http://p.tl/fzT0

Ｅ−Ｎｏ．８６０　アリシア・イーユスの日記から先にお目通し下さい。



　窓の外、少しだけ見下ろした先。
　孤児院の入口、小さな門の傍に院長と、その奥さん、それから、綺麗な服を着た女の人と男の人と、ちいさな子供が居た。
　女の人は何度も何度も院長に頭を下げていて、男の人は子供と手を繋ぎ、それをじっと見詰めていた。
　男の人も、手を繋いでいた子供もつらそうにしていて、子供なんて今にも泣きだすんじゃないかって顔で俯いていた。

　泣き崩れた女の人の肩を抱いて、男の人も頭を下げる。
　子供はずっと、そこに立ち尽くすみたいにしたまま、動かなかった。

　奥さんと顔を見合わせた院長が頷く。
　そうして、立ち尽くしていた子供の前に屈んで、その頭を撫でてやった。
　その子供の手を取って歩き出すと、ずっと泣いていた女の人が子供をぎゅっと抱き締めて
　男の人が、子供の頭をそっと撫でて。

　そこではじめて、子供が泣いた。


　わあわあ泣きながら、院長に手を引かれるみたいにして。

　その日、孤児院に新しく迎え入れられたのが　ルカだった。




　はじめて、この世界で迎えた夜に伝えた筈だった。
結局それは届いてなんかいなくて、寧ろ、そんなことを言ったから、彼女は。

　あの夜も彼女は謝った。
自分がウサギを追い掛けたりなんてするからだと言って、巻き込んだことを謝った。
　はじめ、謝られた理由が分からないくらいだったのに、だ。
　三人で良かったなんて思ったくらいで、彼女を責める理由なんて何処にも無いと思っていた。
　それでおしまいだと思っていた。

　おしまいだと思っていたのは、自分だけだったのかも知れない。

　代わりになんてなれないことは、なれっこないのだとは、分かっていたのに。

　元の世界に帰りたい気持ちが一番強いのは、言うまでもなく彼女だと分かっていたのに。

　会いたい気持ちの強さに気付けなかった。

　そのさみしさに気付けなかった。

　彼女がどんなにつらい思いをして、彼女がどんなに我慢して、

　彼女が、

　アリシアが、どんなに。


「…………〜〜……っ、はは、……」


　仕方無くなんかない。

　だって、早く帰りたいんだ。　アリシアは、はやく、かえりたいのだ。
　それを、無理をするなだとか何とか言って止めることは、間違っていたのだ。

　まちがっていたのだ。
　全部。最初から。はじめから。

　お父さんとお母さんに会いたい気持ちは、彼女に無理を強いるほどに強いものだった。
　それを知らない、分からない自分には、彼女を止めるなんて。

　気持ちの理解出来ない奴なんかと一緒に居れば、それは当然、苛立たせてしまうだろう。

　心配したつもりだった。
　つもりだったんだ。

　押し付けただけじゃないか。
　彼女の、アリシアの気持ちを少しも考えやしないで、理解することも出来ないで。
　何が心配だ。

　無理をしてほしくないだなんて。

　させていたのは自分だったのかも知れないのに。

　薄っぺらくて、気持ちも何もこもってない言葉なんて、届く筈ないのに。

　分かっている気でいたのだろうか。

　家族が居て、家族が好きで、大事な家族と離れ離れになった、彼女の、


　アリシアの気持ちを、


「……ば、っかじゃねーの、……ほんと、おれ……っ……〜〜……」


　彼女の言う通りだ。

　自分には、彼女の気持ちが分かるわけもないのに。

　その気持ちを分かったつもりでいて、今まで、今の今までずっと、ずっと。

　薄っぺらい、ごめんなんて言葉だって、きっと。


「……っ、……〜〜…………」


　目の前が滲んで、よく見えない。
　心臓の辺りが痛い。
　苦しい。

　笑っていなくてはならないのに。
　よくまあ、にこにこしていられるものだと思われていたのかも知れないけれど。
　人の気も知らないで。
　馬鹿みたいに。


　何とか泣かずに、彼女の前では笑ったままでいた筈だ。
　上手く笑えていたかは知らない。　もうよく分からない。
　自分の顔なんかより、彼女の辛そうな顔と、声と、言葉ばかりがずっと頭に残っていて
　何かがどこかに刺さっているみたいに、思い出さなくても、ずきずきする。

