その日は、激しい通り雨が降っていた。

殴るように打ち続ける雨は、私達の体温を奪う。
移動中の体力消耗を防ぐため、しばし物陰で休息を取ることにした。
無理な進軍は禁物である。

私は銃の点検をしながら、ヴァルキリーとの戦いを回想していた。
戦乙女をエンブリオの『剣樹の陣』で撃退した、あの戦い。
随意なる奉仕者と名乗ったエンブリオは、完全に私の命令に従っていた。

勝算がなかったわけじゃない。
以前から私の言葉が反応するかどうか、少しずつは調べていたのだ。
自らエンブリオに命令し、意の通りに動くかどうか。
私の名前で力を覚醒させた時から、可能性は感じていた。

――随意なる奉仕者　コトブキ。

かつては木霊の護り手だったものが変容した姿だ。
学生時代の私を象徴する出で立ちで、半面の仮面を被り、散弾銃を握る。
元々の性質も兼ね備えながら、本質は昔の私の投影と見ていいだろう。
戦闘開始前の心情すらトレースするのだから。

極めて強力な手札だと思う、まるで私と一心同体のようだ。
しかしなぜ、こんなに私に忠実なエンブリオが存在するのだろう。
私はメルンテーゼの人間じゃない、他の分割世界から来た住人なのである。
雇われ傭兵に頭を垂れる必要はあるまい。

「小僧、少し聞きたい事があるのだが。」

予想外の雨にずぶ濡れになった体を拭いていた小僧は、
私の言葉に何事かと顔を向けた。

「参考までに聞きたいのだが、
　『干渉者』ってエンブリオに命令して攻撃させたり出来るのか？」
「何をいきなり……ああ。」

少し考えて、小僧は目を見開く。
つい先日の事なので、私が何を言わんとしていたのか察しがついたらしい。

「あの試練の時は僕も本当に驚きました。
　通常、『干渉者』の命令がエンブリオに通るなんてことはありませんから。」

やはりそうか。
まだ詳しい話は聞いていないが、粗方予想できる回答だった。
今まで有耶無耶にしてきた分、そろそろこのあたりで情報を纏める必要がありそうだ。
億劫ではあるが、銃の点検を終わらせて私は小僧に向き直った。

◇◇

「やった事はなかったが、『干渉者』にエンブリオを操るのは不可能ということかね？」
「そうですね、戦場に召喚するエンブリオは『召喚者』の管轄下にあるんです。
　我が君気分悪くするかもしれませんけど、『干渉者』も一応『召喚者』の管轄下なんですよ。
　つまり、立場としては『干渉者』もエンブリオも同じ。」
「例えて言うなら、戦場に出してもものすごく強いエンブリオ。
　『召喚者』の立場から見ると『干渉者』はこんな感じなのかな。」

小僧が軽く頷く。
実際は違う所だらけだが、元々はそういうシステムを想定して
『干渉者』というのは召喚されてくるのだろう。

ならば、疑問はさらに深くなる。
どうして同じ立場の存在に対して、ああも従順になれるのか。

「しかし、『随意なる奉仕者』は不思議ですよね。
　ほぼ同じ姿の『ドール』は全く他のエンブリオと同じなのに。」

言われて、ふと『ドール』の存在を思い出す。
『無貌の蒼頭』を召喚して出てきた姿も、同じ『ドール』である。
姿こそ私に似ていると感じていたが、中身は他のエンブリオと変わらない。反応も薄いし。

以前はアルラウネもそうだったが、
『随意なる奉仕者』の特筆すべき点の一つに、自ら成長する点がある。
『召喚者』の意志とは関係なく、貪欲に『勝利の果実』を吸い力を蓄えてゆく。

自分で成長すると言えば聞こえはいいが、勝手にネクターを貪ってしまうわけである。
今まで何度、小僧がエンブリオの成長予定を書きかえることになったことか。
可哀そうだとは思ったが、その自律性は見るべきものがあろう。

『ドール』には、その反応は見られない。
『召喚者』の配給する通りにネクターを吸い上げて成長していた。
同じ姿ではあるが、まったく異質な存在であると言わざるを得ない。

「ただ『ドール』のあの姿はどうなんだろう……。
　他のエンブリオとは系統が違うような気もするが。『随意なる奉仕者』もそうだけど。」
「普通は『召喚者』に縁のある姿で再召喚されるんですけどねぇ。
　『ドール』と『随意なる奉仕者』は、何か特別のような気がします。
　忘れているかもしれませんが、僕、『ドール』とは契約していませんよ。」

そういえばそうだった。
『ドール』は小僧が契約することなく、手紋の契約リストに入っていたエンブリオである。
当時も強烈なメッセージ性を感じたものだが、それは今も謎のまま。
暫くしてドライアドとも契約し、それが『随意なる奉仕者』に変化していった。
この両者が特異である事は疑いようがない。

元々の『召喚者』とエンブリオの関係性を乱す何かがあったのかもしれない。
ただそれが何であるか、解明する糸口はないけれど。
重要な事は、『随意なる奉仕者』は私の命令に従うということだ。
『召喚者』ではなく、私に。

命令系統が別だということは、掌握する難易度が上がるということだ。
あんまり不謹慎な事は考えたくないが、
これで手札を手に入れたかもしれないと、その時私は実感した。

◇◇

雨脚は遠のいてきたが、まだ止む気配はない。
若干寒くなってきた我が身を摩りつつ、私は口を開いた。

「そういえば、結局『無貌の蒼頭』とはどういう存在なのだろうな？」
「さぁ……何度も言いますが僕はつい先日まで本物を知りませんでしたし。
　この契約でも仲介役ってことくらいしか。『無貌の蒼頭』がどうかしたんですか？」
「いや奴は――。」

――私は主の護り手にして随意なる奉仕者。

『無貌の蒼頭』は本当に信用に値するのだろうか？
そう言いかけた時に、私の脳内にノイズが走った。あのエンブリオの言葉だ。
自分がいかに動揺し、心拍数が上がっているかが自覚できる。

このノイズが何処から来たのかは明らかだが、
どうしていきなりノイズなど頭の中に流さなければならないのか。
『随意なる奉仕者』の警告に、思考が錯乱する。

『無貌の蒼頭』という存在は、そんなに危険なのだろうか。
危険だと言われても近くにいないものを警戒する事など……。
そこまで考えて、私は恐ろしい可能性に気づく。

『無貌の蒼頭』は、存外近くに潜んでいるのではないか？

全身の震えが止まらない、理性が本能を支配できていない。
頭の中で落ち着くようにと、自分を宥めていた。

「我が君、顔色悪いですよ？」
「……すまない。思ったより体温を持っていかれているようだ。」
「濡れた服そのまま着てたからじゃないですかね、着替えたらどうですか。」

無言で頷いて辺りの道具を片付ける。
この様子だと、小僧は何も気づいていないようである。

どっちにせよ、『無貌の蒼頭』を信用するのは危険という事はよく分かった。
元々この契約を進めていた奴等も革命詐欺師の集まりのようだし。
自分達を守ってくれるのは自分達でしかないのだ。

『無貌の蒼頭』がどこまでこの契約に組み込まれているのかは不明だが、
エンブリオの管理に『無貌の蒼頭』を喚んだことがあるので
ある程度の管轄権は持っているのだろう。
自由にできるエンブリオを持つのは大きなアドバンテージだ。

『反客為主の計』、そんな言葉が頭をよぎったが、
実現しないことを心から望みながら、私は溜まっていた息を吐いた。


To Be Continued......