久しぶりに訪れる、深く静かな森で野営を行った。
　半月ほど前には頻繁に訪れていたのだから、そうそう変わったところがある筈もない。ただ、生物の恐ろしいほどの入れ替わり、進化にも似た変化は働いているようではあったが。

　食事の支度をはじめとしたひととおりの作業の後、依頼に出す予定の新しい鎧を布で包む。
　鎧に替えた当初は随分苦心したように思うが、あっという間に三つ目の鎧を新調することになってしまっていた。それも、エンブリオの後押しによるものが大きい。
　あえて散らした花びらから溢れた何かが、エンブリオ達のちからを何段階も上に跳ね上げた。
　それはまさに、進化の速度に等しい。変化は自分だけではなく、あらゆるすべてだった。変わらずにいれば、研究どころか、メルンテーゼに留まり続けることも困難になるだろう。
　すべてが変化している。一部の例外を除いて。

　――留まり続けるためには。

　思考に沈み込みかけたのを抑え、ひとまず完全に鎧を包むことに専念する。
　付加のわざを使える精霊のこどもとの合流を待っても良かったのだが、調査隊の中でも仕事は多いので、機会は逃すものではない。それに、ものがものだけになるべく早く使えた方がいい。
　こうしたところで遠慮をしなくなったのは、エンブリオとは別な変化だな、と思う。かつては、炎避けの護りを買う事に躊躇しすぎて、呆れ半分に睨まれてようやく買い求めるほど、畏れていた。いろいろなものを。
　思えば自分も、かの女性のひと睨みには弱いのだったと、改めて気付く。元より、誰かに強く逆らったことは少なかったが、逆らわないことと弱いことはまた違う。

　そこでふと、ちいさな違和感のような、異変を感じる。
　視界と感覚の両方に訴えるこれは、自分のエンブリオのうちのだれかだ。
　意識を向けると、翼ある蛇がどこか落ち着きなく、同じ場所でとぐろを巻き、繰り返し飛び続けていた。

「どうしましたか」

　問いかけに、蛇は明らかにうろたえたような気配で、何でもないのだという意志を示す。しかし、普段の静かに枝に絡みついている様子を思うと、何もないようには見えないのだが。
　本当に何事もないのだと、弁明のように言う様子は、気がかりではある。
　どうしたものかと考えると、呆れたような声が割り込んだ。

『別にへーきよ、ほっといても。悪戯とかしてないし』

　同じく宙に浮いて告げたのは、ちいさな悪魔だった。近頃は白虎を抑えてくれる者が複数出てきたので、ようやく安心してうろつき回れるようになったのだろう。比較的低い枝にとまり、蛇のほうを見てから、改めてこちらに告げてきた。

『あの、風の作製士のところに行きたいみたいよ』
「レイさんですか？　……何故、また」

　先日より、白虎が盛大に迷惑をかけているのは記憶に新しい。
　自分の知る蛇の行動パターンにおいて、かの女性を困らせる要素は少ない。反面、かの女性に特別な用事なども思いつかないのが、少々不安なところである。
　決して困らせるつもりはない、という意志は、嘘ではないようだが。

「それなら、僕は構いませんが」

　エンブリオにもそれぞれ、居心地の良い場所や、居たい場所というものがあるのだろう。
　了承を得た蛇は案外落ち着いた様子で、ゆっくりと翼を広げて飛んでゆく。

「まさに、風の吹き回しですね」

　どういうものだかさっぱりわからずに呟く。
　悪魔はというと、とっくに何処かへ飛び去っていた。……説明を求められることから逃れたというよりは、単に久々の自由を謳歌しているだけだろう。あの悪魔は、比較的行動がわかりやすい。

　ともあれ、己のエンブリオのこと。何かあればすぐに駆けつけられるだろう。
　そう結論づけ、包みを押し抱く。

「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」

　かつて、自分達の前に立ち塞がってきた者達を思う。庭師。忍び。司祭衣の男。妖精。
　彼らは変わることなく、そこにあり続けていられるようだった。その代償のように、強さと進化の果てに、幾度も越えられてしまいながら、今もなお。
　こんなことばかり考える理由は、わかっている。恐れているのだ。得てしまった緩やかな安定。聞こえてくる礼拝堂の噂。出来ることなら、叶うものなら、少しだけでも長く、ここに。

　――全力で走り続けなければならない。

　まるで弱い幼子のようだと、思う。
　知り得れば弱くなり、克服するべく進化する。たった、それだけのことなのに。

　ささやかなよろこびのすべても、また、そこにあるのだというのに。