羽毛に覆われた手足と大きなくちばし、見るからに異種族だと分かる姿をしてるくせに、笑い方はちょっとふてぶてしい。
　チンピラだなんて自称するだけあって、笑い方は堂に入ってるくせに、言ってることは妙に親切で理屈が通ってる。
　ニヤリと笑う癖がある雀は、どうにもお節介で面倒見がいい奴みたいだった。

　絡んでるのはアンタの方じゃないか、と思う。
　別に悪い意味で絡まれてるとは思わないけど、お節介なやつであることは否定できない。

　そんなものはないよ、と思う。
　あるのはただ、死にたくないとか、あいつの思う通りになるのは嫌だとか、そういう条件反射だけだ。
　そういうものに、御大層な理屈とか意志とか、そういうものは必要ない。ただ頑固になっていくだけだ。
　理屈とか、自分の芯になるものとか、そんなものを考える余裕があるような人生じゃなかった。
　でも、もしかしたら、だ。
　何事にもそう、理屈はあるのかもしれない。ただ追いかけられて逃げて、何となく一揆に参加して、そんなこと考えてみようとも思わなかったけれど。公爵にも、男爵にも、理屈があって、もし、それに則って動いているのだとしたら、どうだろう。


◇　◆　◇


　適当な岩を見つけて、荷物を置いて腰を下ろす。
　ブーツを脱いで、荷物と一緒にまとめる。鞄から出した箱を側に置いて、川の流れに少しだけ足を入れてみた。
　きらきらと水が跳ねるこの辺りは星屑の水辺と呼ばれていて、山の方から流れてくる水が星屑の欠片を含んでキラキラと輝いて見える。この辺りだと、広庭についで比較的、エンブリオの生態が穏やかな一帯だ。
　足にさらさらと当たる水の流れと石の感触が、冷たくて心地いい。

　足の裏で石を転がすのもまあ、嫌いじゃないんだけど。
　話しかけてみたところで、箱から返事が返ってくるわけない。どうも、話しかけるのが癖になっていてダメだな、と思う。なんとなく、ネザーを無視するのは悪い気がして、いつも話しかけるのが癖になってしまった。

　おねえちゃんとトム、アルくんとあっぷらはナナシが道案内してくれるっていう地下牢へ。僕は他にやりたいことがあるからって断って、一人で小川を遡っている。
　ずっと、あれから確認してみたいことがあった。一人にならないと確認できなかったから、機会を見計らって。
　それで、一人になって確信した。
　――いつも一人になると容赦なく襲ってきた追っ手の姿が、影も形もなくなってしまった。

　何にも起こらない平和な水辺の小川の上の方を、雀の群れが渡っていくのが見えた。
　広庭の方は食べ物が豊富そうだから、そっちに行くのかもしれない。いや、雀がそんなことまで考えて移動してるのかは知らないけど。
　でも、雀なんて、あんな小さな体で寒い冬に耐えなくちゃいけないんだから、並みの人間よりよっぽど知恵も度胸も理屈もいるだろう。

　もしかしたら、だ。
　何事にもそう、理屈はあるのかもしれない。
　ただ追いかけられて逃げて、何となく一揆に参加して、そんなこと考えてみようとも思わなかったけれど。公爵にも、男爵にも、理屈があって、もし、それに則って動いているのだとしたら、どうだろう。

　男爵は、公爵への反逆罪で捕まった。男爵は、箱を持って逃げろって言った。
　その箱を探している追っ手がいて、追っ手は人間もいればニューロもいる。ニューロがいるってことは、追っ手はたぶん、公爵の差し金だ。ニューロがあんなに嫌々でも従わないといけない相手なんて、他に思い当らない。

　公爵はこの箱を探している。男爵が公爵への反乱を企んでいたのだとしたら、この箱の中には何か、公爵への反逆に繋がる何かが入っている、のだと思う。
　箱の中には何がいるのか。

