ヒトが争うのは、ぼくらが縄張りを守ったり、狩りをする為に牙を剥き、剥かれるのとは違う。

ヒトは、ヒトと争う。
恐らくは、他の動物たちに対するよりもその敵意はずっとずっと、同じ種族にこそ向きやすい。
不必要な諍いを生んでは自ら、その数を目減りさせるほどに摩耗してしまうぶつかり合いをすることだってある。
土地が痩せ貧しきに窮し、愈々互いに立つことも侭ならなくなるまでその手が休まらないこともある。
留まらず、自分たちが暮らしていけないほどに土地を破壊して滅ぶこともある。
――かと思えば、もう己だけで生きる力を失ったものに手を差し伸べたりもする。
もう只々そこに在るだけで精一杯の、食糧を目減りさせる事しか能のない存在を慮る。
命が尽きるまでをひたむきに世話を焼き、尽いてはその屍までを愛みつづける。
そしてその、正反対の方向を向いた行動を、時に両立させて繰る。
朝はヒトを憎悪し、夜はヒトを溺愛する、といった事が当たり前のように行われるのだ。
土地が離れているだとか、食するものがあまりに違うだとか。
そういった外因で、いくらか外見が離れている場合は、ある程度の理解が持てない訳でもない。
けれど、ヒトは同じ肌と同じ瞳に、同じ髪色を有している場合――
端から見て、その差異を見留めるのが非常に難しい場合でも、憎しみあいつつ愛しあうのだ。
殺した同じ手で、救うのだ。
一呼吸、二呼吸すればすべてのコトを忘れてしまうかのように。

そういう個性を持った生き物なのだろう。
それでも、生き物としての矛盾を抱えながら、ヒトは繁栄してきた。

ヒトにしか持ちえない理解しがたい感情と、小賢しくも華々しい手の文化を広げながら。

いま、ぼくはそんなヒトを模したかのように行動している。
身内だけに限らず、知己には慮りを寄せ、知らぬ者には遠慮なく牙を剥いてきた。
親の世代も含めて、近くにいる時間が長すぎただろうか。

――好ましい事なのか、そうでないかは判断つけられない。
どちらかというと望ましくないような気はするけれど、父は、複雑そうに喜んでくれたろうか。

‥何れにせよ。
此処で何が起ころうと、それはぼくがどうこうするべき類のものではないだろう。

ヒトは、ヒトと争う。
それはヒトがヒト足りうる証左の一つだ。

ましてやヒトに毒されつつあり乍ら、ヒトではないぼくが関わっていい事案ではない。
ぼくに出来ることは精々が、可能な限りまでこの目と耳を澄ませる処くらいまでだ。

それ以上は、ぼくが関わるべき事ではないし、関わってはならないだろう。

竜はもちろんヒトになることはできない。
ヒトがそうであるように。
だからこそ竜はヒトから学ぶことがあるし、ヒトもまた然りだと父は云った。
けれどそれはヒトに毒された竜の話ではない。

出来ることは沈黙する事、結果を待つ事。
此れから巻き起こるであろうヒトの営みを留め置くことだけが、今の出来得る限りだろう。

首輪に伸ばされた手に、触る気配はないとわかりつつも
一瞬身を固くした。
伸ばされた手に目を細める。

わかったような、わからないような様子で、頷いている。

　クロエはイースの微妙な表情の違いに気がついているのかいないのか、先ほどよりも少々やわらかい表情を浮かべている。

　クロエはイースが二本足で立ってしゅっしゅっと前足をふるうのを見て、満面の笑みを浮かべた。

持っていた釣り竿を見せてみる。
先の鉱石製のルアーがゆらゆらと目の前で揺れた。

匂いを嗅ぎ取ろうとしているのに気づき、鼻先に手を近づけてやる。
何もしなければそのまま撫でるだろう。

イペ族のものらしい意匠の彫刻に、宝石の欠片が埋め込まれている。