「ローラ、貴女は生憎と天才だわ。私の次にね」
　仄暗い鼠色の瞳が、私に語りかける。
「吸血鬼の才能など、誇るには些か邪悪過ぎますが」
「それが良いんじゃない。狂ってて、素敵」
「ただの人間であるお姉様に言われるとは、皮肉な話ですね」

　姉は、いつもそうだった。
　異常であることに歓喜し、狂気であることに感激していた。そんな姉だから――。

「この死体の山は、姉が――カーミラ・ピットが作り上げた物だと思います」
　だから。一族郎党が、私と姉を除いて皆殺しにされた時。それが彼女の仕業だと、すぐに気が付いた。

　少年――ミラルカ・ハウダニットは首を傾げ、そう言った。
「くす」
　すると悪戯気に笑う、銀髪の少女。
　ミラルカが「変な事でも言ってしまったか」と思案していると、少女は肩に下げたポシェットを開き、一枚の紙を取り出した。
「どうぞ」
　恐る恐る手を伸ばすミラルカ。
　紙に目をやると、そこには無機質な文字列がプリントされていた。手渡された物は、どうやら名刺であったらしい。

「いえ、それは社名ですね。その下の――」

　ミラルカがどこか虚ろな目でそう問いかけると、ぴくりと、少女の眉が揺れた。
「……いえ。そうとも読めますが、違います。一度しか言いませんよ？　――私の名は"ローラ"ではなく"ラウラ"です」

「いえ、よく間違われるので、気にしませんよ」

　少年は、ラウラ・レ・ファニュの腕を、噛み千切った。

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――Agnus Dei，（神の子羊、）
――qui tollis peccata mundi:（あなたは世の罪を除き給う）

――miserere nobis.（我らを、憐れみ給え。）

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 おんな
　主よ。私は、あなたに背いた罪深い存在です。
　……イエ。「この身が吸血鬼である」という点に対して言っているのでは有りません。吸血鬼も本来であれば、神に祝福された存在に他ならないのですから。

　私は、二つ罪を犯しました。
　一つは、【人間に、私の血を吸わせた】こと。
　一つは、【悪魔を、造り出そうとした】こと。

　たとえ
　仮令神が赦そうとも、この罪は私を苛み続けるでしょう。摂理に反した化物は、かつての私――ローラ・ピットが産み落としてしまったのですから。幾ら名を変え、別人のように振る舞ってみせても。私の罪は、癒える事が有りません。

　 いよいよ
　 愈 々 となれば、この生命に代えても償うつもりです。それが、新たな罪であろうとも。


　　　　†
　目が覚めた時にまず感じたのは、噎せ返るような血の匂いだった。
「……あたま、いたい」

　酩酊でもしたかのように、ぼんやりとした思考。
　額を抑えながら、ゆっくりと体を起こす。
「さっきの、記憶は」
　ローラ・ピットと言う、狂った姉を持つ誰かの記憶。
「……、――カーミラ・ピット」
　記憶の中でそう呼んでいた。これは何の記憶なんだ？　僕の過去では、無さそうだけれど。
　以前にも、こんなことが何度か有った。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　セイレーン
　――愛する人を殺してしまった、 人 魚 の記憶。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　パロロコン
　――堕天使ルシファーによって生み出された、 悪 魔 の記憶。

　そして、そのどちらにも登場した――“青竹色の帽子の男”。ダンテック・ノエル。
　ローラ・ピットの記憶には登場しなかったが、果たしてこれは、偶然だったのだろうか？　　どちらの記憶においても、その顔は影がかかったように見えないままだった。偶然同じ帽子をしていた可能性は有るが。

「……考えても答えは見えない、かな」
　そう独りごちると思考を打ち切り、周囲を見渡す。

「……。有った」
　匂いの元――地面に、赤い水溜り。
　手首が一つ、その上に転がっていた。

　　　†
　ラウラ・レ・ファニュは古びた廃協会の中で、腕に包帯を巻いていた。
「やられました」
　机に乗せた通信機に向け、声をかける。
《どうしたんだ？　ミラルカの救助に失敗したのかい？》
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　、、、、、
「と、言う訳では無いのですが。ミラルカ・ハウダニット――ではない方の意識に、攻撃を喰らいました」
《……ほぉ？　しっかり“残っていた”ようだね》
「まあ、代償に腕を一本持って行かれましたが」
　噛み千切られた片腕を一瞥し、自嘲気味に嗤うラウラ。
《何。くれてやるが良いさ。吸血鬼なら、首だけになっても再生するくらいは簡単だろ？》
　眉が、僅かに釣り上がる。
「私は、吸血鬼の出来損ないですので。すぐにとは」
　　　　　　　　　 ポーション
　通信機から、《回復剤を用意しておくよ。強烈なのをね》と聞こえて来たので、ラウラは礼を言って通信を終わらせた。


「カーミラ、か」
　その言葉は誰に聞かれる事も無く、虚空に消えた。