溺れてしまいそうな暗闇の中で息をした。静かに、大きく。一回、二回と繰り返す。舌の根が渇いてひりひりとする。鉄の臭いが鼻腔をくすぐる目覚めだった。気分は言うまでもなく。

「……最悪」

ポツリと漏れた言葉は自嘲じみた苦笑で。偽者はぼんやりと天井を見上げると、微量ながら燭台に灯された影、自らの肢体が映されていた。少し崩れた垣根でいびつに影が揺れていて、何と醜い。
背中から『生やした』植物のつるが陽炎のように揺れる。陽を求めて立ち上り根を張り巡らせるそれは、一晩の命と消え入るように、ガラスのように壊れそうで、瑞々しい色を帯びていた。
――開きっぱなしのドアが、キィッと音を立てる。
ほんのりと渇いた空気が蔓延る。目が覚めてから感情に訴える次に思う事。喉が渇いて潤いを欲する。しかしそこに透明な水は無く、血の臭いが染み付いているばかり。獣が喰い散らかした残骸や、ココで息絶えた者の屍。その傍らで眠りこけていた自分の、なんと大胆なことか。

「……あぁ…失敗した」

頬に赤い色が乗った。手に付いていた血が、目を擦った拍子に付いた。目には入らなかったが、気分は滅入るものがある。うんざりとした様子で、また深い溜め息が出た。
ぼんやりと瞬きを繰り返して考えた結果、この血は人ではなく動物の物だという事に行き着いた。人のものよりも、癖のある獣臭さがこれにはある。
アンデットならばもう血も渇いているし、魔物なら赤い血を流す個体も『今』の地下牢に住む生きものなら少数。嗅ぎ慣れてしまった獣のものと記憶が合致する。
地下牢に続く道はじめじめしており、砂漠に通ずる道は渇いており。その中間辺りで寝通していた。
誰ぞ曰く鬼退治の為に砂漠くんだりまで向かったは良いものの。合流するのに手間をかけてしまった。少し遠い進行になるからと、目印になる砂漠の地下牢への道を目的地に決めていた。
そこで昨晩から寝泊りを敢行していた、が。無論良い空気なわけでもない。

「ん」

ゆったりと腰を上げる。
大きく両手を伸ばして欠伸をした。

「……早く　うえ　に」

誰に云うわけでもなくごちて、立ち上がる。足早に着替えを済ませてから、覚束ない足取りで部屋を出て、上へと続く階段を上る
一段ずつ、着実に階段を上ればやがて砂漠の世界へと向かった。


◆


からからに乾いた空気と、ピリピリした感覚が肌を突き抜ける。眩しい日差しが刺す様にこちらを射抜く。
フードよりひょこっと顔出せば、辺り一面黄金の波打つ世界。白銀の世界と違ってそれは美しさに欠ける名ばかりのもの。
砂漠出身のリザードマンから教えて貰った対策をして砂の大地を踏みしめる。

「……暑い」

鬼退治……ではなく鬼を狩る為に。獣人2人とスライムと少女と植物が結託した。
およそ桃から生まれた童話の住人も真っ青な面子。否、スライム――アルキメンデスは元々青色であるが、その額にあたる目元辺りからは汗を帯びた透明の液体が流れている。今にも溶けてしまいそうな危うさを持ちながら、絶えず潤ったその身は言い知れぬ風貌に見えた。
他の者もまた暑い、と口々に呟いていた。しかしどこまで口にしようと暑さは収まる筈もない。汗ばんで張り付く衣服がきもちわるい。



すると砂漠の海から手が生えてきた。

「な、何だ……」

ノエルが警戒の声を上げると同時にその体全てが地上に上がる。突然の強襲に「うわっ！？」と一驚し、反射的に鎚を構えながら彼は後ずさりする。
まるで待ち構えていたかのように、地中に埋まっていたミイラがこちらへと這いずってきた。
それを合図にしてか、物々しい音と怒号が響く。周りに生えていた沢山のサボテンが唐突に振り返って動き出す。どうも背を向けていたらしく、良く見ればサボテンはガンマンのような風貌をしていた。テンガロンハットだかリボルバーだかを前面に装備していたらしい。
そしてサボテンの間にノールが一匹見えた。犬のような顔をした厳つい獣。先ほどと同じ怒号の声を上げていることから、ノールがこの魔物達を統率しているらしい。
こつ、と4つ背中が当たった。何時の間にか敵に囲まれていたらしい。

「…この中に　オーガ　います　か？」
「いませんねー」

狐瑠璃がゆるりと見渡してからひいふうみい、と数えて教えてくれる。

「どうしましょうかねー」
「そんなの簡単さ！　邪魔をするなら押し通るだけだよ！」

足早に剣と盾を構えたアルキメンデスが一歩前に立つ。

ノールの声は幾許かの憤怒を宿していた。合図を皮切りに、サボテンとミイラ達が一斉に此方へと飛び掛る。
それなりに知能がある上に、そこそこの戦力をもっているのだろう。相手の手持ちの数は分からないが、おおよそ力量の差は歴然。

