――数日後。

今夜の宿と決めた、小さな宿屋の調理場。そこを借りて、ミハウは調理に追われていた。
今日は、嬢ちゃん――コトカの誕生日だ。

フライパンで、小さめに切ったキノコと野菜を炒める。味見をして、調味料を足す。
味に納得がいったのか、少ししてから火を止め、フライパンを片手に作業台に向き直る。
調理場の隅にあるこのスツールの上からは、アイツの背中ぐらいしか見えないが、やけに機嫌が良さそうには見えた。

「終わンのか？」
「よ、っと。……ん？　ああ、大丈夫だよ。あとは、仕上げだけだから」

問いかけに、アイツは作業の手を止めることなく、答えを返す。その声も、いつもよりかは明るい。
……まァ、ガキみてェに、はしゃぎやがって。大方、久しぶりに設備の整った所で料理が出来るのが、純粋に楽しいンだろう。
それに、誰かのために、ってのが好きな馬鹿だ。張り切ったって仕方ねェのかもしれない。
作業台の上には、すでに出来上がった料理が、皿に盛られるのを待っていた。

先の炒め物は、先に焼いておいたクレープの皮に分けて包んで、クレープ包みに。
色よく焼き上げた小さめのローストビーフを切り、皿に盛ると、
作っておいたマッシュポテトを添え、グレービーソースをかけて仕上げる。
乱切りにして茹でたじゃがいも、人参に、房を分けたブロッコリーはレタスを敷いた上に盛り付けて、温野菜のサラダ。
ドレッシングは小さな器に入れて添えた。他の料理も、同様に仕上げていく。

食べ切れるだけの量で、できる限り手の込んだものを作る。約束したものだから、手は抜かない。
それが、アイツの考えだった。

「イェジ、悪いけど、そこの取ってくれる？　もう少し足すから」
「……おー」

短く返して、椅子から飛び降りて、向かう。
……まァ、嬢ちゃんが引かなきゃいいがな。


　*　*　*　*　*


「っと、これでよし…」

最後に出来上がったスープを注いだ皿を両手に持って、調理場の隣、食堂のテーブルに戻る。
設えたそこには、手製のローストビーフや温野菜のサラダ、クレープ包みなど、二人分の料理が湯気を立てていた。
久しぶりに思う存分腕を振るえた、という充足感に、いつもよりも気分が晴れた気がして。

「すみません、お待たせしました。これで全部です」

ことり。
音を立てて、慎重にスープ皿を空いたスペースへ置きながら、先に席についていたコトカさんに、そう声をかけたけれど。

「……」

反応がない。
料理に目は向いているものの、彼女の表情は硬いままで。
もしかして――やりすぎただろうか。一抹の不安が過ぎる。

数日前に、誕生日には腕によりをかけてご馳走を、コケモモとブルーベリーのパイを作ると約束して。
それから、少しずつ準備をして。
これまでも少なくない回数、食事を作っていたから、どれくらい用意すればいいかくらいは把握している。
今日も、常の食事と変わらないくらいの量だ。ただ、種類が多いのと、手の込んだものだというくらいで。

「……ええと、コトカさん？」
「……ありがとう」

恐る恐る声を掛ければ、一拍遅れて、反応が返ってきて。
ほっとして笑うと、視線だけがこちらを向いた。

「これ、全部ミハウが作ったのよね？」
「あ、はい、そうです。ちょっと手の込んだものを、と思いまして…」

途中、コトカさんに手伝いを申し出られたけれど、主賓なのだから待っていてほしい、と断ったのを思い出す。

「そうよね。……良いのかしら、こんな」

ご馳走を。そう言ってもう一度、料理に戻る視線。戸惑いが、色濃いように思えた。

「いいんですよ、年に一度の誕生日ですから。それに、お約束しましたしね」
「……じゃ、お言葉に甘えるわ」

この日に、腕によりをかけてご馳走を作る、と申し出たのは、自分だ。
だから、気にしないでほしいと、そう言えば、頷いてくれた。その事に安堵する。
目で促されて、そこで初めて、立ちっぱなしだったことに気付いた。
慌てて、自分の椅子を引いて座る。作業中、ピンで纏めていた髪を下ろして背に払った。
姿勢を正してから、コトカさんの方を向いて。

「じゃあ、えと……誕生日おめでとうございます、コトカ」
「ありがとう。……その、色々、用意してくれたりして、……うん、すごく、嬉しいわ」
「……どういたしまして」

