追い詰め、倒す。
　伏した武装兵の胸ぐらを、踏み付ける。鎧を踏み潰すつもりで体重をかける。

　「う、ああ……」

　敵の口から、苦鳴がこぼれる。
　泣き言を言わなかったか。だが例え命乞いをしたとしても、この足をどけるつもりはなかった。

　兵舎。
　ラケルトという兵士らとの戦闘の後、ゼゼは逃げた兵士を追い、兵舎中を駆け回っていた。
　今度こそ止めを刺す。そのつもりでいたが、どこを探してもあのふざけた兵士長の姿はない。

　だがそれでも。その中で武装兵と出くわすことは出来た。
　敵将でなくとも王の兵士ならば十分だった。
　奴らはただの、殺すべき敵だ。

「お前は、自分達のしていることが分かっているのか？」

　徐々に足に体重をかけながら、ゼゼは武装兵へと言う。

「お前らの王のせいで、この世界は荒れ始めた。こうして一揆なんていう戦が起こるほどにな！」

　蘇る光景は、あの日の炎だ。
　戦い抜いた果に、何も出来ずにネクターを焼かれた記憶が何度も、熱を帯びて蘇る。

「何がしたい！　この世界に生きる者から生活の術を奪ってまで何をしようとしている！
あるならば言ってみろ、貴様らの大義を！　民全てを黙らせるほど上等な理想があるならば、今ここで俺に言ってみろ！」

　兵士は、何一つ答えない。
　末端には目的や真相を教えられていないのか。それとも肉体の苦痛が強すぎて、声すら絞り出せないのか。
　いや、どちらでもいい。元より答えが返ってくること自体を期待していない。

「答えられるはずないよな。答えられるならば、とうの昔に語り、賛同を得ようとしているはずだからなあ！」

　一瞬だけ足を離し、勢いをつけて踏みつける。
　何度も踏みつける。鎧を踏み割るつもりで何度も何度も踏みつける。その度に、兵士の呼吸が乱れ、荒くなる。

　そしてひとしきり踏み付け、満足する。これ以上は時間の無駄でしかない。

　足をどける。
　その瞬間に反撃が来た。

　隠し持っていたナイフ。兵士はそれを投げつけてきた。　標的は目。鋭利な先端が、視界の真芯から真っ直ぐに迫る。
　避けられない。
　だが直感した直後、闇が飛来する尖刃を受け止めた、弾き飛ばした。

「……カンプか」

「ソノ通リダ。感謝スルノダナ、契約者」

　通常の姿へと再生しながらカンプは答える。

　そうか、と手短に答えると、敵兵を見下ろす。
　起死回生の失敗は相当にショックだったのだろう。兜の下、露出した口元が慄き、喘ぐように震えている。
　気に入らない。こんな奴らが、メルンテーゼの生活の軸を奪ったというのか。
　要らぬはずの苦しみを生んだというのか。
　故郷を、ネクターの花を焼いたというのか。
　そして、アイツを……！

　一層、怒りが湧いてくる。
　その感情に任せ、恐怖に染まる顔を、さらに踏みつける。
　最後の一踏みをどけたあと、兵士の意識が途切れたのがわかった。

「情けない。仮にも戦士ならば、最後まで堂々として死ね」

　背中に寄生したヒュドラへと意識を集中する。
　――力を寄越せ。そう強く念じる。
　しかし、その意志に答えたエンブリオはヒュドラでは無く。

「おやびん！！」

　聞き馴染んだ少年のような声。
　直後、猛然と突進してきたバリオが、ゼゼの体目掛けて飛び込んできた。

「ちっ……」

　金属の体と、相応の重量からの強打。それが思いの外重く、体制が崩れる。敵兵から体が離れる。

「邪魔をするなバリオ！」

「従えやせん！　おやびんこそ、何らしくない事やってるんでやんすか！」

　語気荒く怒鳴るゼゼに叫び返し、バリオは主の動きを阻むために、そのままゼゼの足にしがみつく。

「退け！　バリオ！」

　振り解こうとゼゼはもがくが、バリオは力の限り抵抗するバリオの鉄腕は緩まない。
　そして必死で食らいつく間もバリオの目はゼゼの右腕、仄かに黒く染まる臨戦態勢の爪へと注がれていた。

「退きやせん！　それに退いたらおやびん、この人殺すんでやんしょう！？」

　兵舎に来てた時。兵士に相対した時の反応。
　この兵舎に来る前に聞いた、ゼゼの故郷での出来事。ネクターの花を焼き尽くされた時の悲嘆。
　そしてラケルト達と相対した時のゼゼの戦い様。

