名前も知らない、異世界の、誰かの腕の中で。
私はあの後もずっと泣き続けた。

彼に促されて、自分の部屋に戻って、二人きりになって。

意味不明の言葉を叫んで泣きじゃくる私は、この人にとって、きっと気持ち悪い存在なのに。
それでも、泣き止むまでこの男の人は傍にいてくれた。

優しい人なんだろうな、って。……そんな人に、何、こんな我侭を、迷惑をかけてるんだろうって。
頭を撫でる、私からすれば大きなその手の感覚に、安堵からむず痒さを覚える頃になってようやく離れた。
もしかしたら、どさくさに紛れて私、すごくすごく大胆なことをしてたんじゃないかな？
そういう女なんだって見られたり、嫌われたりしたらどうしようって。

……――もっと、他に考える事はたくさんあるのに、目先の事ばかり考えてしまうなあ。

もう、大丈夫。
そういう為に笑ってみせようとして。

それがきっかけ、なのかはわからないけれど。
笑おうとする私の前に、差し出されるのは一枚のコイン。

私が持っているコインと、とても似てるもの。

間に挟まる石の色や、表裏に刻まれている内容は違うけど、石の材質とか、大きさ、形とかはまるで一緒。
ますます、初対面のはずの彼が、初対面に思えなくなる。

『＊＊＊＊＊＊＊＊　………』

なにか、を口にしているのはわかる。でも、やっぱりさっきと同じで意味はわからない。
悲しい気持ちがまた溢れそうになって、零れそうになる涙をぐっと堪えながら鼻を啜った。
コインを此方に見せて何かを訴えるものだから。
私が持っていたコインを出したほうがいいのかなって、不安げに相手に見せてみる。

私のコインは、赤い石が挟まった鈴蘭のコイン。
男の人のコインは、黄色…オレンジ？　琥珀みたいな石が挟まった天使のコイン。

掌にのせたコインを見えやすいように相手に差し出して。
そしたら、そのコインを……私の手の上から、彼は取り上げようと、して。


「――ダメ！！！！」


反射的に。悲鳴があがった。

そのコインは、人には渡す事が出来ない。捨てることだって出来ない。
理由はわからない。私が知りたいぐらい。
でも、それでも、理由はわからなくても、これは人に絶対に渡してはいけないものだから、その手を叩くように払って胸元で抱くようにしてコインを守って。

「……あ」
「ご　……ごめ…　ごめんなさい……！！」

けれど。
我にかえって。

突然泣き出して、しがみついて、それなのに慰めてくれたこの人に。
なんて仕打ちをしたんだろうって後悔が押し寄せる。
ひいたはずの涙が溢れるも、今度こそ相手に縋るわけにもいかず、ごしごしと腕で目元を拭い。

「私　あの　っ――ちょっと　気分転換に　散歩にいってきます！」

返事は聞かない。聞く勇気がない。
どうせ、聞いたって何言ってるかわかんないんだけど。

コインをぎゅっと握り締めて、男の人の方は見ないで立ち上がって、足早に、……ううん、その場から逃げ出すように走り出した。
一秒でもはやく、この場から消えたかった。
……残されたあの人は、どう思うかな。やっぱりウザったい女だって思うかな。やだな。もう、本当、全部、全部、……全部、……やだ。嫌いだ。










――土地勘もなく、衝動に身を委ねたまま、あの建物を、あの生き物の中から飛び出して。
走り回って、足が棒になるぐらいまで走って。

綺麗な水が流れる小川までたどり着いて。

そこで初めて、……何処をどう走って、此処にたどり着いたのか覚えてない事に気付く。
後ろを振り向いても、目印なんて何もない。のどかともいえる自然が広がっているばっかりで。

どうしよう。

ほんの少し前の自分の行動を悔やむ。何もこんなところまで逃げる必要なんてなかった筈だ。
ちらり、ちらり、後ろを振り向いてはみるけれど、全力疾走してた私を追いかけてくれるなんて、流石にそこまでしてくれる人がいたら、それってもう、いい人を通り越して天使だよね。
仕方ないから水が下るように、自分もまた小川にそって歩いていく。やがて海とか、川辺の町とか、そんな場所に出ればいいなあ、なんて。