　くるしい。

　でも、自分よりずっとずっと、彼女の方がつらくて、苦しくて、泣きたい筈だ。
　それなのに、彼女は。



　自分の部屋に戻ったまではよかったが、扉を背にしゃがみ込んで、そのまま動けなくなってしまった。
　情報収集をしに町に出なければならないのに、その後は再び、山に行く予定もあるというのに、これでは。

「…………〜〜〜〜……っ……」

　いくら拭っても、拭っても、ぼろぼろと零れて止まらないそれが何なのかは、馬鹿にだって分かる。

　涙、だ。

　泣いている暇があるなら、体調の悪い彼女の代わりに町に出て、情報を集めた方がいいに決まっている。
　その方が彼女の為だ。
　彼女は帰りたいのに。
　一日も早く、少しでも早く、家族に会いたいのに。

　いくら考えても相手の気持ちが分からないなら、心なんて無くても、

「っ、……〜〜……」

　振り払う為に首を横に振った。違う、違う。そうではない。それではだめだ。
　分からないのなら、分かるように努力すればいいだけだ。

　今更、かも、


　そもそも、家族なんて自分には居ないのに。

　分かるわけがないのだ。

　だから、彼女は。



「──ルカ、」
「っうあ、」


　扉越し、向こうから、ノックの音が二つと、呼ぶ声が聞こえた。
　ぐるぐる、ぐるぐると頭の中を巡る、たくさんの言葉が、音が、その声にぴたりと止んだ。

　けれど、扉を開けるわけにはいかなくて、扉を背にしたまま、動くわけにも、いかなくて、

「……あ、ちょ、ちょっと、待って、」

　シズの声だ。
　何か大事なことを伝えに来てくれたのかも知れない。
　扉を開けなければならない。

　何とか立ち上がって、扉から、離れる。

　涙を、

「……っ……〜〜……、……」

　止めなければならない、のに、



　止まらなかった。



　止まれ、止めろ、止まってくれと思えば思うほど、止まらなかった。止まらない。
　傷付いたわけがないのに。
　傷付くわけがないのに。
　悪いのは、彼女の気持ちが少しも、これっぽっちも分からない自分なのに。
　彼女の言葉に傷付くことなんて、

　そんなこと。

「ま、まだ、ちょっと待って、」

　多分、シズは怒る。
　怒られる。　それか、呆れて、何も言わずに、一人で情報集めに、行くかも知れない。

　すると自分は一人になって、ああ、それは、いやだなって、

「…………〜〜〜〜……っ……」

　ああ駄目だ。

　泣いているって気付かれないように、知られないように泣くことは、前から得意だった気がする。
　ひとりで居ると、時々、よく分からないのに涙が止まらなくなることがあって、わあわあ泣いたことなんて無かったような、気がする。
　こっちに、この世界に来てからは、そんなことも無く、

「……おい、ルカ、」

「へへ、……待って、も、すぐ、っ……」

　笑ってみようとして、だめだった。

　けれど、泣き止まなければ、泣いたままでは、シズは一人で行くんだろう。
　アリシアの具合が悪いことが知っているから声を掛けることはないだろうし、だから薬を作ってもらって、渡してこい、なんて、

　なんで自分で行かなかったんだろう。



　扉に鍵を掛けなかったことに後悔した時にはもう遅かった。
　いつまでもシズが待ってくれる筈は無くて、
　何だか少し乱暴に、苛々しているように、扉が音を立てて開かれて、しまって、



「…………、」
「……へ、へ……ごめ、……〜〜……っ……」

　何を謝ろうとしたのか分からなかったが、驚いたように振り返った顔が泣いていたことに、少しだけ、驚いた。
　涙の痕が残るほど泣き腫らした目が潤むくらいに涙を湛えて、へにゃりと情けなく笑おうとして、笑えない代わりに、ぼろぼろと涙が零れる。

「……泣くか笑うか、どっちかにしろよ」
「……、……へへ」
「……下手くそ」

　笑ったつもりだったんだろう。
　ただ、笑えていないことは流石に、いくら馬鹿だからって分かる筈で、笑えていない顔で俯くと、そのまま黙りこんだ。
　泣いているのに、泣くのを堪えるような顔をして。
　手を強く強く握り込んで、肩まで震わせて。
　下唇を噛んで、きつく、きつく、眉を寄せて。

　目一杯に見開いた目からは、俯いた所為で止め処無く、ぼろぼろ、ぼろぼろと。

「──アリシアは？」
「……やす、ん、でる、……っ、と、思う」
「……何言われたんだ、お前」

　肩が跳ねる。

「……〜〜……っ、……」

　同時に、堪えていたんだろう嗚咽が漏れ出して、零れて、止まなくなった。

「…………」

　過るのは、彼女だ。
　何があったか知らないが、ルカの様子からして、想像出来ない、こともない。
　いずれ、こうなることは、はじめから分かっていたのかも知れない、とすら思える。

