SideB:小さなこの世界




　――心地良い春を告げる歌を歌う。春よ来い、春が来た。早春賦。さくらさくら。新たな生命が育まれる月日を、卯の月が早々と走り去っていく刹那の御歌を。

「……」

　そんな、歌を、歌おうと。――待ち合わせ場所である兵舎とある場所らしきところまで飛んで来た筈なのだが、…さて。

「　―――…、　」

　兵舎のへの字も無い。
　此処はいずこか、兵舎はどこぞ。
　ここは妖精の森、山付近の山道……もとい坑道ですが。

「……ハァ」

　今度から地図を買った方がいいかもしれない――偽は静かな溜息を吐いた。尤も此れは、地図を得ても迷うのだが。相等回数を重ねた箇所以外は、呪われてるのではないかと云うくらいに迷う。世界内の移動を行使しようと、現状正確なそれを行うにはあまりにもデータが無さ過ぎた。無論いけない事も無いのだが、広い広い城が聳え立つ城ダンジョンをどうやって初見でマップ完成＆クリアしろと云うのか。
　夜のとばりが訪れるには少し早いが、薄汚れた暗い道となる。鞄の中からカンテラを取りだし、偽は火を付けて坑道を往く。










　数分程だけ歩き続けて、ふと目をやった先には――双頭の竜

「―――‥、」

　……の、彫像があった。

「………うん？」

　此の地に纏わるものだろうか。山にこのような竜でも出てくるのだろうか、一揆が始まる前に、此処で労働する者が密かに彫ったものか。鶴嘴やトロッコ等と云った、如何にも坑道らしいものが見受けられるものの、誰の影も無い。機材がそのままで捨てられているという事は、まだ宝石の脈も生きているのだろう、おそらくは。
それはそうと、まるで生きた竜をそのまま石に変えてしまったかの様な、今にも双頭を擡げて動き出しそうな彫像の静かな荘厳さを灯りで照らしながら、じっと見上げ続ける。
　彫像を照る橙の灯りの後ろからは金色の煌き。偽のすぐ真後ろ、水の中に沈んだ陽光の欠片のよなものが水面の揺らめきに光を散らしながらゆらゆらと煌いているのが、振り返らずとも理解出来た。

　――嗚呼、もしかしたら、この彫像は水の中の金と魚を護る為のものなのやもしれない。訪れた者が悪戯に手を出さぬ様にと、誰ぞが残しておいたものなのやもしれない。
　其れ等は全て、偽の勝手な予想でしか無く、捨てて云えば妄想でしか無かったが。然し、そんな想像でも自分自身の中に浮かんだ疑問を払拭し、自らを納得させるには十分だった。自己満足げに頷き、彫像を照らしていたカンテラを下ろす。火の光が引けば、彫像を照るのは水に薄れた金色の微かな煌きのみとなった。
　淡い金色を受けた厳めしき彫像は恐ろしさを通り越していっそ神々しくすら見える。嗚呼、きっと此れが彫像の《在り方》なのだろうと、また勝手に納得した。自己満足した。
　そして足元には、闇がりにも透き通る深い湖。地下に吹き零れる僅かな風に水面は揺られ、水底にまろびる金色の光の影は、人としての視力が弱い偽にも確りと見て取れた。同時に、そんな煌きの上を悠々と泳ぐ、大量の魚の姿も。

「―――――…　」

　水を泳ぐ魚が肉食魚で在るとか、マーマンであるとか、そんな恐ろしさよりも。

　―――あの金の塊は古より深き永きに渡って眠り続けているのだろうか、水底に沈む陽光の欠片のよな金色も、金色の守護者の如くに悠然と泳ぎ続ける魚の姿も、ひらめきの一つ一つすらも、彼女の眸にはとても綺麗なものに見えた。

「……、…」

　兵舎に向かう筈が見事に迷子になったが、こんなに綺麗なものを見る事が出来たのだから、寧ろ迷って正解だったのやも。偽は水面を覗き込みながら、唇をそっと緩ませて、形の好い孤を刷いた。


　―――カサ　。


「……？」

　ふと、付近で何かが身じろぐ様な音が立つ。　水底に釘付けとなっていた視線を持ち上げて、辺りを見渡せば…今いる位置から少し離れた辺り、幾つか在る洞の内の一つ。其の奥の方に、きらりと光る筋とか、カサカサと蠢く大きな影が在るのを、視界に捉える事が出来た。
　察するに、蜘蛛…だろうか。巨大な巣を張った、巨大な蜘蛛。更に其の付近には一部を砕かれた岩石が在って、すぐ傍にはツルハシが投げ捨てられていた。嗚呼、恐らくは、あそこを掘っていた誰ぞが、あの蜘蛛に驚いて逃げてしまったのだろう。

