それは小さなガラスの瓶に入っていた。
　水分を失い。固く乾き。色を失った香草と花弁の残骸が透明な容器の中でひしめき合っているのが見て取れる。
　俺が持ってきたそれを、相棒は怪訝な表情で観察していた。
　これは一体なんだろう？　なんのためにこんな萎れた花を保存しているんだろう？　徐々に瓶に映ったアイギルの表情を見てそんな事を考えつつ、瓶の蓋へと手をかける。

　軽く回しただけで蓋は回った。そして隙間から染み出した予想外に濃密な香りにアイギルは驚き、瓶に近づけていた顔をぱっと離したのだった。


「これは、なんだい？」

　乾燥させた香草や花を詰めたものだ。ポプリ、というらしい

「これがそうなんだ……合間を見て何かをやってるのは知っていたけど、これを作っていたんだね」

　お前が新しいものに目を向けろというから、一つ試してみた。ニンゲン達はこれを香剤にするらしい。

「ふーん。ところでこれは君が使うのかい？」

　冗談を言うな。俺にそういう趣味はない。

「誰かへの贈り物かい？　集落のメスとかに」

　そのつもりもなければ贈る宛もない。妹に至っては香りが濃いと嫌がっていたくらいだ。

「それなら何に使うんだい？」

　……。

「使い道、考えてなかった？」

　……これから考えればいい。

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　しかし結局。この時作ったポプリは何かに利用されることはなかった。というのもやはり香りが濃すぎた。香草と花の組み合わせが悪かったらしい。
　だが俺とアイギルはこの後も何度か共同でポプリを作っていた。特に実になることもなかったが、生育した花の活かし方の一つには丁度良かったと思う。

　これが何かの役に立った試は正直なところ一つもなく、そしてこれからもそうだと思っていた。が――



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　まさか。無駄と承知で続けていた事が、活かせる日がこようとは

　――妙な巡り合わせもあったものだ。

　数種の香草が織り成す香りに、呼び起こされた思い出の一日。
　こみあげてくる懐かしさに、ゼゼは黄金色の眼を薄らと細めた。

　彼の砂色の掌には、赤いの布を織って作られた三角錐型の手芸品が一つ乗っている。
　匂い袋。あるいはサシェと呼ばれる香剤入りの袋。

　それを感慨深げに眺めていると。傍らで作業を続けていたコリトから声をかけられた。

　言って、コリトがゼゼへと差し出すのは紐のついた濃紺色の三角錐。ゼゼが今手にしている物とは色違いだが、これも匂い袋だった。

　御意に、とコリトから差し出す布の小袋を、ゼゼは受け取り手の平に。
　爪を立てないように注意しながら袋を転がし、錐体を眺める。濃紺の地の隅を金色の糸で飾られた各面は、几帳面に全て同じ長さで整えられていた。どれもしっかりと縫い付けられて綻びもなく、中の綿が露出している形跡は一つもない。
　上出来だ。そう思うと、ゼゼは満足げにコリトへと言葉を贈る。
　

　コリトは平伏せんばかりに恐縮する。
　だが、頭を下げたいのはこっちの方だ。心底そう思うほどに、ゼゼはコリトへと強く感謝していた。

　

　遡る事数日前。練習試合で出会い、そしてオウラスが妙に懐いたのをきっかけに交流していた花火師の娘との会話の中で出た事だった。
　自身に付いた火薬の匂いを気にしていた彼女にと、オウラスがゼゼに匂い袋の作成を提案したのが今回の発端だった。

　ゼゼも匂い袋がどういった物か知識を持ち、また香剤となるポプリの作り置きも存在したため請け負ったのだが。
　いざ裁縫となると、指に針を刺すは、爪を布に立てて駄目にするなど悪戦苦闘の連続。
　
　仮にも一揆に参加し、数多くの異形たちを下してきたはずの者が、たかが摘まめるほどの布袋ひとつ満足に始末できないという体たらくである。

　容易に作れるとタカを括っていた。だが困難とはいえこちらが快諾した以上、無下にする事はもってのほか。

　そんなこんなで、ボロになった布を手に途方に暮れていたところ。ひょっこりと現れたコリトがこう言ったのだ。

　――その匂い袋とやらの製作。拙者にお任せいただけませぬか？　

　まさかコリトからそんな言葉を聞くとは思わなかった。それに腕前についても最初、ゼゼは半信半疑だった。何しろコリトも匂い袋がどういったものかも知らなかったのだ。
　コリトの手を見る。水を自在に泳ぐカッパらしく水かきのついた手と、自分の鋭い爪のついた硬い手とを見比べて思う。

