乾いた風は、廃墟をすり抜け腕に絡みついていた。
この炎天下では、聞き分けのない外国語は嫌になる。

GIGNの参謀と適当に話をつけた後、部下に状況を確認する。
コトブキにも連絡がきたらしい。どうせSASあたりだろう。

それから待つこと30分。未だにあいつは出てこない。

「……コトブキはあの左の物陰に向かったんだな？」
「確認してきましょうか？」
「頼む。」

佐藤軍曹に様子を見に行かせる。
非戦闘区域とはいえ油断はならない、敵も味方も信用できないからだ。
敵は追いつめられた独裁者、味方は共産主義の皮を被ったテロリスト。
便衣兵を使うことなど何とも思わないだろう。

「……！高橋中佐、こちら確認願います！」

佐藤軍曹が何か見つけたらしいのでそちらに向かう。
若干嫌な予感はするが……。

指定された場所に向かうと、そこには略綬が落ちていた。
リボンの数・種類を見ても誰のものかは容易に想像がつく。

自分の中で鼓動が早くなる。

「……今から一時間前後、敵と思われる気配はあったか？」

部下に問いかけながら頭を巡らす。

元々この地の視察は、俺じゃなく別の幕僚をつける予定だった。
だが出発前日に大規模デモを政府側が武力鎮圧し、
危険度の増した場所にコトブキを派遣するかが大きな議論となった。

一応今は民間人とはいえ、楠木の令嬢だ。
捕えられて政治利用されたら、我が国は不利な取引をさせられる事になる。

俺は派遣に反対したが、
元々コトブキの言語能力に依存した計画で動いていたため
上の判断で押し通された。そのかわりの保険が、幕僚の交代。

「いえ。私も常に警戒していましたが、そんな人間はいませんでした。」

そりゃあそうだろう。俺だって警戒を解いた事なんてない。
しかし実際、コトブキは姿を消したのだ。

早く取り戻さなければ、とりかえしのつかない事になる。

「……佐藤軍曹、人の気配を見つけたら誰彼構わず捕えろ。
　無理そうならば射殺だ、俺が許可する。」

こんな筈じゃなかった、何のために俺はここに来た？

「ちょっと待ってください、そんな急に……。」
「責任持つ言うてるやろ、かかっとんのは人の命や！」

我ながら断末魔のような叫びだと思う。頭が焼き切れそうだった。

「しっかりしてください！
　コトブキ少佐ならそう簡単には殺されませんよ！
　死んだら利用価値がなくなりますからね！！」

部下の大声を聞き、我に返る。
確かにあいつの素性を知れば、そう粗末には扱えなくなる。
丁重に扱って人質交換と譲歩を申し入れた方が、ずっと役に立つからだ。

だがいつも政治的な判断が下せるとも限らない。
特にこの国は女性の社会的地位が低いし。
末端は、捕えた女性軍人をどうするか……あまり考えたくない。

「とりあえず、居なくなったのは事実です。
　私達に出来ることは直ちに上に報告し、情報を集めることですよ。
　コトブキ少佐を無事に取り戻すためにもね。」

佐藤軍曹の言葉が無人の廃墟に響く。
俺は頭に空気を入れるために、大きく深呼吸した。

「……取り乱してすまなかった。」
「無理だとは思いますけど、冷静になってください。
　焦れば相手の思うつぼですよ。」

この俺が部下から叱責とは恐れ入る。
大分情けない感情に囚われながらも、落ちている略綬に手を伸ばした。

「佐藤軍曹、ここから撤退する。まずは報告と情報を集めるぞ。」

便衣兵の好きになどさせるものか。
そう心の中で呟いて、コトブキの略綬を握りしめた。

◇◇

市街地へ向かう車の中は、無言のまま空気だけが張っていた。
俺は雑談する気にもなれなかったし、
佐藤軍曹は余裕のない上司に気を使っているのだろう。

「……前々から不思議だったんですけど。」

追加5分くらいだろうか、ぽつりと部下が口を開いた。

「コトブキ少佐は、どうして軍人になったんですか？
　彼女なら他に出来る事は沢山ある、
　こんな危険な仕事を選ぶ必要なんて無かったはずなのに。」

そう言って、ハンドルを握る手に力を込める。

「まぁあいつの家柄として、
　『ノブレス・オブリージュ』が成立するとは思うが、
　楠木家の長女がやる必然性はどこにもないからな。」

ヨーロッパの貴族階級などでは今でもそのような風習が残っている。
勿論、女性軍人の話は聞いたことなどないが。

「名誉も薄い我が国では、正直メリットなんでどこにもないでしょうし。
　外交官にでもなった方がよっぽど評価されます。」
「産まれた時から地位と品格はデフォルトでついてきた奴だぞ。
　明確な意思があるから軍属を望んだんだよ。」
「中佐も名門のご出身でしたよね、確か。」
「名門と言っても成り上がりの一家だがな、うちは。」

コトブキの家は昔から、
時の権力者に娘を嫁がせることで『外戚』の地位を確立してきた一族。
俺の家は3代前は単なるならず者にすぎなかったが、
祖父や親父が手腕を発揮して国の中枢まで駆け上がった一族。
今は同じ業界に居るけれども、社交界に出れば評価は歴然とする。