「―――――」

　偽はじっと蜘蛛の動きを観察しながら、息を殺し、気配を絶つ。


　カサ、　　カサカサ、カサッ。


　巣作りに励んでいるのか、一向に離れる気配の無い大蜘蛛。絲を吐き、絲を紡いで絲をあやとる姿を、じっと見守り続ける。



カサ　、ガサッ　　……








―――――カサッ。　






「……！」

　蜘蛛が此方を見た。

「……………、」

　――見つめ合う事、数分。

「……ヒッ！」

　ドドドドド――なんて迫力の勢いで蜘蛛が巣から降り、突進して来た。

「――《リリス》は行使す。模倣を開く」

　――けれども焦らず。凛、と。透き通る聲が歌う。

「人型の傀儡を、剣を持て」

　骨色の指を地面に這わす。砂利に擦れただけでも破り裂いてしまいそうなうっすらとした肌。披裂した指から流れる血は糸を手繰り、赤色に染まるそれは、赤い宝石が輝く人形の形を以って突出する。ひるると旋風を歌う、片手に持つは仮想の剣。鋭き空想の剣が、人形の腕が狙ったのは蜘蛛の巣。其れで戦意を喪失さえしてくれれば、彼女としては何より有難かったのだけども、
　――ブツブツと千切られてゆく巣を前に、大蜘蛛は更なる怒りを煽られた様。チキチキと牙をかち合わせて憤怒を露としつつ、絲の雨を吐き出す。

「――ッ、…う」

　足首に絲が絡み付く。　しゅるると巻き付く純白の絲は絹の様にしなやかかと思えば、忽ち鋼の様に固まり始める。偽は咄嗟に自身の足に向けて腕を指す。急激な運動変化によって人形が引き寄せられ、本来ならありえない動きで絲を断たんと戻ってくるが、怒れる大蜘蛛は更に牙を向いて偽に飛び掛かる。

「ッ…、…ゥ、…っ」

　剣が絲が断てたのと、蜘蛛の牙が偽の脚に立てられたのはほぼ同時。されども偽は悲鳴を上げない。零れ掛けた悲鳴の一片すら喉の奧に確りと呑み込む。

「葛、蔓が与えるは戒めではなく、虐ぐと知れ――」

　言葉と共に、蜘蛛の八本の足を拘束する。坑道の地面から、壁から、偽自身から、埋もれた植物達がすべての動きをねじ伏せる。
　蜘蛛が、八本の脚をばたつかせてもがく。しかし使われた葛は容易に引きちぎる事は出来ない物。もがけばもがくほどに絡まる。

「……」

　蜘蛛の叫び声が聞こえるが、しかし少し経てばあれも解けてしまう。所詮、葛は葛。
　命を取る通りも無く、早いうちに逃げてしまうのが一番だと判断。痛む足を引き摺りながら、偽は立ち上がる。傷口に曝される風に、痛みに手間取る歩みは揺らぐ。此の程度の痛みならば慣れているのか、多少息を乱しはするものの、不平不満を洩らす様子は無い。




◇




　然し眼に映るものは何処も同じ様な岩肌ばかり。耳に聞けるものは滴る地下水の雫ばかり。

「……」

　掲げたカンテラを緩やかに下ろして、ほぅ、と短い息を一つ。――吐き出す吐息もまた、地底独特の冷えそびた空気に混ざって翳むばかり。
　静かの息の音が、冷たい大気の中に混ざり、絡む。刹那、偽の頬を、背筋を、大気の其れとは異なる別の『何か』が、そっと横切って頬を掠めた様な気がした。

「――、……っ」

　冷たい氷の舌に舐められた様な心地。ぞぅっと背筋を震え上がらせてから肩を竦め、そうして思わず後ろを振り向く。――が、何も、無い。

「……ん」

　はたして気の所為で在ったろうか。頚がかくりと傾いて、振り向いた先にカンテラの光を射して遣る。
　――すると、灯りを照らした先には、看板が在った。

「…　…　、　」

　“　ルリアンナ募金箱〜募金すると良い事があるかも(はぁと)　”唇が小さく動いて、看板に書かれた文字を読み上げる。
　……が、途中まで読み上げた処で、灯りの矛先をすぅいとに余所に向けてしまう。生憎と、己の目当ては看板では無い。
　地の内の薄闇の中、彼方此方と揺れるカンテラの明かりはまるで迷える星垂るの様。温かな橙の灯火がゆぅら、ゆぅらと闇の中に揺れる。揺らめく。
　けどもふと、迷い火を動かす手がぴたりと止まり、灯りはある一点を照らす。
　偽は眼をなるたけ細めて、灯りの先をじぃっと凝視した。
　時折はたはたと静かに身じろぐ皮膜の様なものは、蝙蝠の羽の様にも見える。だが羽の付け根に在るものは毛に覆われた小さな獣の様な形…では、無く、

