テントの中まで凍りつくような厳寒の日だった。
外は雪しまきで、自由に動けるような状態ではない。

行軍しようにも毛布でまるまっている猫がいたり
念波を飛ばしてくるアリクイ人形がいたりするので、
私は凪が来るまで戦闘分析などを片づける事にしていた。

ちなみに小僧は、
「これくらいの雪時雨なら市場に買い物行けますね、今年は暖かくて本当に良かった！」
などとのたまっていた事を追記しておく。

普段は戦場分析などに追われており、
また戦術に関しては私よりも適役がいるためか
自分の戦闘分析はおざなりになっていた部分はある。
大本営もこの悪天候で満足に動けないらしいから、今のうちに整理しておきたい所だ。

目が滑るのを修正しつつ、じっくりと書類に目を通す。
闘技大会などは重要な対人資料だ。

「……あれ？これ、陣が打ち消しあってる……？」

予測より大幅にパワーダウンしている結果を見て、私は首を傾げた。
私の間抜けな声を聞いて、小僧が近づいてくる。

「賜りが作用していないんですか？」
「いや、恐らく作用していると思われるが、予測とは大きくずれている。
　大本営の出してきた資料だからそれなりに信頼性はあるだろうし。」

大本営は一揆に参加している者を対象に、申請すれば自分の行った戦闘の分析資料をくれる。
考察なしの大雑把な資料だが、ルリアンナ嬢肝入りのプロデュースだからかなり情報精度は高い。

「そうだな……帝釈の陣が完全には発揮されていない感じか。
　私は攻撃系の陣には影響を受けにくいが、それでもあるとないとでは大違いだからな。」
「えーと、つまりは攻撃力が低いと？帝釈陣なら初手は無双できる筈ですからね。」
「ふむ、陣が発動していないわけではなさそうだが……。」
「もしかしたら毘沙門陣に上書きされているのかもしれません、ちょっと調べてみます。」

そう言って小僧は大辞典をめくりはじめる。
ちなみに帝釈陣、毘沙門陣というのは外来語らしい。
エンブリオによる賜りが契約できるようになってから名称が落ち着かなかったが、
変わった格好の大魔法使いが賜りの儀式を体系化したので
その時の名称をそのまま使っているそうだ。

「どうやら、賜りは効果の系統が重複すると先に召喚された方が優先されてしまうようです。」
「エンブリオの召喚順にまで気を使えと。」
「普段は契約した順番に並んでいますから、そんな意識とかしていませんでしたけど。
　時間もあるし、順番を整理してしまいましょう。」

すごく面倒そうな事をさらりと言ってのける奴だ。

「それは、エンブリオと再契約するというのか？」
「いいえ、エンブリオを統括している『無貌の蒼頭』に申請するだけです。
　我が君との契約には『無貌の蒼頭』のサポートがありますから、
　エンブリオ関係の問題は『無貌の蒼頭』に申請すれば解決するはずですよ。」

そんな便利なものがそうそうあるわけ……。
そう突っ込もうとしたが、『無貌の蒼頭』と聞いて言葉を止める。
技の封殺でよくお世話になる『無貌の蒼頭』だが、今までどんな存在なのか殆ど情報がなかった。

「その申請というのは、すぐに出来るのか？」
「要領は戦場のエンブリオ召喚と同じです、我が君を喚んだ時よりはずっと楽ですよ。
　今日は多少悪天候ですが、まず問題ないでしょう。」

やはり外でやるのか……。
若干げんなりしつつ、私は小僧について行くことにした。

◇◇

丁度、雪は少し凪いでいた。急いで私達は準備を始める。
小僧がネクターの果汁を混ぜてあるインクで凍土に魔法陣を描き始めた。
地元以外ではなかなか手に入らない、貴重品だそうだ。

魔法陣にネクターを軽く振りまいた後、呪文の詠唱に入る。
私は左の手の甲をかざしてはみるものの、殆ど何もしていない。
戦場でのエンブリオ召喚にはインクで魔法陣を描いたりはしない為、
『無貌の蒼頭』がいかに高位な存在であるか伺わせた。


捧げられたネクターが輝き、噴き上げられてゆく。
魔法陣と手紋が共鳴し、こちらにも大きな霊圧がかかった。



呪文詠唱が終わると、吹き荒れていた風が魔法陣中央に収束する。
天に昇ったかと思うと、どこにともなく霧散していった。

後に残ったのは、
半面の仮面を身につけ機関銃を抱える、セーラー服の少女だった。
予想外の姿に私も小僧も動揺する。

「ちょっと待て、『無貌の蒼頭』を招聘したんだよな？」
「そうですよ、専門の呪文で喚んだ筈です。
　どうしてドールのエンブリオがここに居るんですか！？」

そう、居るのはドールのエンブリオだった。
ドライアドも似た感じだったが、オーラの色が若干違う。

「大体、僕が我が君を召喚した時は別の姿でしたよ？
　別の姿というより、形が定まっていないようでしたけど。」
「形が定まっていない？」
「とりあえず人型ではあると分かりました。
　元々『無貌の蒼頭』は、定型を持たないと聞いてはいたのですが。」