　その場に屈んだルカの頭を引っ叩いてやろうと、して、その手で、乱暴に撫でるに留まる。
　引っ込めようとしたその手を掴まれて、はた、とした。

「……んだよ」
「っお、オレも、行く、から、……情報、あつ、っめ、に、」
「一人で行ける」

　だから放せ、と言っても、袖を掴んだ手は放そうとしなかった。
　みっともなく嗚咽は零したまま、置いていかれるのを嫌がる、子供みたいに。

「……あり、しあ、っに、言われ、た」
「……」
「る、……っ、るかには、分かんない、って、」

　もう一方の手で、シャツの上から、心臓の上辺りを押さえつけた。

「はやく、かえり、たい、っ気持ちも、……」

「お、かあさん、と、……おと、うさんに、会いたい、気持ち、もっ、」

「親が居ない、から、分かりっこ、ない、って、……〜〜……ッ……」


　泣いている理由が分かった。
　ルカは、アリシアに言われたことに対して、アリシアの言葉に傷付いているのではない。
　アリシアの言う通り、彼女の気持ちが分からない自分に対して、だ。

　彼女の気持ちを理解することも出来ない自分が、ゆるせないからだ。
　幼い時からずっと彼女と一緒に遊んだりしてきて、それなのに。
　だからこそ、ゆるせないのだと思う。


「あり、しあの、気持ち、……ずっと、ずっと、分かってないくせに、っ……」

　何かが引っ掛かった。

「帰り、たい、気持ちも、っつらい、のも、アリシアが、一番、強いって、わか、って、る、つもり、で、」

「でも、無理して、ほしくなく、って、……ッアリシアが、つらいの、いや、で、」

　違和感、と言うべきか、けれど、何がおかしいのかが、分からない。

「……アリシアは、……家族に、会いた、い、っのに……〜〜〜〜……っ……」


　その気持ちを、彼女の気持ちを踏み躙った、自分が。

　そうやって結局、ルカは泣き止むことなく、ぼろぼろと目元を押し付けていたシャツの染みを大きく、深くして。
　また、嗚咽を零すだけになった。
　指先が白むほどの力で掴んでいた、腕も放すと、抱えた両膝に顔を埋める。


「……こんな顔じゃ、っ外、歩けねー、よな、」
「…………」
「……山には、行く、から」
「ああ」
「…………ご、め、──ッぃ！！」


　謝ろうとしたから、今度こそ頭を引っ叩いてやった。
　思い切り、思い切りだ。
　引っ叩いた掌が痛いくらい、思い切りだ。


　ルカの部屋を後にして、無意識、詰めていた息を吐く。

　いずれ、こうなることは分かっていたんだろう。
　自分より幼いアリシアは、しっかりしている方だとは言え、まだ子供だ。
　家族を、母親を、父親を大事に想っていて、それは、自分にも分かるほどに。
　さみしくない、筈が無いのだ。

「……、」

　ルカの頭を引っ叩いてやった右手を見詰め、その手で頭を掻く。

　また、溜息を吐いた。

笑う、わらう。
絶やさず、いつも通り。 足取りは軽やかに、泣き腫らしたんだろう、目だけは隠せない。

腰を落とし、負ぶさっていたちえりを地に立たせて。

語り掛けながら、次第に双眸を閉じて。
されど、ルカの弾んだ声が耳に入ると、再び瞳を開き。

ほんの僅かに、頬を緩ませた。

あくまで興味深げに、シズの顔を見返しながら言葉を続ける。

だから、とルカを見る。

願うよう、静かな声だった。

再び、それを繰り返す。

呼ぶためにあると、ルカに繰り返されたなら、少しだけ目を細めて。

慨嘆にも似て、声が、おちた。

言ってから、それはないか、と自分で首を振り。

嬉しそうに、少し誇らしげに笑って。

ほんの僅かに、目を細めて。

手招きには、少し考える素振りを見せたものの、素直に近づいて。
撫でられれば、口元をへの字にしたまま、目だけを細め。尻尾を心地よさにふさふさと、揺らすだろう。

　

　ブレスレットを見て言う。
　エンブリオが宿るのだから、何か想いの篭ったものなのだろう、だなんて。

　ウルヘアに関しては、頷いて。

軽く服を叩いて、周囲を見渡し。
特段の異常の無いことを確認して、得物を仕舞う。