　箱の中には、ノームがいる。

　ネザーシャドー、と呼び始めたのは偶然だった。真っ黒な影を見て、きっとネザーシャドーの封印が解けたらこんな姿をしているに違いないと思ったし、そうだったらいいなって思った。
　この黒い影が、ネザーシャドーならいいのになって思った。

　西方領なんてみんな枯れてしまって、あの公爵も男爵もみんなみんないなくなってしまって、みんな僕たちと同じように不幸になってしまえばいいのになって思ってた。
　実らない土地を耕して、枯れる花に悲しんで、空腹と貧困で苦しみながら僕たちと同じ目に合えばいいのになって。

　でも、今はちょっとだけ、困るなって思う。
　そうなったら、西方領と王領の境目の辺りで暮らしているトムやトムの家族はきっと苦しむだろうし、アルも迷惑するかもしれない。おねえちゃんやあっぷらは平気だろうけど、でも、あの二人も、もし親しい人が西に住んでいたらやっぱり悲しむと思う。
　僕が今まで知り合ってきた人たちだって、メルンテーゼに暮らしている人はいっぱいいるのだ。
　あの人が僕たちと同じように苦しんだら、僕は、幸せになれるんだろうか。

　野営用に持ち歩いてるナイフを取り出してみる。
　あの時、ネザーシャドーがおかしくなったあの日、あいつは僕の足の傷から血をすすっているみたいに見えた。
　ちょっとだけだとは分かっていても、ナイフを自分の指先に押し付けるのは怖かった。

　指先からプツリと溢れた血がこぼれる。傷口がかーっと熱くて、ぬるっとした血の感触が変な感じがする。
　昔、祖母が一度だけ教えてくれた名前だ。ずっとずっと大事にしてきたから、一度も、誰にも喋ったことはないし、自分でも一度も呼ばなかった。でも、改めて呼んでみようとすると、一度も発音したことがない名前は少し不安になる。
　ちゃんと呼べるだろうか。間違えて覚えていたりはしないだろうか。考えれば考えるほど自信がなくなる。

　一滴だけ、血が箱に落ちた。

　箱の中から、ぐるぐると渦を巻くように影が湧き出る。この光景を見るのも久しぶりだな、と思う。
　でも、影はいつものようにネザーシャドーの形を取らない。ただ、箱と僕の周りをぐるぐるとまわり、僕たちの周りにだけ夜の帳が出来上がったようになる。

　もし、本当に、ネザーがネザーシャドーだったら。
　僕はどうするんだろう。何がしたいんだろう。どうするつもりだったんだろう。
　――男爵は、こいつを使って何をするつもりだったんだろう。

　箱から伸びる影が、不自然に歪んで大きくなる。
　真っ黒なその影の中から、あの日、見たのと同じ男の姿が少しずつ、黒い沼の中から浮かび上がってくる。
　真っ黒な髪の毛、エメラルドに少し似た暗闇の中で輝く目、頭には大きな角と翼と、獣のような異形の腕。
　そのまま宙に浮かび上がる男が、両腕を僕の方へ伸ばしてくる。
　目を覗きこまれるように顔が近づいてきて、思わず、後ずさろうとして尻もちをついてしまって。

　口を開いた。
　――喋るんだ！

　思わず、口をぽかんと開けて、聞き入ってしまう。何を聞こうとしてるんだろう。心臓がばくばくして、頭の中がパンクしそうで、簡単なことを聞かれているはずなのに何を答えていいのか分からなくなってしまう。
　――本当に、本当に現れたのだ。

