城の裏手を、まさに覆うような坂を、時間をかけて登った。
　名前の通りに、星屑が降る。ここに来て、自分の目で見てはじめて、そのことを知った。
　砂地で見つけた星の砂は、もしかしたら時間をかけて、山から削り落ちてきたかたまりだったのかもしれない。河の水と同じように。河の水とは違う道筋を通って。そう思うほど、当たり前のように溢れていた。
　環境としては、厳しい。砂地と違い、強く冷たい風が吹く。年少の、特にこどもの精霊にはつらそうだった。
　自分もあまり山岳地帯に馴染みある方ではない。体調の面では問題ないが、休憩のタイミングや野営の方法など、気を遣うべきところがかなり多い。いわゆる『冒険者』たちならば、こうした環境にも対処出来るのだろうか。

　諸々の支度を終え、ふと息をついて、気付く。かたちづくられた、ひとつの、気配。
　鬼のかたちの、エンブリオ。

「ここまでつき合わせてしまって、すみません」

　――まったくだ。

　と、言ったように見えた。
　意のままに感じることは、既にもうできない。ただ、感じ取ることは、出来る。

　――たまには、悪くもない。

　余計なことは考えず、六感もすべて信じる。それがエンブリオとの付き合い方だと、自分は思う。
　ひとそれぞれにやり方があり、それでいいのだと、世界は言うから。

「本当に、短い付き合いになってしまいました」

　契約のとき、迷ったのだ。
　長く契約することになりうるだけの力を、目の前の鬼は持っていた。
　だが、もっともっと長い目で見た時――いわゆる、『つなぎ』として短期間の契約をかわすのが得策でもあった。
　短い間とはいえ、何とも契約せずに居るよりは、引き出せる元素の力も多くなる。特にこの鬼は、単純な火力に長けていた。合理的に考えれば、『最初から契約しない』という選択肢はなかった。
　だからこそ、迷った。迷った挙句契約した自分に、この鬼は、言ったのだ。

「『行こう』と自ずから決めることは、珍しい。でしたか」

　人にとって、生まれた土地が離れがたいのと同じか、それ以上に。エンブリオというものは、旅をしない。
　彼らにとって、契約とは、さだめを広げることだ。ただ在り続けることから、あらゆる可能性を得ることだ。――少なくとも、目の前の鬼にとっての自分は、『旅』へのきっかけだったのだという。
　短くとも、旅は旅であり、己の存在の源だと。

「この山まで、一緒に来てくれて、有難うございます」

　鬼は、天を抱くように腕を広げてから、頭を下げた。
　そして、恐らく、笑みを浮かべた。

　何も言わなかった。もしくは、自分には聞こえなかった。
　こぼすような笑みの気配を残し、鬼が山を降りる。質感が失せ、まぼろしであるかのようなゆらめきで、ゆらり、ゆらりと。
　散歩を楽しむような風情で。わずかな契約を終えて、去っていく。

　砂地に戻り、砂地で生き、縁があればまた契約をかわし、旅をするのだろう。
　エンブリオならではの、そんな生き方は、自分には出来ない。

　だから。わかっている範囲での地図を広げて、もう少しはっきりと、旅をする夢を見てみようかと、思う。
　メルンテーゼの研究は、エンブリオに通じるところがある。調査隊の魔女や、そうした話をよく集めてくる女性がその辺りの情報を集めてきてくれていた。再度合流の折に、その辺りの話をまとめることになるだろう。
　頭をつきあわせて、地図や情報を覗き込んで。皆で行きたい場所へ、知りたいことを知るために。
　完全に一揆勢の尻馬に乗っている――ようでいて、本当はどうなのか、といった疑念などの話も出来るだろうか。


　夜の山岳の静けさは、乾いた静けさだった。朝の水辺とも、昼の砂地とも違った。
　地上の星屑にも、夜空の月にも、手は伸ばさなかった。
　ただ、深海を見下ろすように、いつもより近い夜空を眺めていた。

きょろきょろと周りを見回し、尻尾が力なく垂れる