。
荷物はほとんどイェジが持つことになってしまったけど、
それについては文句も悪態もなく、警戒に気を回してくれていることが、今は有難かった。


「……、ミハウ？」
「！……、コトカ？」


身じろぐ感覚と、寝起きのような、ぼんやりとした小さな声。けれど、確かに名前を呼んだ。
はっとして、少し歩調を緩める。肩越しに、彼女の方へと顔を向けた。
マフラーとコートの襟でよく見えはしないけれど、目が覚めたのだろうか。


「少し、我慢してくださいね。もうちょっとで出られますから」
「え……ねえ、でも、」


声を掛ければ、戸惑うような声が返る。
それはそうだ、進攻の最中に気を失って、目覚めたら退却しようとしているのだから。
状況を呑み込めていないのかもしれない。けれど、


「――あ、」


何かを思い出したように、ぽつり、と漏れた声が、耳を掠めた。
多分、気を失う前の事を思い出したのだろう。
何があったのかは、私には分からないけれど、気配が色を変えたのは分かった。


「……うん」


服を掴む彼女の手に、力が篭る。なんて言葉を掛ければいいか、迷って、結局口を噤んだ。
故郷が襲われた時、私に掛けられたどんな言葉も、失ったものを埋めることなんて出来なかった。
大切な場所も、人の安否も分からない状況で、
どんなに慰めの言葉を掛けても、きっと薄っぺらい言葉にしかならないだろう。


「此処を出たら、今日は、早めに野宿の支度をしましょう。……今は、休んだ方がいいですから」


だから、今はこれからのことを、告げるだけにして。
前を向いたから、コトカさんの様子は窺えなかったけれど。
頷く気配がして、背中に軽い感触が加わる。頭を伏せたのかもしれない。

――今は、一歩でも、少しでも早く、此処を出よう。
そう思って、歩みを速めた。


+++++


ぱちぱち、と、焚き火にくべた枝が弾ける音。火を間に、私たちは向かい合って座っていた。
夜が近づくにつれて冷えてきた空気に、私は傍らに置いた簡易の湯沸し器で湯を沸かしながら、茶の支度を進める。

――あれから。
屋敷を離れて、道に近い少し開けた場所を今夜の宿にした。
野営の準備をコトカさんは手伝おうとしてくれたけれど、それは丁重に断らせてもらった。
今でこそ普段どおりに見えるけれど、一時は危険な状態に陥っていた彼女に無理はさせられないと思ったから。


静かだ。


元々、喋る方でもないけれど、それに輪を掛けて、彼女も私も話さなかった。
私は、何を話して良いか分からなかったのもあるし、コトカさんの考える邪魔をしたくなかったのもある。
突然起きたことに対する考えの整理なんてそう、簡単に出来るものじゃない。
そんな時に、外からあれこれ言われることが煩わしく思えるかもしれない。だから、自然と無言になっていた。

僅かに風が吹く。
まだ冬というわけではないし、焚き火の傍に居れば、そうそう寒さに凍えることはない。
けれど、体の中から温める方が効果的だろう。
小さなポットと、いつも使っているカップを用意しながら、そう思って。


「……ごめんね。心配、かけて」


焚き火の向こうから掛けられた声に、手を止める。彼女は、まだ何処かぼんやりしているように見えた。
コトカさんに謝ることはこれまでも多かったけれど、反対に謝られることには慣れない。
いえ、と言って、首を振る。


「倒れている君を見つけたときは、とても驚きましたし、心配しましたけど。
……こうしてまた、話せていますから」


言いながら、頭の中で、あの小さな部屋へ踏み込んだときの光景が蘇る。
倒れ込んで動かない彼女と、その傍にいたヒリアイネンさんとウルヘアさん。
あの時は、……息が止まるかと思った。"また"、助けられなかったのかと、一瞬、そう、思ったくらいには。
ヒリアイネンさんには、悪い事をしたと思う。でも、本当に、怖かった。
だから、今こうして、話せているだけでも、私にとっては、十分すぎるくらいだ。

そんな意味も込めて話せば、彼女は、そう、と言って、また黙り込む。
何か言葉を呑み込んだような風ではあった。でも、言葉を継ぐ代わりに、私は準備を再開する。
問いかけても良かったのかもしれないけど、何となく、出来なかった。


「私ね」


少しの間をおいて、コトカさんが口を開く。相槌を打って、


「倒れてたけど、ミハウたちが話してるの、何となく聞こえてた」
「……え？」


聞こえてた？　その言葉に思わず、彼女を見る。
あの時、彼女が気を失っていたのは、まず間違いないと思う。
意識を少しでも回復していたのなら、私以外のふたり、イェジやウルヘアさんが気付かないわけがない。
でも。では、聞こえていたとはどういうことだろうか。