　思わず、オウム返しにしてしまった。
　――何のことを聞かれているんだろう？
　あ、いや、そうか、名前のこと、か。

　ずっとずっと聞きたかった。
　最初は偶然でつけた名前のはずだったのだ。そうだったらいいのにな、こいつが魔王なら、僕は今すぐ西方領の不幸を祈るのになって。

　こいつも、僕と同じなんだろうか。

　でも、帰ってきた答えはぜんぜん、僕の予想していた答えと違った。欲しかった答えでもなかった。

　ノエル、って言われて、でもそれは僕の事じゃなくて。
　三秒くらい混乱して、五秒経ってから気が付いた。
　こいつが呼んでいるのは僕じゃない。ラノーエルの爺様だ。

　思ったより、強い語気で返されてビックリする。
　何を言ってるんだ、こいつは。当たり前の事じゃないか。勇者ラノーエルは、魔王ネザーシャドーを封印するときに死んだ。
　教会の公式記録では、そうなっているのだ。

　今度こそ、本当に頭の中が真っ白になった。
　言い回しがちょっと古臭くて、難しいやつだったけど、内容自体はそんなに難しいことは言ってないんだと思う。
　でも、本当に、僕にはそいつの言葉がまるで、異国の言葉みたいでさっぱり理解できないのだ。
　僕たちは何かを勘違いしていて、まったく、別の話をしてるんじゃないだろうか。

　聞かれたって、僕に答える言葉がある訳なかった。
　疑問に疑問で返すことほど不毛なこともないのに、今の僕の頭から疑問しか出てきそうにない。
　――こいつは、ネザーシャドーじゃないのか？

　仰々しい仕草で顔を離すと、宙に浮いていたそいつが地面に足をつける。
　見上げるくらい高い背に、ふよふよと重力を無視して漂うくたびれたマフラー。そのマフラーが、まるで勝手に動くみたいに僕の腕に巻きついて、立ち上がれといわんばかりに引っ張ってくる。
　そうか、こいつ、自分の腕があんな狂暴な形状だから、代わりに細かいことをやらせるパーツが必要なんだ。

　引っ張られるがままに立ちあがった僕の腕から、マフラーがほどける。
　じろじろ、不躾なくらい正面からヴェルトが僕を見ている。頭のてっぺんから爪先まで、ものすごく居心地が悪いくらいまっすぐな視線だ。

　その次に言われた一言を、僕はこの先しばらく、何があったって忘れやしないだろう。

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※冒頭の会話は、ENo.792狐と雀さんのメッセからお借りしました！
※前回日記に「日記がいい！」投票、六票もありがとうございました！やりたかった回の一つなので、とても嬉しかったです。

渋々と手を離すが、目線はまだ名残惜しそうに尻尾をみつめている。

ゆっくりと膝を曲げ、腰を落としてノエルと同じ目線の高さへ。
そのまま両手で、流れるようにノエルの肩をガシリと掴んだ。

右の手を使い、ノエルの髪を掻き上げる。
そのままそっと、彼の頬に柔らかく口付けて見せた。

ノエルに投げかけられたその言葉に、考えこむ素振りを見せてから、

そのように、或いは淋しげに笑みを漏らした。
遠く置き去りにしてしまったなにかを惜しむように、悼むように。
手を伸ばすことすら諦めたような顔で。

ノエルの不利になることはしないと分かっている、と、
そう形容されたネザーシャドーに視線を向けた。
改めて、彼がどうノエルの傍に在るか。
その様を。その動作を。その振る舞いを、確かめるように。

その言葉を繰り返す。
ノエルの姿を見て、そうなのか、と平淡な声で呟く。

聞くがいなや、ノエルの頭に文字通り飛びつき、耳を両手で掴む。

もふもふもふ　もふもふもふ
もふもふもふ　もふもふもふ

（５秒過ぎる）

もふもふもふ　もふもふもふ
もふもふもふ　もふもふもふ

（１０秒過ぎる）

もふもふもふ　もふもふもふ.............

にこやかに、君に言う。

しっかり覚えるために、何度か呟いている。

シオンはここで一旦言葉を切った。
相手の反応を伺っているのか、次に話すべきことを考えているのか…。
何れにせよ、その態度はひどく弱々しい。