一揆に参加してから、12日目。





　ぼくは、人間になりたかった。
　人間になって、この広い世界を自分の足で環(めぐ)って、みたかった。










　ぼくたち、ホワイトタイガーは、城に進攻を開始した一揆参加者たちを排除するべく、その責務を担いこの森林に放たれたモンスターの一種である。
　この森林の先には城内に続く道が隠されており、それを知ってか知らずかこの森林を進攻してくる一揆参加者たちを見つけては、傷付け、傷付けられ、退け、退けられ――ぼくは、そんな毎日をただひたすらに、繰り返して過ごしていた。
　勿論それは、今日も例外ではない。

　森林の頼もしい仲間たちからこの辺りを一揆参加者のパーティが通過しようとしている、との連絡を受けたぼくは、同じホワイトタイガーである仲間を一人連れその場に急行した。
　その場に到着してみると、歩行温泉さん、インプさん、そしてアップルさんが茂みに身を潜めており、その茂みにぼくたちも潜り込んでそっと様子を伺ってみる。すると、もう直ぐそこまで一揆参加者のパーティが迫ってきていた。どうやらアップルさんたちはウォーミングアップを済ませ、ぼくたちの到着を今か今かと待ちわびていたらしい。
　ちらり、と仲間たちに目配せをする。
　視線が交わり、こくり、とぼくが頷いたのを合図に、ぼくと仲間たちは一斉にその場を飛び出した――



　結果は、惨敗。

　この森林を突破させないという責務を担う上で、森林を守るモンスターたちの間では事前に約束された決まりが一つだけある。
　それは、動けなくなるほどの深手を負わないこと。
　ぼくたちモンスターは、浅い傷ならば一日ほどゆっくり休むと綺麗さっぱり傷は治ってしまう。人間たちとは違い、自身の身を治療する、といった行為はごく一部のモンスターにしか与えられていないため、そういう力の持たないモンスターは自然治癒力が大幅に向上しているのだ。
　勿論、もし深手を負ってしまったとしてもその大幅に向上している自然治癒力のお陰で死に至るケースは少ない。――しかし、問題はその治癒に掛かる時間の“長さ”なのである。
　どうしても即効性に掛けてしまう自然治癒力での治療では、深手を負ってしまった場合最低でも一週間、酷い場合では一ヶ月ほど動けなくなってしまうこともある。そうなってしまうと幾ら数が多いモンスターであっても、どうしたって手が足りなくなってしまうのだ。
　そういう理由もあり、ぼくたちは自分の力量を見極めながらも“全力”で戦い抜いていかねばならないのである。




　歩けないほどの傷では無い。けれども浅い、という表現は似合わない。そんな傷を受けた両足、身体を引きずりながら、森林の真ん中よりやや手前に位置する茂みに隠された寝床へと僕は帰って来た。
　その寝床には草が敷き詰められており、ぼくが毎日丸くなって眠っている場所にはくっきりとその痕跡が残っている。――嗚呼、また帰って来てしまった。はぁ、小さなため息と共によろよろの身体をその寝床へと導き、円を描くように回ってからそのままくるりと身体を丸めて座り込む。
　くい、と片手を上げて自分の視界に入れる。
　切り傷、擦り傷、打撲、火傷――片手だけでも、それだけの傷が見て取れた。ぺろりと、その傷を癒やすように一舐めする。
　じわりと傷口に唾液が染み、鈍い痛みを感じた。何度、何回同じような傷を受けたとしても、痛みに慣れることなど無いというのに――ぼくは、傷口を舐めるのをやめる。
　それは傷口に唾液が染みて痛いからではなく、単純に、毎日同じような傷を受けても結局この寝床に戻って来てしまう自分に、すっかり興味を無くしてしまっていたからだ。



　――ぼくは、人間になりたかった。
　過去形なのはもう、その夢を諦めてしまっている自分に気付いてしまったから。





　いつからだろう。
　ぼくが人間になりたいと夢みたのは。
　もう、正確な日時を思い出すことも出来ないほどに――遠い昔。

　その頃のぼくは、相手の、人間の目的は違えども、今と同じように、傷付け、傷付けられ、退け、退けられ――そんな毎日をただひたすらに、繰り返して過ごしていた。
　そう、“今と同じように”。
　その頃の人間たちは“冒険者”と自らを称していた者が殆どで、世界中を旅して周り、このメルンテーゼのエンブリオとの関係性に興味を持ち、平原、砂地、水辺、森林、山岳など様々な場所を自分の足で訪れ、自分の目で見て、自分の身体で感じて――探索をしていたらしい。
　そんな自分勝手な欲望のために森林は荒らされ、汚れ、冒険者と称する人間たちをぼくはひたすらに憎み、そして――気付いた時には、羨ましいと感じるようになっていた。なって、しまっていた。

　ぼくはこの森林で生まれ、この森林で育ち、未だにこの森林から出たことは一度もない。
　昔、ある冒険者を退けた際に、その人物が落としていった物。それはぼくが生まれたこの森林だけではなく、平原、砂地、水辺、山岳――そしてこの世界に留まらず、他の世界で撮ったであろう大量の写真たちだった。ぼくはその時、初めて、外の世界というものを知ってしまう。
　一面を水で覆われた大きな水たまりのような場所に、大きな氷の山。そして砂で覆われた大地に、石をひたすらに積み上げて作り上げられた三角の建造物――どれも、ぼくの知らない、世界の景色だった。

　知識というのは、本当に残酷である。と、僕は思う。
　知らなければ、ぼくは一生、この森林の中で幸せに暮らせていけたに違いない。違いないのだ。
　けれど、僕は知ってしまった。

　ごそごそ、と寝床に敷かれた草の下から一枚の写真を引っ張り出す。
　この写真の持ち主は余程写真が大切だったのだろう、写真を元あった袋に丁寧に戻し、森林の入り口にある切り株の上に置いといてやると、次の日にはもう無くなってしまっていた。もし取りに来なければ全て貰ってしまおうと思っていたため、少し残念な気持ちになったのを今でも思い出して、少し笑ってしまう。
　この写真は、その切り株の上にまるで冒険者がお礼を言うかのように、感謝の気持ちを伝えるかのように乗せてあったもので、この写真には、一面が真っ白いもので覆われたとても綺麗で、儚げな風景が写っていた。
　写真の裏側に撮影日時と、“雪”と書かれていたことから、恐らく、この白い綺麗な丸いものは“雪”というものなのだろうと僕はそう思い、戦いに疲れた身体を、心を、この儚げな風景を見つめては元気づけていく――

　そうした中で何時しかぼくは、人間になりたいなどという大層な夢をみるようになったのだ。
　人間になって、森林というこの狭い場所から飛び出し、この広いであろう世界を自分の足で、環ってみたいと――そう、夢みるようになってしまっていた。









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