■ むささび小僧（一）

「今度はどんな妖怪でえ」とマニー親分。
またしても乾分のハチベが怪しからん話しを持ってきたってわけだ。
「いやいや、今回のはどうやら化け物じゃないらしいんですよ」とハチベも取り成す。
「でもお前、今なんとか小僧って言ったじゃねえか」と、親分はしっかり聴いていたのだった。

ハチベの言っていたのはむささび小僧って奴だ。
ちと間の抜けた名前だがその実態は恐ろしい。
そいつは妖怪ではなくて世間を騒がせる大泥棒らしい。
闇夜に紛れて一揆の連中の懐を掠め取るところまでは普通の盗人と同じだが、
恐ろしいのはそいつが逃げる時の異様さにあった。

むささび小僧はその名の通り、空を飛んで逃げるのだ。



「飛ぶってこたぁ、そいつは盗人じゃなくてお前みてえなえんぶりおじゃねえのか？」
と、親分は訝るような目で横に浮かんでいるハチベを見た。
一行はお城の奥へと続く長い廊下を進んでいるところだ。
辺りには不自然なくらいひとけがなく、城を守るはずの侍たちも見かけねえ。
一揆の連中が押し掛けて来たので本丸まで後退したのだろうか。

ともかく、それより今はむささび小僧が問題だ。
「じょ、冗談じゃねえですよ。そいつはちゃんと足のある人間だそうで」
「城の物の怪たちもこの辺にはいなさそうだな。ということは一揆隊の誰かってことけえ？」
「お城のものを盗むならともかく、味方から盗むなんてのはふてえ野郎ですよ」
「莫迦、誰から盗もうと盗人は盗人だぜ」

と、そんなことを話していると前の方の廊下から人の騒ぐような声が聞こえて来た。
廊下の先は丁字路になっていて、親分たちはその岐路に向かって駆け出した。
するとそれより一歩早く、弓手から黒い影が飛び出す。
それは走りながらちらと親分へ目を向けたが、そのまま馬手へと駆け抜けた。

「なんでえ、今のは？」
と呆気にとられた親分たちの元へ、また左側から今度はどたどたと大勢の足音が響く。
それは数人の屈強な一揆隊の連中だったが、親分たちと危うくぶつかる手前で急停止した。
「アッ、これはマニー親分、丁度好いところへ」とその中のひとりが声を出す。
流石は名の知れた親分、その力が必要な事件が起こったらしい。

「やられました、むささび小僧が出たんですよ！」と、その男は叫んだ。



それを聞いた親分は、間髪入れずに黒い影の逃げた方へ走り出す。
手下や一揆隊の者たちも後に続いた。
「さっき通ったのがむささび小僧なら、確かに化け物じゃなく人間みてえだな」
「ええ、黒尽くめで覆面をしてましたが、やっぱりちゃんと足がありましたね」

と、そうしてしばらく走った先で廊下はまた曲がり角になっていた。
逃がすものかとその角へと急ぐ一行の元へ、今度は絹を裂くような女の悲鳴が聞こえて来た。

「どうしたッ！」と親分たちが角を曲がるとそこは両側に窓がついた渡り廊下になっていて、
道の先には先ほどの悲鳴の主である女を先頭にした別の一揆隊が立ち尽くしていた。
かれらは窓の外を見て目を丸くしているらしい。

親分たちもそこまで走っていって窓の外に目を向ける。
外は崖で結構な高さになっており、下からは微かに川の流れる音が聞こえる。
もう夕刻で薄暗いためにはっきりとは見えないが、確かにそこには何かがいた。
何か黒いものがふわふわと浮かんでいて、ゆっくりと下の方へ降りていくようだ。

それは確かに、先ほど見た黒装束のむささび小僧のようだった。


「親分、ありゃあ…」とハチベが息を吞む。
「ああ、確かに人間が飛んでいるようだな」と言う親分もただ見ているだけしかできなかった。