　ゼゼは王の兵士達を憎んでいる。それこそ殺したいと思うほど強い怨恨を持っているのはもう、疑いようもない。しかし、

「おやびんが王さまも王さまの家来も嫌いなのは分かりやした！　けど……けどこの人もう戦える状態じゃないでやんす！
そんな状態の敵を討って何になるんでやんすか！」

「うるさい！　いいから離せ！　俺に、奴を殺させろ！」

「おやびん！」

　今のゼゼは普通じゃない。どうしてここまで殺気を滾らせるのか。
　
　――故郷の出来事に、まだ何かあるんでやんすか……

　ゼゼがかつて契約していたという、アイギルという名のエンブリオ。引っかかりがあるとしたら、それしかない。
　火の中に飛び込み、最後のネクターの花を守った以降の事。それをまだゼゼの口から聞いていない。　
　もしかしたら、それが怒りの源なのか。しかしそれを確認する術もなく、真相を知る唯一の存在は、烈火の如き怒りを鎮めようとはしない。
　
「バリオ殿！」

　名を呼ばれ、はっとして振り向く。
　背中側の通路から駆けつけてきたのは、ゼゼを探すために別行動を取っていたエンブリオ達だった。
　数は三体。コリトを先頭に、プレソが続く。そしてそのさらに後ろに、ベロキの姿が見えた瞬間、


「ベロキ！　奴を殺せ！」

　ゼゼが叫んだ。しがみつくバリオが目を見開く。
　唐突に名を呼ばれ驚くベロキだったが、しかし気絶した兵士を見た途端に、主の意図を理解した。

「――かしこまり」

　まるでその言葉を待ちわびていたかの様に艶然笑み、ブラックアニスは疾く動いた。エンブリオ達の中を抜け、ゼゼと阻むバリオの横を通過し、武装兵の元に。
　黒と金の瞳に酷薄な笑みを浮かべ、鉄の鉤爪を振り降ろす。

「させんでござる！」

　鉤爪の軌跡にコリトの伸ばす手が割り込んだ。そして水かきの付いた手は、兵士に触れるよりも早くベロキの手首をホールドする。
　腕力の差は歴然だ。コリトの手は肉を裂断する鋭利な爪を石のように固く抑えつけ、その進行を完全に阻む。

「なんのつもりかな、コリトちゃん。
主殿の言葉に背くなんて、忠義とかいいの？」

「左様……否定はしないでござる。
しかし今主殿の為そうとするは、仁義にもとる所行。主が道を踏み外そうとしているならば、心を鬼にしてお諫めする事それも、臣下の勤めにござる……！」

「道を、ねえ……ふふ」

　爪を引かないまま、ベロキは何が面白いのか、笑いながらコリトに言う。

「それでも私はゼゼちゃんの希望を尊重するよ。それがどんな事でもね」

「ベロキ殿……！」

「道を外そうが外すまいが、その辺はどうでもいいのよ。だってほっとけないじゃない？
あのゼゼちゃんが感情剥き出しにするなんてさ。だったら大人しく言うこと聞いてあげたっていいんじゃないのかな……？
だからさコリトちゃん。そこ退いてよ」

「意地でもどかぬでござる！
……主殿！　何卒、お考え直し下さい！　この様な真似にこそ、一分の義もござりませぬ！」

「そうでやんすよおやびん！　こんなことしたって、何の解決にもなりやしませんよ！」

「知ったことか！」

　力づく、ゼゼは遂にバリオの拘束を振りほどいた。

　何の解決にもならない。そんな事は先刻承知だ。

　コリトが叫ぶ。バリオが追いすがり組み付こうとするのを避けていなす。
　一歩、一歩と倒れた兵士に近づく。
　その歩みを今度はコリトが止めようとするが、さっきまで抑えていたはずのベロキがあべこべにそれを妨害しようと動く。
　バリオも今一度止めに入ろうとするが、その動きは全てゼゼに見切られている。突進の度に軽くあしらわれ、組み付く事を許されない。

　間もなくして。ゼゼは兵士の元に到達。
　覚醒の気配すら見せぬ兵士を見下ろし、爪を高く掲げる。

　――ようやく奴らにひとつ、報復ができる。

　歓喜と共に、爪を振り下ろそうとした瞬間。
　突如として冷水があたまから被せられた。
　周囲に飛沫が舞い散り、落ちる水が地面に弾けて一帯を濡らす。

　ずぶ濡れになったゼゼは静かに爪を下げ、ターバンから雫を滴らせながら、

「どう？　少しは頭が冷えたかしら？」

　周囲に流水の渦を纏わせ、プレソは表情を消そしたまま冷淡な声で告げた。

「プレソ。お前も、邪魔をしようっていうのか」

　その声音はさっきよりも幾分落ち着いたように聞こえたが、込められている感情は真逆だ。
　絶好のタイミングに文字通り水を挿されたのだ。その低い声の奥にはいつ噴火していてもおかしくない、煮えた怒りが存在している。
　それを理解しながらも、プレソはたたじろがず、真正面からゼゼを見据え言った。