　――少なくとも、布を破くことは無いだろう。

　駄目で元々。そんなつもりでゼゼはコリトへと作業の引継ぎを任せた。
　概要の説明。吊れるように紐が欲しいなど。簡単な説明を終えると、コリトはすぐさま作業に取り掛かり。
　そしてゼゼは、自分よりはマシだろう、という前評価を一瞬にして改めた。
　水かきの付いた手は慣れた手つきで布を断ち、糸を巧みに操り、ゼゼが目を見開いている間に一つ目の匂い袋を完成させてみせた。
　聞けば、いつも被っている笠も、その中に詰められている綿の袋も損傷するたびにコリトが繕っているらしい。
　その要領問題の云々は門外漢であるゼゼには分からない。だが、どんな理由であれこれで自分の面目は立たせる事は出来る。
　そんな具合に一安心した、丁度そんな折だった。

　部屋の戸が開くと、プレソが顔を覗かせる。すっかり馴染んだ二本の足でやって来ると、ゼゼの手にある二つの布袋を見た。

　あまりにそっけない感想に、ゼゼが不満そうに顔を顰めてみせると、プレソは呆れた様にため息を一つこぼした。

　押し黙るゼゼ。こればかりは言い返しようがない。

　プレソの言は至極正論。勝手に出来ると思い込んだ些事が、その実己の身に余る事だったなど情けないにも程がある。
　今回は面目が立ったからいいものの、二度と安請け合いはすまいと思いつつ答える。

　まるで主従の間柄が逆転したようなやり取り。しかしもう既に見慣れた光景。

　――いつも通りでござるな。

　
　すぐそばで二人の会話を眺めるコリトは、微笑むようにそっと吐息をついた。
　

　不覚、気付かないうちに顔に出ていたらしい。

　なるべく平静を保った声で、また潔白を示すように笠を上げて真っ直ぐにゼゼと向き合おうとする。
　だが隙を見せた脇腹を小突くように、プレソからの横槍が来た。

　ほう、とため息をつくゼゼ。その目は心なしかさっきよりも幾分か鋭さを増しているように見える。

　墓穴。

　降参とばかりにくずおれるコリト。その狼狽え切った様子を、ゼゼとプレソは意地悪く笑う。

　いつでも構いませぬ、とコリト告げるとプレソも満足げに頷き返し、

　そこに自分の希望を添えておく辺りちゃっかりしたものである。

　ケチ！　と文句を言うプレソ。それを適当に流すゼゼ。
　これもまた見慣れた光景。同時にあることが当然となっていた会話。

　――願わくば。一揆の後も皆一緒で居られることを

　ここでの暮らしを気に入った者の一人として。
　コリトは一人ささやかに願うのであった。

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　……楽しいな。

　こうしてとりとめない、たわいもない会話を続けることが。

　攻城までの間。束の間の平穏だとしても、どこか満たされてしまう。
　これが続けば、いいと。

　戦の最中であることを、忘れてしまいそうなほどに。

　つくづく思う。自分の性分は戦に向いていないと。
　強者としのぎを削り合うよりも、こんな何もない時間に浸っていたいと思ってしまう。

　やはり氏族長の決めた通り、妹が参加すれば良かったのではないか。そう考えたことは少なく無い。
　自分などよりも、よほど強いあいつならば。この下らない戦を早く終わらせることも出来たのではないか――

　……やめよう。こんな考えは。

　これは自分で選んだことだ。
　今までの位を捨てて、レプト――奴隷同然の身分にまで成り下がったとしても。

　これは俺だけの望みなのだ。

それを頭の中に浮かべたのか、どこか複雑そうにいいました

想像してげんなりしたらしい。いかんせん面倒な話である。

言葉であれ物であれ、心遣いであれ、私にもよくわからんと肩を竦めて見せる。

私とではなく、お前達の間で、と彼は小さく付け加えた。

どこか、嬉しそうに語った。

いやにリアルな想像だった。

もちろん、頂点を得ることができるかどうかはまた別であるが。

様子が少し変わったのか　ちょっと前の少女と雰囲気が違って見える

夢は見ない



そう少女はポツリとつぶやいた

ちょこんとお座りしてしっぽをうねうねさせる。