「うぉぉおおお！！」
「……！？」

アルキメンデスが叫ぶと童子に、振りかざした剣の先から炎が灯る。切っ先を砂の大地にやると炎が移り、皆を囲む薄い炎の壁が立ち昇った。無作為に飛び掛かって来た彼らを近づけまいと、炎上領域を展開する。
炎属性が大の苦手な偽は辟易し、狼狽えて炎に近づくまいとより後ろに下がる。当然下がったら背後にいるノエルが押し出されてしまう。

「お、おい。やめてくれよ……」
「だって、火　が……火が」
「大丈夫だよ。この炎はアイツらにしか効果が無いからね」
「え……」

確かに熱は感じない。熱気すらも与えない。あるのは太陽の暑さだけ。えへんと身を張りながら偽を見上げている。

「どうして……」
「どうしてって、勇者だからさ！」

勇者すごい。
しかし赤色をじっと見ていると、どうしても熱いと錯覚してしまう。それは自分のせいでないと思いたい。
偽が壁ににじり寄ると、ノエルは短く嘆息して鎚を手に構え直す。会話の最中で壁は段々と薄くなっているようだった。
完全に壁が消えるまであと僅か。

「ぼくに任せて！」

真に勇者たるものを示すとでも。盾を構え、先陣を切ってアルキメンデスが炎の壁を突き破る。慌てて射出口を構えたサボテンガンマンの一匹に燃え盛る剣を振り上げて貫いた。
植物なら血も体液も出ない。声も出さずに崩れたガンマン。1体は再起不能になる。
一人でてきた彼を取り囲もうとサボテンたちが陣形を組むが、その前にアルキメンデスはふいと飛び上がる。彼のいた場所に巨大な炎球が炎陣の中から放たれ、爆発(イクスプロージョン)と共にサボテンが吹き飛ぶ。

「おー、綺麗に飛んでくれましたね」

些か戯れめいた一言はやや暢気な口調だった。余裕そうに涼しげに、焔を纏う彼女は消えた炎壁の跡地から抜け出て、大やけどして怯んでいる沢山のサボテンを眺める。

「あの……あんまり騒ぐと増援が来そうなので……」

頭のいい個体が配下に命令を下しているなら、同じ種族の仲間が傍にいる可能性は十分にある。あの爆発で気付かれて追ってが来るかもしれない。否、来ているかもしれない。
「分かりましたですよ」と。尾を揺らして曖昧に返答。爆発から逃れた個体が狐瑠璃に向かうものの、撃ち漏らしは飛んでいたアルキメンデスが降り立つと、それを斬りつけて昏倒させる。さぁ次は誰だ！と剣を突き出している。
未だ怒鳴り散らすノールが号令をすると、感情を覚えないアンデッドが向かってくる。
微動だにしない偽を格好の獲物と認識したのか、直に狙ってこちらに走ってくる。鋭い爪が襲おうとしたが……動きは止まる。
その動きは地面から突き出た薔薇が動きを止める。鎖のように地面から這い出て、腕と足とからっぽの頭を包帯越しに抑えつける。
茨がしゅるしゅると撒き付き、生命力を吸収する。例え死者であろうと余すことなく吸収する悪食。
黄金色に光り輝き開花する薔薇。

「……ごちそうさまです」

停止した生命は二度目の停止を迎えて止まった。

「これで全部でしょうか。何とかなるものですね」
「おそらく。あとは指揮していたひとに戦闘の意志があれば――」

狐瑠璃の方に向き、薔薇を地面の中に収納する。
瀕死だったサボテンがふるふると口径を構えて偽に狙いを定める。

「くそっ」

悪態をついてノエルは口径の前に出る。偽が再度そちらを見た時、撃ち放った弾丸はノエルを―ーー撃ち抜くことはなく、両手で持った鎚に弾かれる。
砂地故に足場の柔らかい。それでも彼は前に立つ。

「この……ッ」

走りざまにサボテンを鎚で、両手に構えると無造作に横薙ぎの一撃を与える。太陽に照りつくサボテンの残りは地中に頭から埋まって動かなくなる。
彼は無我夢中だったのか、息を不安定に荒げていた。

「え……あ」
「大丈夫かい2人とも！」
「……あ、はい。ありがとうございま」
「いいからそんなの！」

ぴくり、と止まる。
思った以上に必死な様子だった。慌てながらも平静を装うと、取り戻そうと呼吸が段々と安定してくる。
残りはノール一匹。この状況から一変してしまえば彼とて容易く往なせるだろう。。
しかしノールはその場から消えていた。

「あれ……？」

見渡してもどこにもいない。

「お、逃げたのかな」
「その方がありがたいけど……」

何にせよ、無駄な消耗が無くなるならそれにこしたことはない。
……そう安堵する間も無く、ノールの怒号がまた響いた。

「またかよ……！」

今度はノールが複数。数も多いようだ。仲間を連れて来たのかもしれない。
たたかいの連戦。まだまだ続く一揆の闘争。

実に面倒だけど、ここも攻城に向けて乗り切るしかないようだった。





（Eno.92 アルキメンデスさんとEno.1034 狐瑠璃さん Eno.1161 ラノエルージュ・カネルベージュさんをお借りしました。
　ありがとうございました。）