最後の方は、ようやく聞き取れるくらいだったけれど。感謝の言葉に、じんわりと嬉しさがこみ上げる。
嬉しいのと照れるのと、ない交ぜになって、へら、と笑った。

「…さ、冷めないうちにどうぞ。どれでも、お好きなのを食べてください」
「ええ、頂くわ」

手で料理を示す。どれも、手は抜いていないつもりだ。
ただ、コトカさんの口に合うかどうか。


　*　*　*　*　*


――少し、経った頃。

コトカさんが、クレープ包みに手を伸ばした。

「……これ、キノコなのね、中身。」

一口食べて気付いたのか、そう言った彼女に、食事の手を止めて頷く。

「ええ。キノコ、お好きだって仰ってたのを、思い出しまして」
「おいしいわ」

以前、聞いた好物の中の一つに、キノコがあって。メニューに入れたのは、正解だったらしい。
頷きを返したコトカさんの表情が柔らかくなっているのに、ほっと胸を撫で下ろす。
よかった、と呟いてから、ふと思いついて提案した。

「良ければ、普通の食事の時も、作りましょうか？」
「……大変じゃないなら」
「ええ、大丈夫ですよ。毎回は難しいですけど、何回かに一回なら、それほど大変でもないですから」
「それじゃ、お願い」

今後のメニューに加えておこう。そう思って、頷く。


　*　*　*　*　*




「あ、すみません、ちょっと待ってて下さいね」

手が止まることがなかったのは、嬉しかった。順調に皿の上の料理がなくなって、食べ終わりが近づいた頃。
重ねた皿を空いている場所に片すと、言い置いて、テーブルを離れた。
調理場の作業台に置いた皿には、コトカさんの希望だった、コケモモとブルーベリーのパイ。
レシピ自体は、以前作った事のあるフルーツパイを元にしてはいるけど、想像だ。
けれど、本番の前に試作品を作ったのもあってか、上手く焼けたとは思う。
切り分けたパイを乗せた皿と取り皿を持って、コトカさんの元へ戻る。

「…お待たせしました、お約束してたパイです。食後に、と思ったので少し小さいですけど」

言いながら、パイと皿とをテーブルに置けば、コトカさんの視線がそこに向けられた。
同じものは作れない、と先に断ってはいたけれど、出来栄えはどうだろうか。
席に戻りながら、不安を抱きつつ見ていれば、彼女が口を開いた。

「……あの、ミハウ。本当に、こんなに良かったのかしら……。」

その表情は、決して嫌なものではなく、むしろ、戸惑っているように見えた。
今日の彼女は、なんだか、いつもよりも幼く見えて。安心させたくて、笑う。

「最初にも言いましたけど……良いんですよ、今日は君の誕生日ですし。
それに……久しぶりに、思う存分料理が出来て、私も楽しかったので」

そう、久しぶりに――随分、久しぶりに、存分に腕を振るえた。
故郷にいた頃はよく作っていたし、あまり特別には感じていなかったけれど。
設備の整った所で、用意した材料で。
作ることがこんなに楽しいものだとは、思わなかったくらいに。
だから、気にすることなんて、ないのに。

「ですから、お気になさらずに。美味しいと思って頂けたなら、十分です」
「でも、私、あなたの誕生日に何もしてあげられてないわ」
「いえ、でも……おめでとう、って言って頂きましたから」

それは、確かに、たった一言で。でも、それは予想外だった。
言ってもらえるなんて、思わなかったから。

「それだけよ？」
「だから、です」

真っ直ぐな視線に、目を合わせてひとこと。

「……自分の誕生日のことを言われた時には、……正直、私自身も忘れていて、ああ、そうだったんだなと思ったくらいでした」

けど、と。テーブルの上で組んだ手に視線を落とす。
あの時思ったのは、誕生日だったのか、と、それがどうしたんだろう、という二つ。
淡々と、そう、思って。でも。

「でも、その、だからこそ…あの言葉が、嬉しかったんです。祝ってくれるとは、思ってもみませんでしたから」
「……嬉しかったの？」
「え、あ、はい。……あの時は、その、なんと言って良いか、わからなくて」

