ネザーに飲み込まれるとまず、目の前が真っ暗になる。
　あいつの身体みたいに真っ黒な暗闇に包まれて、次に、光が差すといきなり明るくなるから、思わず目を瞑ってしまうのだ。
　でも、目を開けるよりも早く、一番最初に『匂い』で分かった。
　ここはあそこだ。とても嗅ぎ慣れたこの匂いは、



◇　◆　◇



　ネザーの口から吐き出されて、低木の茂みに転げ落ちる。
　扱いの雑さに文句を言いかけて、懐かしい匂いにハッとして、文句を言う暇もなく慌てて辺りを見回してみる。

　まさか、だって、そんな、ちょっと待ってくれ、そんな一日や二日の距離じゃ済まないんだぞ？

　立ち上がって、土を払うのも忘れて走り出して、茂みをかき分けてとにかく、周りが見えそうなところまで飛び出す。
　緩い土の傾斜に気を付けて林を飛び出すと、そこには確かに見覚えのある、大きな館があの頃とまったく変わらない姿のまま待ち構えていた。
　いや、まったく変わらないって言うのは嘘かもしれない。
　だって……あんな広い庭の中に、働いてるやつが一人も見当たらないのだ。

　ずいぶんと手入れがされないまま好き勝手に育った植物、からっぽの馬小屋、見当たらない人影、大きな庭に囲まれた、どこか整然とした上品そうな貴族の館。

　帰ってくる、なんて発想が自分の中にあったことにまずビックリした。
　帰る、なんて言葉が出てくるほど良い場所だと思ったことなんてない。でも、他にどこか帰る場所があるのかって言われたら、他にどこにもないのも事実だと思う（あの村にはもう、僕の家なんて残ってないのだ）

　ネザーが、唖然とする僕のことがよく分からない、と言いたげに首をかしげた。



◇　◆　◇



　館の中は、本当にもぬけの殻だった。
　人が暮らしていた形跡は残っているけれど、色々とあったはずの物がなくなっていたり大勢の人間が出入りした痕跡が残っていたり、屋敷の中全体が雑然としていた。
　反逆罪だと聞いている。物証になりそうなものは片っ端から押収されてしまっただろうし、侍従の大半も取り調べで連れて行かれてしまったはずだ。
　形だけはそのままで、中身だけが知らない場所に入れ替わってしまったような変な感覚。

　一番大きな玄関口のドアは相変わらず立派で、でも、来客を歓迎するための細かい装飾にはちらほら、埃が積もっているのが見える。
　廊下は同じ形、同じカーペット、同じ装飾品で、でも、ところどころ動かされた痕跡がある。高価な代物もあるのに手がついていない辺り、取り調べに来たのが教会らしいという噂は本当なのかもしれない。
　そのくせ、変なものはなくなっていたりする。

　警備や見回りのような人間は見当たらなかった。
　あらかた、調べつくされた後だったんだろうか？
　その割に物盗りが入った気配もない。ここは公爵が差し押さえていることになっているのだから、公爵の私物に手を出す西方領民はいないということなのかもしれない。

　男爵の部屋を目指す。

　これだけ取り調べの手が入ったあとだ、何も残ってなんかいないかもしれない。
　それでも、僕にはあの男なら何か、やらかしてるんじゃないかって言う奇妙な感覚があった。あの男がタダで捕まってやるはずがない、あの男が教会に素直にぜんぶ白状するはずがない。

　ノワール・サンソン・ディベール。

　執務机の椅子の下、二重になってる木の覆いを取り外す。取り出した鍵で本棚の二段目、左から15冊目の本に見せかけた箱を開き、そこから更にもう一つ鍵を出す。
　本棚の前のカーペットの下は、やっぱり二重底。床と一体化してる木の板を取り外して、出てきた錠前へ鍵をさしこむ。
　カチャリ、と音がした。

　あの男が何か残すとしたら、たぶん、きっと、ここであるはずなのだ。

再び小さく、溜め息を吐いて。

前後がおかしいぜ、と、ノエルの言葉に、
少しだけ、虚を衝かれたように目を見開く。

それからふっと、気が抜けたように、零されたのは笑みだったか。

うそではない、と、確認するよう。

だから。

なるほどなあと、どうやら納得したらしい。
小袋に対しては自慢げに構え、

匂いは嫌いと言いつつも、
保護者から授けられたことがそれなりに嬉しいらしく誇らしげに語る。

というわけで、俺は勝手に手を伸ばして鞄からチーズをもういっこ頂戴する。
依頼料はチーズで決まりというわけだ。

といって、別に今すぐ何かするわけではない。
することも無いので、ラノカネ君との話は続く。

どこかに、王様の情報を知ってる人はいないのかね。
まずは、それを探したほうが良さそうだ。

相手が話すまいとすることにまで首を突っ込む気はないらしく、トガノはただ黙って2人の会話を見守り始めた。

どこか縋るような態度で問う。
暫し間が空いたのを確認すれば、再びトガノが口を開く。

返事を待たぬまま、トガノは席を立ってレジの方へと向かっていった。