定型を持たないのならば、あれは仮の姿なんだろうか。
何故ドールの姿を利用しているのか分からないけれども。

召喚された『無貌の蒼頭』は、
眉ひとつ動かすことなく鬱陶しい目でこちらを伺っていた。
小僧の召喚するエンブリオは皆そうだが、目に生気がない。

「……そもそも、『無貌の蒼頭』とはどういう存在なんだ？」
「地元に住む上位のエンブリオで、人とエンブリオを繋ぐ存在だそうです。
　とは言っても意志疎通が出来ないので、存在を知る人は極まれですが。
　僕もエンブリオの研究をしている貴族様から聞いて初めて知りました。」
「意志疎通が出来ないのに、エンブリオの調整とか出来るのか？」
「話し合うわけではないんですよ、僕の意向を反映させるだけです。」

小僧は追加のネクターを魔法陣に投げる。
ネクターは瞬いたあと、四散して目の前の少女に吸い込まれていった。

「それにしても上位のエンブリオが他のエンブリオの姿を借りるのか。
　つまりは、『無貌の蒼頭』はある程度エンブリオを支配していると言えるのかな。」

余所には自主性溢れるエンブリオも多いが、
私達が召喚するエンブリオとは存在からして違うのかと
小僧の詠唱を聞きながら、私はぼんやりと考えていた。

◇◇

ここで少しエンブリオについて整理してみよう。

予め大本営が情報を公開しているエンブリオ以外は
戦場で戦って勝たないと契約する事は出来ない。それは誰も同じだ。
その後エンブリオになれる魂と契約し、必要な時に再召喚する。
型式が合致していれば戦場に召喚は可能だが、
正確に真名を呼ばないと真価を発揮することはできない。

エンブリオは戦場に出さずとも『賜りの儀式』を通じて力を借りることができ、
召喚してしまえば『干渉者』と同じく前線に具現化する事も可能。
戦闘不能になったら具現化は解けるが、
前線から下がるだけで存在がなくなるわけではない。
戦闘が終わったら普通は元にいた世界に還す。

普通は再召喚される時には契約した時とは別の姿なのだが、
今回は一旦契約時の姿の後に想像もつかない変化を遂げた例もある。
小僧曰く、こんな例は聞いたことがないそうだ。

恐らくエンブリオの動力源は『召喚者』の生命力。
傍目にはネクターを喰らうように見えるが、
ネクターは触媒の役割を果たしており、『召喚者』の生命を引き出しているのだろう。

では、『無貌の蒼頭』は何をする存在なのだろうか？

『無貌の蒼頭』は今のところ封殺係として使っていた。
指定さえすれば、人とエンブリオの作用回路を遮断する事が出来るのだそうだ。
人とエンブリオを繋ぐ役割があることは、さっき小僧から聞いた。

明確な意思表示をしない、謎に満ちた存在。
上位のエンブリオであるならば、思想を持つ程度に知能は高いように考えられる。
召喚に応じる姿にドールを選んだあたり、何か作意があるのかもしれない。

――そういえば、私はかつて警告を受けたのではなかったか。

革命論を語る小僧に、その視野の狭さを指摘した時だったろうか。
かつての私の姿で、人のトラウマを抉るような言葉を受けた気がする。
あれは、『無貌の蒼頭』だったのか？

「『無貌の蒼頭』よ、いくつか聞きたい事があるのだが。」

一通りエンブリオの調整が終わった所で、私は口を開いた。


「汝に問おう、人にその力を与える目的は何だ？」


小僧ははたと動きを止めた。目の前のドールは反応しない。

「そちらとしても何か得るものがあるから協力するのだろう？
　差し支えなければ答えてもらいたい。」
「我が君、『無貌の蒼頭』とは意志疎通が……。」
「本当は伝える術を持っているのかもしれんぞ、使わないだけで。」

もし私に警告してきたのが『無貌の蒼頭』であるならば、
意志疎通が出来ないという前提は崩れることになる。
私は明確に、『無貌の蒼頭』の意志を聞いたのだから。

ドールは指ひとつ動かさなかった。
機関銃を抱いたまま、何も言わずに私を注視し続けている。
そのまま10分くらい経っただろうか。

ほろほろと雪が振りはじめ、素のままの手に冷たいものが落ちてきた。
集中を解く気はなかったが、
我に返ったその一瞬の隙をついて、『無貌の蒼頭』は姿を消していた。


To Be Continued......