「なぁに？」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―――― 頭のなか



　気がついた時にはそこにいた。そうとしか言い様がないくらい唐突に、それは私の前に現れた。
　コノエを見ると何もかも解っている顔で頷く。私も頷いて『それ』に向かって静かに歩を進める。

　　　　　　　「こんばんは」

　穏やかな微笑みを浮かべているのは『フォッセグリム』だったはずのもの。
　女性らしく肉付きのいい身体に赤い薄衣を纏い白いヴェールを身につけている。瞳は赤く、髪は煌めく銀。どこから調達したのか解らないけれど眼鏡をかけていた。
「不思議ね、貴女をよく知ってる気がするの」
「奇遇ね、同じことを言おうと思ってたわ」
　響く声は低めで落ち着いている。でも最大の特徴は、その声が頭に響くもので身体が仮初……確たる肉ではないこと。
　これは文字通りのエンブリオ――生れ落ちる前の、曖昧な何か。


　メルンテーゼを訪れる前にコノエと話していたことがある。エンブリオという言葉の意味について。
　私が知る意味でなら、胚。未だ母の胎にありながらまだ子とは言わない段階の。
「ネクターは解らないけれど語源とされる言葉の意味は『神の食物』」
　その意味は酒、霊薬とあるけれどつまりは『滋養のある液体』。
「滋養と生命力を捧げることで得られる『胚』ですか」
　私とコノエは全く同じ考えに行き当たった。エンブリオとは胎児ではないか、と。
　その時はそれで終わりだったし、とりあえずの結論が得られればよかったのだ。一応の警戒として契約の形式に気を遣いもした。

　私たちはエンブリオを喰う。

　エンブリオを『属性を持つ力』として完全に取り込むのだ。解約する時は元ある魔力に溶かしこみ、つまり消化してしまう。
　例外は絶対服従を誓わせたヴィンテや元がエンブリオではないカーラ、そしてアリジェ。他のエンブリオは既に個を失っている。
　そう、若い男の姿をしていたフォッセグリムは個を失い力として私とコノエの中を巡っていた。


「名前はあるの？」
「多分ないわ。貴女と貴男が私に身体をくれたから」
　生まれたてなの。とコノエに向けても屈託ない笑顔を見せる。どこまでも悪意のない、警戒もない顔だ。
　懐かしいような、胸が締め付けられるような。近くに居るととても心地いい。なぜかと考えれば魔力の波長がよく似ていることに気づく。生命力を捧げているコノエはともかく、無関係なはずの私になぜか似ていた。
　むしろ全く同じかもしれない。けれど何かが違う。
　逆だろうか。互いを埋め合えるほど別々なのに驚くほど馴染む。絡み合いお互いに高め合うような。
「そうね、じゃあエルヴェアなんてどうかしら」
　渦巻く感覚は口に出さず提案した。エルヴェア、と神妙な顔で彼女は呟きこくりと頷く。
　何か致命的なことが起こったような。そんな予感がした。

　　　　　　男はそっと指輪に口づけた。

　　　　　　男はそっと指輪に口づけた。