恵み豊かな森林から、枯れた砂地へと歩いていた。
　ただ、ひとり。森林が薄れ、砂地の風景が重なる。葉擦れの音と、砂が舞う音が、重ならないままに響く。
　風景の方が、自分を通過してゆく。森の樹が薄れながら通り抜ける。砂は足跡を作らず舞い積もる。

　ああ、これは夢だ。

　班をさらに分けて荒野を進んだ。その時はふたりだった。青空色の目と、太陽の声を持つ少年がいた。
　砂地はざわざわする、気をつけないと砂が服や髪に絡む――そんな話をしながら歩いた。
　自分の育った場所は内陸で、かつ寒さの厳しいと呼ばれる地域だったので、『辟易とする』とはこういうものかな、などと思った。折を見て、岩陰での休息を挟んだ。多めに用意した水は、いつもの通り、魔女が用意してくれたものだった。どういう不思議か、半日の行軍にも関わらず、水は未だによく冷えていた。

　そこまでは覚えている。

　水を、適量飲んで。少し岩陰で目を閉じた。そして夢を見ている。
　それが本当の記憶ならば、慌てることはないはずだ。仮に少年もまた寝ていたとしても、エンブリオが騒ぎ出すだろう。
　――それが本当の記憶ならば。
　これが本当に夢ならば。

　ふたたび夢を見るようになってから、まだ数年ほどしかない。その経験において、こうした混濁はあまりない。
　少しばかり不安なような、奇妙なような気持ちで、半透明のすがたで、森と砂地を見比べる。
　透明なのは、風景ばかりではなかった。自分も、透明だ。ここに来る前から持っていた本の色も。ここに来てから作って貰った外套の色も。そこにあるのに、目に届かない。

　――森の合間から、誰かが歩いてくる。のんびりとした足取りで、鼻歌まじりに。
　その誰かは自分を通過して、川べりに立っていた誰かに話しかける。弾むような声で。
　振り返って、同じく弾む声と表情は、まだ青年といえる年頃の、普通の人間。
　自分と同じ顔をしているが、声と表情は、今とまるで違う。

　――ただの夢ではない。

　直感が閃き、そのままふたりを目で追う。既にふたりは歩きはじめているのに、距離は変わらない。
　ふたりが何処かの扉を開く。知っているような知らないような扉だった。くるり、と風景が回り、ふたりの方が屋内に回る。そんな透明な風景を、透明な自分が見ている。
　ややあって、扉へ歩いてくるものがいる。旅装と思しいフードつきの外套の下に、聖職者の衣としるしが見える。
　扉を叩こうとした手を止め、振り返って。
　その顔は、よくわからない。
　あらゆる記憶の中で、際立って、思い出せない顔。何となくの気配、表情すら、今にしてみれば希薄だった。

　あれは誰だったのか。




　ここは何処なのか。




　これは本当に夢なのか。




　――夢では、ないのなら。
　頭をめぐらせ、呼ぶ。心に浮かんだ、種族の名前。結んだ縁を手繰り寄せると、夢と交代するように姿を顕す。
　砂を背にした誰かが遠のいて、景色と呼べるものが失せていく。いつのまにかそこに、みっつの輪郭だけがある。

　角を持つ白い馬。誇り高く、なかなか気を許さないという。介入は不要と言い切った、護りの獣。
　八本足の灰色の馬。滑るように走る。ひとたび走れば、世界に引かれた生死の線すら越える馬。
　おぼろな人型。目を閉じたまま。額を飾る赤い花の模様。そのかたちも、気を緩めれば揺らぐ。

「僕が、何者であるのかは、まだ決められません」

　ゆらりと近づいてきた灰色の馬を、軽く撫でる。いかにも快いというように目を閉ざす様を、白い馬が見つめている。

「ただ、いつ決めてもいいのだろうと、思います。人間である要素も、そうでない要素も、時間も。等しくあるのだから」

　白い馬が、頭を垂れる。戦闘の中で折り取ってしまった筈の角が、未だにその額に輝く。

「……そう思うことに、しているつもりですよ」

　人型が告げる。音でなく、声でない、何かで。

『わたしとあなたの時間は、いま、少しだけ満たされた』



『六花を抱く契約者』

　――めまいを覚える。

『私達は、いつでも、ここにいる』




「……さん、ラザラスさん」

　遠くから声が聞こえる。よりはっきり聞こうとすると、砂の音が耳を叩く。
　閉じていた目を薄く開くと、同行の少年が、水袋を手にこちらを見ていた。

「起こしちゃってごめんなさい。ここなら涼しそうだから、大丈夫だと思ったんだけど」
「いえ」

　短く答え、軽くこめかみをもみほぐす。
　めまいが嘘のように引いていく。代わりに、砂地全体を覆う、気だるい風がのしかかってきた。
　そこから更に物理的な重みを感じ、視線を落とす。

「これですね」
「う、うん。ちょっと、重そうかな、って」

　指差したのは、どうやら眠っている自分にまともにのしかかっていた、白い毛皮の獣だ。
　これ呼ばわりは心外、というように、腹に頭をこすりつけてくる。小柄な白い虎。

「お陰様で、砂地でも大変涼しいですが……確かに、重いといえば重いですね」
「一緒に昼寝するのも、楽しそうだけど」

　ふわりと柔らかく、少しだけ困った表情になった少年に、大丈夫なのだと笑い返す。
　白虎を軽く撫でると、頭を擦りつけるのはやめたが、堂々とした様子は相変わらずだ。

「ラザラスさん、まだ眠くない？」
「いえ。少し眠ったので、充分ですよ」
「そうかあ。何か、夢見た？」
「……、はい。見ました」

　少年の明るい声に、二秒ほど考えてから答える。
　隠したり誤魔化したりする気は全くない。だが、『見た』以上に説明のしようがない。
　続ける言葉に微妙に困り、話題を変えた。

「この暑さで眠れたのは、この子のお陰でしょうか」
「涼しそうだよね！　動物って、もこもこしてあったかいけれど」
「意外に器用なようですね、その辺り。直接冷たいわけではないのですが」

　そう、砂地にあって、意外なほどに過ごしやすくある。
　生き物のぬくもりと水の元素を自在とする虎が、自慢げに喉を鳴らした。