水綺麗だなー。飲めるのかなー……、やっぱり。
こういうのって、やっぱり私の世界じゃちょっと味わえないこと、だよね、なんて。
かなり致命的な迷子なのに。頼れる人はいないこの状況は最悪なのに。
どうして、私は、……なんでこんなに落ち着いてるんだろう。
なんでこれが当たり前のように受け入れてるんだろう。
何か、……何か、そう、ずっと抱いていた違和感が、少しずつ外へとあふれ出す。


私が、私自身が、おかしい。


なんでもっと焦らないの。
別世界に飛んできたことだってそう。
そしてそれを必死になって、本気になって解決する気迫がないこともそう。
他の誰もが通じている言葉が、私にだけ通じないのもそう。
意識してないのに勝手に変なコインを手元に置こうと守ったりするのもそう。

目の前が、くらり、と歪んだ気がする。
ううん、勿論、そんなの私の気のせいで。





でも、私は、まるで自分の存在が揺らいだような、そんな気がして。
だから――……目前に迫っていた、その巨大な暗い影に、……本当に直前まで、私は気付かなかったんだ。





（以下、通常戦に、続きます）

何匹かくっついてきてしまったようだ……。
君はポケットなどに紛れ込んだこめつぶたちに気づいてもいいし、
そのまま地面に落としてしまってもいい。

　
　非常にわざとらしーのだが、どうやら眠っている　　らしい。
　まぁ叩けば起きそうな気もする。そこまでする必要があればだが。

　
　見た目で目を引く人は多かろう、ぐらいの感覚で状況を想像しているようだ。
　少なくとも現状まったくの同世界・同種族の出身者などをほとんど見ていない。

　

　そして彼女の言葉を聞いて、世界的相違を考察する様子。
　衣服・教育・言葉遣い。話しているだけでも理解る事はいろいろあるのだ。

　
　情報の伝達、というのはなかなか難しい。
　相手が近しい物を知っていなければ成立しないからだ。
　リンゴの味を知らない人に、食べさせる事なく説明するのは難しい―――

知らない言葉に少し動揺している。

と、ジェスチャーのようなもので伝えているようだ。

予想だにしない反応に、はじめは獣は怪訝そうな表情を浮かべるだけだった。
けれど、続いた沈黙と相手の所作にその表情も長くは続かない。

継がれた問いを、獣はただ静かに受けた。

獣は"樹里"と同じ香りを感じる。
耳をくすぐるのも同じ声同じ言語で、投げかけられるのはおなじ瞳の視線。

獣はいつかのように、そっと細い身体の横にその身体を横たえた。
そうする事以外の術を知らなかった。

突然の大イカに後ずさる。
傍にいる女性が何を言っているかすら、今の少女にはわからない。

息をのみ、今にも泣き叫ばんばかりに震え。

そんな中、ぎゅっと握り締めていたコインが落ちる。
まるで、少女が放り投げたようにも見えるそれは、ゆっくりと地面に落ちて、そして、――……


裏側を、上にして、……コインは止まった。






意図せずに。けれど結果は結果として。
マァムブの覚醒が契約者に変転をもたらす。

黄金に染まった世界の中に、1人の少女はわけもわからずといった様子で呆然と佇んでおり。
その少女を黄金色は包むようにして、そして、その中より現れた、変転した少女は、ゆっくりと……刃を構えた。

刃を構えるのをやめれば、はああ、と深く息を吐いた。
自分が無事なことに、心底安堵をする。

改めて自分を見下ろして。
……何だか妙、としかいいようがないその恰好に。
赤いケープに大きな袖、制服以上に露出する太腿、高いヒールのショートブーツ。
何だかすっかり自分が異世界の住人、とでもいうようなその恰好に、苦笑いを浮かべた。

知人に見られたら、きっと指をさして笑われるだろうな、なんて。

きょろきょろと、青年は周囲を見回すのであった。