「ええ。そうなるわね。戦争っていうのがどういうものか、少しは分かってるつもりだけど。
それを前提としても、今のあんたは見てられない。やり過ぎよ……」

　その言葉はバリオ、コリトの思いでもあった。
　バリオもプレソもコリトも。この一が始まってから、それなりの時間をゼゼと過ごしてきた。
　戦闘だけでなく、日頃顔を合わせながら、互いに知ること続けてきた。
　たわいもない会話。共に様々な場所に行き、わがままに付き合わせる事もあった。
　そして竹林の屋敷で何度も見た。故郷のためと飽きもせずに、丹念に花の世話をする姿。

　そんな主が、無情に命を奪う姿など見たいはずもない。

「どうしてよトカゲ。バリオじゃないけど、あんたらしくないよ」

「そんなものはどうでもいい……理由など、こいつが王の兵士というだけで十分だ。
それだけで殺すに足りる。」

「それがらしくない！　そんな短絡的な事、いつものあんたなら――」

「知った風な口を聞くな！」

　憤るままに張り上げられたその声は、エンブリオの誰もが初めて耳にしたほど強く、激しい色をしていた。
　その気迫にプレソ言葉は遮られ、この場に収まりきらずないほどの大声は、兵舎の間に反響する。

「何も知らされず、他人の都合で搾取され、生きる糧を奪われる！　その不条理すら、お前は頭で怒れと言うのか！！」

　限界を超えた感情が溢れてくる。
　故郷を離れてから、ずっと抱えて来た怒りが吐き出されていく。

「この一揆は何もかもが分からない……！　この段階に及んでも、何もかもが不鮮明だ！　王の目的も、何故ネクターを独占したのかも！」

　何でもいい。答えが欲しい。
　その答えが許せるか許せないかではない。
　理由もなく奪われたと、そう考えるしかないのがこの現状こそが許せない。

「何も分からなくても、怒りはある！　今そいつを向けられるのは、目の前にいる敵か！」

　――守り切れなかった、自分の無力しかないだろ……！

　何度悔やんだかもう分からない。
　自分が最後の攻撃に気付ければ。燃え盛る炎を目前にして倒れなければ。
　
　――俺がもっと強ければ、失うものは一つでも減ったはずなんだ……！

「……トカゲ」

「もう、これ以上の能書きは沢山だ……」

　右腕を持ち上げる。ゼゼの目が漆黒に塗りつぶされる。
　掲げた腕から、黒い蛇の影が九つ、腕から這い出し顕現する。

「蛇。バリオ達を寄せるな」

　ゼゼの背中。覆われた布のその下で。
　ヒュドラの持つ九つの首に備えた目が、一斉に開いた。

　瞬間。蛇の影が、凶暴に暴れ狂った。


　影は実体を持つかの如く、物理的に周囲を破壊する。
　バリオたちはその破壊に巻き込まれまいと、のたうつ蛇を避ける。
　その様子に目もくれぬままゼゼは空いた左爪を兵士の首へと添えた。

「ゼゼ！」

　叫ぶプレソの目の前、黒い蛇が直撃コースで迫ってきた。
　避けられない。そう悟った瞬間。

「やれ。これはまたよくわからん事になっているが、タイミングは悪くなかったか……」

　プレソの目前に迫っていた蛇。それを三本の腕が弾き飛ばした。
　
「イド……あんたどうしてここに」

　三本の腕を持つ、長身の動く死体。それの名を呼びつつ、プレソは問うと。
　イドは視線を上にあげてプレソを促す。空中にはパキラが浮いていた。

「あれにせっつかれて来てみれば、この有様だ。ゼゼに何があった？」

「話は後でする！　とにかく今すぐゼゼを止めて！」

「……」

　イドはプレソを一瞥すると、黒い蛇の嵐の中心にいるゼゼへと向く。

　やはり、よく分からんな。と呟き、

「まあいいだろう」

　三本の腕を構えた。

リザードマンの生態は分からないけれど、砂漠出身となれば彼等にとっては過酷なのには違いない。己の知識がどれほど役立つか分からないけれど

ほんの少し色合いが薄いとか、濃いとか、些末な変化であるかもしれないけれど。期待した弾んだ声で、あなたの御言葉に肯定的な言葉で返した。

道化る声は少女のそれだった。

灯は、頼花の肩までよじ登ってじっとオウラスを見つめている。
ちろちろと舌を出して、オウラスの鱗粉の香りを嗅いでいるようだ。

少し嬉しそうに、身振り付きで竜の大きさを表現する頼花。
頼花にとっては特別大きな竜だったらしい。

金の飾り糸を指でなぞりながら、匂い袋を口元に近づけて香りを確かめる。
灯は、匂い袋に顔を近づけると、
くしゅん、とくしゃみをして頼花の服の中に飛び込んだ。