目の前のコトカさんは、冗談をいっている風ではなかった。元から、こんな時に冗談を言う人ではないけれど。
ということは、事実、なのだろうし、あの話が何となくであれ、聞こえていたということは。


「……、では、……故郷のことも？」


ずっと訊けずにいた。一番、ショックだっただろうこと。
シウナウスの森を守護していた、森の主と呼ばれるエンブリオはとうの昔にいなくなってしまっていて。
守護を失った森は、恐らくは王の配下によって燃やされてしまった。
一揆への参加を命じた長や、送り出してくれた家族や、親しい人々は無事なのかも分からない。
そんなことを、告げられたのか、訊いたのか。彼女は、どんなにか、ショックだっただろう。


「……ごめん」


一言、肯定の代わりに、謝罪が耳に届く。


「……もちろん、ね、ショックだったわ。でも、……うん、大丈夫よ。今はもう、落ち着いてるから」


ぽつりぽつりと、いっそ淡々と、言葉は紡がれて。
深呼吸を一つ。


「大丈夫」


重ねるように、彼女は言った。彼女にとっては、言葉の通りだったのかもしれない。
でも、私には、彼女自身に言い聞かせるような、そんな風に聞こえた。
とても理性的な人ではあると思う。けれど、それでも、コトカさんはまだ16歳の少女だ。
背負っていた時の軽さを思い出す。


「……、本当に、大丈夫、ですか？」


だから、問わざるを得なかった。
大丈夫、という言葉は、呪文みたいなもので。悲しさや辛さを抱えていても、本当に、何てことはない、と思わせてくれる。
でも、多過ぎる薬が毒になるように、そう言い続けて、見ない振りをしていた思いが抱えきれなくなって、
ついには潰れてしまうことだってある。……実際、潰れかけたことがあるから、分かるのかもしれないけど。
だからこそ、コトカさんには、そうなっては、ほしくない。


「……、……分かんない。本当は、大丈夫じゃないのかも」


僅かに間を置いて。
引き寄せるように立てた膝に、コトカさんは顔を埋めながら、そう言った。
混乱はまだ、続いている


「……すみません、」
「でも、私、……一揆は、これからも続けようと、思ってる」


傍らで、ごぽごぽと音を立てて沸いた湯を横目で見て、湯沸し器のスイッチを切る。
余計な音で、彼女の言葉を聞き逃したくなかった。また、焚き火の弾ける音だけが、しんとした空気に響く。


「それは、……どうして？」


今なら、故郷の、シウナウスの森へ戻ることだって、選べる。
一揆は、まだ当分終わりそうにはないし、状況を確認してからまた一揆へ戻ることも、
そのまま故郷にいることも、選んだとしたって、誰も責めたりはしない。
でも、帰るという選択をしないのは、何故なのだろうか。
その問いに、彼女は、俯いたまま。


「一揆に加勢することは、私に課された使命だから。……それはちゃんと、最後まで、やりたいと思うから」


けれど、答える言葉は、はっきりとしていた。
使命。長から与えられた命を、貫くこと。


「これは、本当よ。ちゃんと、考えたわ」
「……ええ。分かりました」


頷く。
何を思って、何を考えたかまでは、明かされなかったけれど。
はっきりと答えた彼女のことだ、それが、彼女の結論なのだろう、とは思って。


「……あの、コトカ」


少し、躊躇った。


「……何？」


顔を伏せたまま、コトカさんはそれでも返事を返してくれた。


「……、私も」


続く言葉を口にすべきかどうか、迷った。けれど、でも。
言葉にしなければ、伝わらない。
どれくらい言葉を尽くしたって、伝わらないこともある。
だからといって、言葉を尽くす事を放棄するのは違う。呑み込んでしまったら、それまでだ。

ひとつ、息をつく。
迷いも、躊躇いも、振り切れば、伝えられることがある。


「最後まで、共に行きますから。何があっても、何が起こっても、君の傍に居ます」


改めて、言っておきたかった。
最後まで、一揆が終わる時まで、一緒に行く。一度は破ってしまって、けれど重ねた約束。
いつかの水辺で、新たにした決意と覚悟を、そっと確かめるように。

どんなことがあっても、守ってみせる。一番最初に手を貸してくれた、大事なひとだから。
決して、これ以上、何も失うことのないように。

コトカさんが、顔を上げる。驚いたような、呆けたような表情。


「……うん、」


言葉がひとつ。そして。
ぽろ、と、見開かれた青灰色の瞳から、涙が零れた。


「……うん……」


私の言葉に、何を、思ってくれたんだろうか。

分からないけれど、でも。その涙は、綺麗だった。

ニヤニヤ笑いながらそう言う。

若干目が遠くなっているようだ。

一歩、前へと、進み出る。
深呼吸を１つ、くるりと武器を回してから構え。