部屋だ。この部屋はあの時アダムスの最期を看取った部屋だ。夢か。私は何をしていた……賞金首との戦いを行っていた。マズい、が経験上これは醒めようと思っても醒めることなど出来ない。失神をしている。血を流し過ぎた、明晰なこの夢の中でさえも視界から色が消えて皮膚は寒々とした色をしている。殺されることもあるだろうか。今目の前に居るアダムスへの行いを考えればそういうこともあるだろう、と私は常から思っていたよ。せいぜい略取で済めばいいな。この部屋は何度も夢で視る。私は夢を潜らないから、そう、何度も記憶している。追体験している。アダムスは私によって目を潰され、鼻を削がれ、鼓膜を潰され、口を縫い付けられている。場合によっては私自身がその処理を行っているところを私の背後から眺めることすら何度かあった。今回は処理の後で、しかも私はその場にいない。私がその当時の私の役割を果たす夢だ。私は君に共に居てもらいたかったよ、アダムス。声をかけても彼にはもう届かないだろう。彼のあらゆる感覚のあるうちに私は加害者として彼の前に姿をあらわしていない。加害者としての私と被害者としての彼はここでは一方的なものだ。
私に恨みがあったわけではない。彼とこうしていると悲惨さや無残さや自らの醜さなどや、あるいは真逆の充足感や幸福などと無縁の、全く何も感じないような奇妙な平静を覚える。そしてそれは想像が半分ついていた、半分は意外だった。彼は可能性を沢山抱えていたし、彼は能力を持てあましており、仲間には愛されていた。そういう彼が、まるで何も無いあの組織のあの一時の精神高揚のためだけに、それまでの可能性や能力や人、すべてを、その延長のために放棄するに至った。「貧しく暴力を見ないことの無かったあの街で、ネズミのように小さく賢く生きなければならなかった私を拾ってくれたあなたが、私を捨てたことが許せない」なんて言葉は私の中には沸くことは無かった。私は空洞に蝕まれ、行く先も持てる力にも全て細かな空洞が通され、やがて虫の食った樹のように崩れ落ちる、そういうさだめの生き物であるという自覚を捨てたことなどない。彼はそういう生き物ではなかったはずなのに、虫に身を浸していった。彼は今やかつての彼と見紛うほどに穴、穴、穴だらけの、まるでスカスカのそれだった。私は彼をひどく無残な存在として見た。気付けば私と同じような空洞が、彼の顔をして私の前に現れた。ただし賢さのひとかけらもなく。彼がずたずたのモノのようにすることは、私にとっては自失であり、自殺の代理であり、そしてまた私自身を今よりもずっと地の底へ近づけるための儀式だった。それが推論だった。
実感は違った。彼を引き落とすことによって私は自らの誰もいないソファーに彼を座らせた、そういう心地の良さがあった。彼が価値あるものとして物体を伴わない奇跡と神秘を見つめ聞き入れて期待するための器官は予定通り削がれた。口を縫うことは予定していなかった、私は彼にソファーから降りて欲しくなかった。ひどく妙な倍音の丸まって尖がった蓄音器の音を聴く。私はぼんやりと一時であれゆっくりと孤独が埋められていく様を蓄音器の間延びして音程の悪いホーンの音が部屋を満たしていくことで実感していく。アダムスは何か一言や二言言ったかもしれない、が、この部屋にとってそれはかすかな囁きでしかない……妙なことにこの夢では彼は口がふさがれていない。彼はまだ息がある。しかし叫ぶことなく平静としている。私は彼を後ろ手に縛った椅子の前に同型の椅子を持ち、そっとランプの明かりを足元へ置く。色味がないと、土気も血の気もさして変わることのないものだ、ぼんやりとまどろみと甘い香が私たちを包んでゆく。
「済まなかった」
私は目を見開いた。今私は顔を優しく覆って床を見ていたところだから、今の声が必ずアダムスのものだとは知れない。ゆっくりと顔を上げる、彼は顔をこちらに向ける。当然何も感ぜられないはずの顔面を私の方へ指している。彼はもう一度「済まなかった」と落ちついた調子で私に声をかけた。なぜ心がざわつくのだ。なぜか蓄音器はいつの間にか部屋を暖かく満たすことを止めている。私は口を開くことが出来るが彼に掛けるためのことばを胸の孔のひどく深くから探す、こんな、さしあたって意味の無いはずの彼のことばが、私のことばをどこにも見当たらなくしている。彼は続ける。「俺と君はきっと同じところを見ていたはずなんだ」妄言だ。私は夢という場で私が言われたくないことを無意識にこうして生産しているのだ。それは悪夢と呼ばれる。彼の堕落と私の生まれながらの空洞感に同じ所などあるはずはなく、彼の堕落にひとつの意味さえあるはずがない、忘我のよろこびに強く依存しているだけにすぎない、そして、私はこの満たされるはずだった部屋で、一番そういう話を聴きたくない、私は椅子の足を蹴る。男は床にたたきつけられる。私は男の腹を蹴り上げる。男は一言も発することはなく反応しない。私は彼の長い髪を引き掴むと床に打ちつける。彼は小さく済まなかったと答えた。こんなに苛立ったことは今までを生きてきて一度さえなかった。私はそういう余裕の無くなった人のやる動作を真似て髪を乱す。乱してから私は体を動かしていなければじわじわと苛むこの鈍痛をかき消すことが出来ない、そういう状況にあると初めて実感する。髪を乱す、ことよりももっといい方法が目の前にはある。何度でも踏みつけられる体を動かした結果が残る物がそこに残っている。一度、二度、三度と踏んでも折れる音は聞こえない、そう、この夢はそんなにリアルに作られていないのか。それを止める。私は部屋中の物を壊す。ここは廃屋だった、そのはずなのに写真立てには私とこの男の写真が飾られている。音を立てて割れる。鳩小屋を模した飾り時計を縦に外して割る。粉が散る音が聞こえる。彼の声も混じる。さらに音を立てなくては。私は手元のランプをベッドに逆さに返すと可燃性の液が朽ちた羽毛を音を立てて燃やす。そういえば私は後処理としてこの小屋を燃やしていたな。なぜ燃やす必要があったのか。ここは私の故郷ダックウィード、行方の知れなくなった娼婦のなきがらが付近で点々と見つかるダックウィードだ、念入りに証拠を無くしたかったのか？なぜだ。記憶が夢の中で置き換わっている？それともこの夢が実際で、私の記憶がまぼろしだったということか？定かではない、空気が薄い。男はいつの間にかまた私に向き直っている。謝罪を続ける。私は自ら大きな音を喉から振り絞りながら火の勢いを強めてゆく。ふと目にとまったのは彼の剣、手入れのされた両手持ちの。私はそれを引きぬくと彼を切りつけるも傷がつかずに素通りする。また私は強く音を出す。剣を窓から投げうつと、私はドアを開け放つ。空気を取り入れた古い部屋たちは大きく呼吸をして炎を走らせる。山火事と勘違いした人間を恐れて私は走る。走る、走る、呼吸の音がする、何故か彼の声が聴こえる、走る、走る……湖畔へ出る。
湖畔は静かに水面に月をたたえていて、遠くにはいわくのある遺跡、かつて彼をはじめ数々の冒険者を招いた遺跡が見える。私は目を閉じ、目を覚ます。

彼は自身に空洞を持ち、わざわざ私と同じ場所に立とうとしていた。
能動的にそれをする必要は私にはなかった。