彼女の反応に、思い返せば、確かにあれは、喜んでいるとは言いがたかった。
もう少し、マシな反応があったかと思うと、申し訳なさに、つい表情が暗くなる。

「そう、……なら、良かったんだけど。あんまり嬉しくないかと、思ってたから」
「そ、そんなこと！…あ、えと、ないです。もし、そう見えていたのなら、すみません」
「……あの、私こそ、ごめんなさい。私、いつも一言多い、から、……だから、」

気まずそうに、コトカさんが俯く。謝られるとは思っていなくて、一瞬固まって。
そんなことはない、と首を左右に振る。

「……いえ、私は、気にしてないですから…、あの……」

言葉が、続かない。喉につっかえてしまったように、言葉にならない。
――なんと、言えばいいのだろう。
折角の日、なのに。そんな顔を、させたかったわけではないのに。
黙ってしまったコトカさんに、声を掛けられない私。息が詰まりそうな、重い空気。
どうしよう、と思ったけれど。でも、黙っていても、変わらない。

意を決して、口を開いた。

「……コトカ。……その、本当に、気にしなくていいんです。
君が、そうやって言ってくれることは、私も、その通りだなって思うことの方が多い、ですし…」

迷いながらも、出た言葉は本心で。けれど、コトカさんは俯いたままで。

「でも、傷付けたでしょう」
「そんなことは……」

ない、と否定しかけて。
けれど、でも。いっそ、この際、本音を話すべきだろうか、なんて、考えが過ぎる。
いつも隠してしまう、本音を。彼女は、いつも真っ直ぐにぶつけてくれていたから。

「ない、とは言えない、です……前に、その、嫌い、って言われた時は、痛かったです、ね」

この言葉に、彼女が傷ついてしまわないだろうか。傷つかないでほしい、なんて、甘いのだろうけれど。
コトカさんは、驚いたように、一瞬だけぱっと視線を上げて。それから、直ぐに下げて。

「そう、よね、……ごめんなさい」

沈んだ声音に、彼女の姿に、言わない方が良かっただろうかと、心が、痛む。
けれど、今は。小さく、首を振って、言葉を続けた。

「でも。……痛みを伴う言葉だったからこそ、気付いたことがありました。気付けたことがありました。……それは、君が言ってくれたからです。私ひとりだったなら、ずっと、情けない、と思い続けて、頑張っている自分を認める、なんて事考えようともしなかった」

真っ直ぐに、コトカさんを見る。本心だと、伝わるように。
言葉を聞いて、彼女がゆっくり視線を上げ、視線がかち合う。けれど、すぐに視線を逸らされてしまって。

「それでも、傷付けたのは間違いないじゃない」
「そうかもしれません。それでも、私は、君に言ってもらえてよかったと思っています。傷ついても、それでも」

……それに、君がそれを言うなら私も、君を傷つけてきたと思いますから。少し前まで、きっと。
視線をそらされても、私はそらさない。伝わるように言葉を重ねる。
どうか。

「……本当？」
「ええ」

肯定して、頷く。

「本当に、そう思う？」

続けて、もう一度問われて。不安そうな声。

「はい、そう思います」

穏やかな調子で告げて、頷く。
何度問われても、答えは変わらない。そう、思っているのは、本心だから。

「……そう」

頷きがひとつ。やっと合った目に、ほっとして。私は、自然と笑んでいた。

「あの、ね、……ありがとう、ミハウ。その、私、言い方きついから、また嫌な思い、させちゃうかもしれないけど、気を付けるし、
……これからも、一緒に居てくれる？」
「……ええ、もちろん。……私の方こそ、直さなくてはいけないことだらけですから」

組んでいた手をほどいて、コトカさんに向けて、片手を差し出す。
一緒に行く、という約束を、何かで示したくて。

「こんな私でよければ、これからもご一緒させてください」
「……ありがとう」

目を瞬かせて、それから。
ゆっくりと、握手に応じてくれた。

　ウルヘアもしげしげとナビを見ている。

と、自分を呼ぶ声に立ち止まり振り返ると、見覚えのある顔。

こちらも軽く手をふりながら彼の方へ歩み寄る。

エンブリオは昼寝好きばかりではないのだが、スズメには、そんなイメージがあるようだ。

素っ気なく、飾り気もない言い方ではあった。

　少女の傍らのイヌワシは、威嚇をするように鋭い眼光を敵に向けた。

武器を下ろして、周りを見。脅威がないのを確認して、息をつき。

　ウルヘアは得意気に、少女の杖の天辺に留まっている。

　少女の傍らのウルヘアは、翼を羽ばたかせた。