まぁ仕事やってる分には上司と部下で、
俺の方が仕事が出来る自信があるので引け目などはないが。

「なんか詳しいですけど、昔からお知り合いだったんですか？」
「知り合いというか、世間の狭い業界なもので
　懇談会とか新年会とかやるとよく顔を合わせるんだよ。
　上層部に居るやつは大体顔見知り。」

実力とともに、人脈が生命線の界隈だ。
そんな伏魔殿に自ら乗り込んだ我が弟の神経を本当に疑う。

「……さて、本題に戻ってコトブキが何故軍人になったか、だが。」

話を蒸し返す必要あったのかと一瞬考えたが、
今の状況は釈然としないだろうから自分の為にも話すことにする。


「あいつは『意志ある人形』であることを自ら選んだ人間なんだ。」


佐藤軍曹の眉が跳ねた。
俺は外の景色を眺めながら、20年くらい前の記憶を手繰ることにした。


◇◇◇


――残暑の厳しい年の、終戦記念日だった。

丁度その頃、憲法改正の最中で世間が騒がしかった。
連日、家族ともどもメディアにストーカーされ、
うんざりしていたのを鮮明に覚えている。

その日は上層部の会合が予定されていて、
形式上は家族ぐるみの懇談会ということになっていた。
子供などは仕事の邪魔にならぬよう、
ひとつの部屋で待っているように言われていた気がする。

大学生以上は懇談会には来ない人間が多いため、
必然的に高校3年の俺が最年長だった。
とはいえ、騒ぐ人間などいなかったので
端の方で受験勉強をしていたのだが。

その頃俺は、志望大学について悩んでいた。
そこそこ成績は良かったのでどこにでも入れただろうが、
将来の展望がなかったのである。

嫌な事はひとつだけ。親父の跡だけは継ぎたくなかった。
自分の嫁を使い潰してまで進む価値があるとも思えなかった。

「みんな、将来は何になりたいの？」

中学生の女の子の声がする。
わりかし真面目な子が多いので、ゲームの手を止め話題は盛り上がった。
弁護士、外交官、研究者、エンジニア……起業するという奴までいた。
わりかし堅実な志向の意見が多かったと記憶している。

「ねぇ、コトブキは何になるの？
　やろうと思えばなんでもできるでしょう？」

俺とは逆の方面で本を読んでいたコトブキに話が飛んだ。
名だたる楠木家に恥じない優秀な娘だ、なんだって出来るだろう。
特に語学堪能だそうだから、
外交官にでもなりたいのではと適当に聞き流そうとしていた。

「私は、軍人になろうと思う。」

コトブキから放たれた言葉で、部屋内が静まり返った。
楠木家の長女が、軍人？

「え？ごめんコトブキ何て言ったの？私の聞き間違いだよね？」
「軍人になりたいって言ったの。
　私べつに運動苦手じゃないけど、そんなに不思議なの？」

そういう問題じゃない。
どうして楠木の娘が死ぬリスクの高い職場に行かねばならんのだ。
まだ弟の方なら分かるんだ、ヨーロッパの方にはそんな風習あるし。

「いろいろ調べたんだけど、軍隊の仕事って面白いよ。
　高度な知識や技術が集まって、やりがいもありそう。
　自分の一生を懸けるに足る、立派な仕事だと思うの。」

少し熱に浮かれたように、コトブキは続ける。

「それにね、あざといけど私みたいなのが軍隊で出世したら
　軍の扱いも、もっと良くなるんじゃないかな。
　この国は軍隊を虐め過ぎだよ。」

『ノブレス・オブリージュ』――この言葉が俺の頭をよぎった。
楠木の娘ならば素直に嫁に行った方が役に立つのではあるが。


「私はこの国のためにも、もっと軍隊の名誉を高めたい。
　その為ならば、『意志ある人形』として楠木と共に生きても構わないよ。」


――14歳にして、人形としての意志を固めるか。

人間、どう足掻いても与えられた環境からは逃れられない部分もあるけど、
頭で分かっていても素直に受け入れるのは難しい。
14歳でそれをやられたら、18歳で親に反発している俺はどうなる。

内心舌を巻きながら、参考書を閉じる。
軍隊か、今度詳しく調べてみてもいいかもしれない。
そう思いつつ、横に置いてあるポカリに口をつけた。


◇◇◇


「……という話があった。」
「今とは比べものにならない位聞き分けが良かったんですね……。」

少々長い話の後、佐藤軍曹は一言こぼした。

「あの時はご立派な事言っていたけど、
　よくよく聞いてみたら、軍隊モノの漫画にはまっていたんだと。
　俺のちいさな感動を返せよ。」
「コトブキ少佐らしい話じゃないですか。」

運転しながら、相手は笑いをかみ殺す。ちゃんと前を見ろ。

「でもまぁ、結局中佐が防大に入ったわけですか。」
「9月からの対策だったから当時は死ぬかと思ったがな。
　でも後悔してないぞ、ここの仕事は面白い。」

コトブキには本当に感謝している。
こんなにやりがいのある仕事は、そうそう見つけられなかっただろうし。

「……必ず救出しましょうね。」
「当然だ。」

言い切って、力強く拳を握る。
とりあえずは情報末端を使うため、俺達は市街地まで車を急いだ。



To Be Continued......

アリクイさんは罰ゲームでで空を舞っている．

アリクイさんはひたすら空を舞っている

カバンから小さなケトルを取り出しながら

剣呑な雰囲気に触れ，閉じられていたものが開かれようとし始める．