「…　っ　……ぁ、　」










　――まるで、人の生首の様な。　一見するとまるで蝙蝠羽を持つ人の生首。








　咄嗟にカンテラを引いて小さく聲を上げたが、其れは其の魔性の姿対する恐怖や嫌悪では無く。

「…待、…待ッ、…――…　ゃ　、　っ　…」

　――単に、飛び出して来たキメラ達の熱烈な歓迎っぷりに、驚いただけである。

「…っもう…、解った、っ、…解　、　――ッ…ははっ、擽ったいって、っ」

　一体彼女の何をどう気に入ったのやら、偽の至る処に柔らかく体当たっては生首めいた躯を寄らす魔物達。ある者は布の中に身を押し込んでしまおうとすらするものだから、偽は翼ではたはたと頬を　叩かれながら堪らず声を上げた。其れは其れは、至極嬉しげな、至極楽しげな声。
　其れでも尚、魔物は彼女に群れる、群れる。更に群れたものの内のどれかが仲間を呼んだのか、坑道内の四方八方より羽ばたいて来る、大量のキメラ達。
　折角安心できそうな場所まで逃げ込めたから休まると思いきや。完全に体を休めるまでには時間がかかりそうだった。





◇





　足は進む。また進む。小石や砂利にまみれた坑道の道を行き、往き。

「―――クス」

　よく磨かれた硝子のよに、薄氷纏った湖の面のよに、滑れる床でも歩く。歩く。
　歩く為に差し出した爪先が、まるで其処を歩いていないよな、軽やかな足取り。軽やか過ぎる足取り。
　黒姿の音の無い足の代わりに、髪に結んだ鈴玉が、幾つも幾つも冷涼の音を震わせる。


　リン、リリンッ、リィーン。


　巨大な土の空洞の中に、幾多数多と反響する、鈴の音。――重なって聞こえるのは、幾多数多と重なった、小さな何ぞの、羽音。
　羽音を耳に拾って、ふと足を止めた。　……が、

「……？」

　鈴の音が止むと同時に、今度の来訪者はこちらに来ず。羽音もいずこへと失せてしまった様。
　幾ら息を殺しても、耳を済ませても、拾えそうな羽音はもう何処にも無い。

　――代わり、羽音が聞こえたらしき方向には、やや大きめの岩塊が在った。表面には、何かの鉱石と思われし石も。

「……嗚呼」

　偽は岩に近付きながら短く聲を漏らした。カンテラを掲げ、目を凝らして見れば見るほど、聲を漏らした後の息が戸惑い気味に震える。
　石の形状が、やや平ら過ぎるのだそっくりそのまま剥がせれば拳大程の大きさにもなろうが、問題のその石は丁度、母石となる岩の窪みに埋め込まれるようにして成っていた。周囲の岩を崩して採掘すれば取れない事も無いだろうが、所詮素人腕。カンテラを掲げたまま岩の周囲をくるくると周って思案する。岩全体の形状を観察して、石の成り方を観て、そして時折は指先で岩の肌をなすり、質を確認する。

「……ふふ」

　そうして、ご機嫌な笑み。
　どうやら石を成す岩塊は火成岩の様な、沢山の鉱物粒子から成るものの様。指でなすった表面は容易く解れて砂と化し、ざらりとした触感を与える。大分脆い性質の岩の様だ。此れなら巧く掘り出せる。
　カンテラを下ろして、床に置いた。空いた両手を猫目石に触れさせて、そうっと息を飲むために唇を開く
　小さく、小さく。何かに囁く様に小さく、ゆらゆらと。ふわふわと。坑道内に漂ってうつろう。
　まもなくすれば、片手にカンテラを握り直す。

「…………♪」

　そして片手に探索品を携えて、意気揚々と鈴音を震わせた。


　――――小終止したら、次はきちんと兵舎に向かわないとならなかった。

一つの人影がそちらをじーっと見つめている……

やがて周りを何かを確認した後にそちらに近づいてきた。

そちらの方が面倒は少ない様に思えた。

そう、尋ねた。行く気は無さそうだが。

安定していないという事。雲のようにふわふわとしているという事。
形が定まらず、混沌としているという事。

単純明快な論理だった。
己が己であると認識しているならば、それで良いという。

見た目からして避けたいものだけど
味は結構いい方らしい。

　何となくだけど、彼女の語り草からして。異世界から来たのかな、とは思った。

　歳に関しては、神妙な表情で頷いた。

　今でこそ、色々と聞かせてくれたり、性格について励ましてくれたり、歳上だと思わなくもないけれども。
　僅か、たどたどしくなった口調には、少し心配そうに。

そう言った意味では、偽は巻き込まれなくてよかったのかもしれない
なんて思っていたが・・・