[星屑の小川　某日]


　冷えきった小川の水が足に心地良い、とナスルは気持ちよさそうに目を細めた。森の癒される緑や澄んだ空気もいいが、宝石のように輝く小川の風景も乙なものだ、とナスルは思う。
　フェアリーが近場の岩で時折羽根を休めていたり、サラマンダーが決して濡れないようにと先ほどからナスルの頭にじっとしがみついて離れない光景があった。

「まだら殿、そちらはどうかな？」
「今のところベニタケぐらいかな〜」

　ナスルは、ばしゃばしゃと濡れる服も顧みずに歩を進めるまだらの背中に声をかけた。一見何の接点もない二人だが、ネイベールのツテで誘いに乗ったというのが事の起こりである。
　まだらという人間とどう接触するか、そう考えるまでもなく彼女のおおらかさに感化されナスルはすぐに彼女と打ち解けたのであった。現にキノコの洗礼を受けて、エンブリオが何体か犠牲になっている。今しがた痙攣しながら泡を吹いて担ぎ運ばれているケット・シーがその内の一体だ。
　何故かナスルは諸々のキノコを平らげても平然としていた。
　
「水中に生えるきのことか……そういうの、ないだろうか？」
「ふっふっふ……　あるよー！」
「へえ、面白いな。食べれるとなお良いが」
「でも見つからな〜い」

　しかし、一行はただ遠足に来た――という訳ではない。
　今回の目標は帝王イカ。この小川に鎮座するというイカの大怪物。恐ろしく強大な力を持つと言われる怪物を、二人で打ち倒しに行く予定だった。資金稼ぎや、攻城するための足がかりになる。そういった大義名分を掲げて。
　決して焼いたら美味いだとか、最近ひもじすぎてイライラするあまりこの話に意気揚々として乗った訳ではないのだ。そうナスルは事前に弁明している。その時のまだらとネイベールの両者は「そうかそうか」とニヤニヤしていた。
　
「――で、この人はなぜここに居るのかな？」
「んー？　この人もイカ食べたいんじゃないかー？」
「イカなだけにか。まだら殿は上手いこと言う」
「……おい、小童ら！　何和気あいあいとしてやがる！」

　そしていつの間にか一向に加わっていた三人目の愉快な仲間（暫定）、名をべルフィ。漆黒の身なりで、乱暴な言葉を繰る魔女、いや魔神である。これから戦いだというのに、随分のんびりとした雰囲気にべルフィは苛立ちを隠せずにいた。
　
「はは、あまり根を詰めても仕方ないだろう、ベルフィ殿」
「そーそー、リラックスしよー。このキノコとか“りらくぜーしょん”効果あるよ？」
「永遠に安眠しそうなものを寄越すなクソキノコ女！」

　まだらが差し出した極彩色のキノコを、べルフィは間髪入れず叩き落とした。
　美味しいのになーとしぶしぶ拾い上げながら愚痴るまだらに、ナスルはただただ穏やかに笑うのみ。
　タイミングを図ろうとして失敗したべルフィが、イカ出現前にナスルとまだらの目の前に落下してきたのが先の話。べルフィ自身がいかような来歴であれ協力してくれるなら頼もしい、と別段難色を示すこともなく二人は了承したものの。いまいちテンポのずれた二人側にべルフィは本当に戦えるのか懸念を抱き始める。

「私はイカを干物ぐらいでしか見たことがなくてね。生を炙って食べても美味しいらしいね？」
「炙るならキノコもいいけどねー！　イカソーメンもいいよ！　あと一緒に鍋にもする？」
「それは素晴らしい提案だ！　是非とも討伐した折には祝杯を掲げて宴としよう」

　先程から話題に挙がるのはイカの調理のことばかりだ。緊張感がまるでない。だが、ここまで来るからには相応の実力があるとべルフィは辛うじて切れそうな堪忍袋の緒をつなぎとめていた。

「そういえばべルフィ殿、タイミングを図り損ねたと申していたが」
「……。あたし様はあのゲソ野郎がバーンッとでた所でズドーンッと出る手はずだったんじゃがのう。まあちょっとした手違いは魔神のあたし様にもあるということじゃ」
「やり直すか？」
「は？」
「登場演出って大事って聞くもんねー。いいんじゃないか？　初めてみた振りするからがんばってー」

　＊＊＊＊

　――となし崩し的に再登場する羽目になったべルフィは、どこか納得の行かない面持ちでイカの生息地付近に着く。ここに落下するから、その手前でどうのこうの云々かんぬん、という予行演習の合間。

「――ふふふ」
「……うん？」
「――久々のご馳走か――」

　キリキリとナスルの目と口元が歓喜に吊り上がるのをべルフィは見た。薄ら闘気の炎が拳を覆い、カアと開いた口から炎が漏れだしている。

「ナスルー、まだ早いよー？」
「おっといけない。つい力んでしまった。自重自重」

　すぐさまナスルは炎と笑みを引っ込めて、再び穏やかにまだらと語らい始めた。
　しかし垣間見たナスルのあれは本気（マジ）の目だ、とべルフィは悟る。些かの狂気も垣間見えたが。
　実力はともあれ、べルフィの心配は杞憂だったようだ。飢えは人を狂わせるらしい。


　了