四月。
春を告げる薄紅の木。人影はその、花ひとつ付かない幹に触れる。
優しく、生き物にそうするように。

けれど植物に、人と同等の意思は存在しない。
それが常識だ。




夢想を信じることは、世間に浸りきった“大人”には難しい。
真実から顔を背け、夢想を口にし、こどもらしくあろうとする。
それは紛れもなく、既に純真な“こども”ではない証だ。



作楽誘乃とは、そういう人間だ。



かれは、何よりも現実を見ている。
空想と知る空想は、真実から生まれた傷を癒してはくれない。
だからそれに縋ることは、もう随分前に止めてしまった。

どんなに綺麗事を吐いたとしても。
ただ一途に『この桜は生きている』なんて、本当は信じてなんかいない。

理想を描くかれの嘘は、決してかれ自身を救うことはない。








けれど。けれどもだ。

この目に見えないものは本当に、全てが偽りなのだろうか。
全てが、かれが作り上げた偽物なのだろうか。

嘘を嘘と知りながら、尚も信じてくれる人が居るならば。
ともすれば、それは救いなのかもしれない。

だからかれは、相も変わらず。誰かに伝えるための嘘を紡ぎ続けている。
……冷たく苦しい世界の中で、救いになることを信じている。

命なき物にこうして語り掛けるのも、その表れのひとつだ。




















ふと、もう片方の手に視線を下ろした。
スマートフォンのアプリケーション。
丁度一年前から、通知のなくなってしまった中学校のグループ。














透き通る穏やかな風が、色素の薄い髪先を揺らす。
薄紅色が、風に乗って舞い散っていく。





































とん。と。茶色の肌に体を預ける。





殆どの童話や小説、漫画の中では。
登場人物は、最後には報われるようになっている。
例えどんなに紆余曲折を経たとしても、
創られた物語は人間の理想像を投影して、現実よりも綺麗な形で終わる。

そんな理想も、ある種の嘘といえる。




かれは嘘を信じたくて、そして信じることができないから。
幸せに、より手を伸ばして。
その輪に加わろうと欲張ってしまえば、その夢幻がみんな壊れてしまうような気がして。











何故だろう。
そんな思い出なんてないのに。

ずっと前から、そうしていた気がするんだ。


















『忘れたいの？』
































振りむいても、誰も居ない。

その花は咲いていない。













けれど。

花の香りは、いつから薫っていたのだろう。

▲	真柄 「おぉ……これは、桜の花びらか。 　痛みが薄れていくように感じる…… 　こういう不思議な術も使えるのじゃなぁ、お前、は…… 　……ん？」

	真柄 「……どうした？様子がおかしいぞヨシノ。 　少し前に比べて覇気がないというか、気魄が薄いと言うか…… 　は？俺に叶えられない望みとかないが？？ 　……と、煽りにノリたいところじゃが、……やめとこう。 　俺は向こう見ずではあるが、自分の無力がわからんほどでもないけぇの」

	真柄 「じゃけぇ、代わりの問いには答えよう。 　確かに破壊した顔や腕は、戻っては来ない。 　だが『自分を滅ぼすことに躊躇がないか？』と聞かれるとそうではない。 　俺にとって自分自身とは、この真柄という魂の有り様じゃ。 　魂の形を壊すことに比べれば、この肉体が傷付こうが構わん」

	真柄 「つまり、この顔と腕を亡くしてでも貫きたい意地があったんじゃよ。 　お前に対しても同じことを言うてるつもりじゃ。 　お前の望みを叶えられるかどうかはわからん……が、 　このまま何もなくお別れするのは寂しいと思う。 　残るものが傷痕であろうと、 　俺はお前の知己として、その望みを聞いておきたい」

▲	暫し時間が経てば、徐々に感情の落ち着きを取り戻す。 言葉の代わりにか、ふぅと溜息を吐いた。 「そういえば、この地では子供らしい子供はあんまり見掛けないわね……。 そもそも争奪戦になんか子供は参加しない、って考えれば自然なことかもしれないけど」

	「ふふ。ヨシノに言われると、何となく説得力がある気がする。 安心できるわ。ありがと」 その佇まいか、或いは声色か。 何がそういう気持ちを呼び起こさせるのかは分からない。 だけど、別に理由なんて分からなくていいと思った。 知った所で……何が変わるわけでもないはずだから。

	「『弟』を探している理由ね……。 うん、まぁ……あまり考えて来なかったことだけど」 首を傾げて、少し考える素振り。 「……その全部がそうと言えばそうだと思う。 何だかんだでこれからも傍にいてほしいって思うし、 今となっては実質唯一の肉親に等しいし、 記憶も……取り戻したいから。 ただ優先順位までは、すぐには思い付かなかったけど」 納得してもらえたかしら？とばかりに口を閉ざした。

	ただ、その沈黙も長くは続かず。 「ヨシノが仮に、その立場だったら。 何を最も優先すると思う……？」

▲	「………………」

	答えるあなたをじいと見つめていた。 言葉を挟むことなくその姿を視界に収めて。

	大丈夫と目を細める姿も。 わざとらしく膨らんだ頬も。 記憶に残るあなたの姿と違いはない。 違いはないのだ。

	「…………そう、ですか」

	「そんなことありませんよ。 　ヨシノはヨシノです、お化けじゃない。 　おれと一緒に、生きているヨシノです」

	「でも、中学生に逆戻りしちゃったらちょっとびっくりしちゃうかも。 　学年の差、今よりも開いちゃいますね。 　同じ高校に行けてるの嬉しかったんですけど……」

	「……それでも。 　一緒に帰ることができるのなら、安心しました。 　ツリー、来年……ああいや、もう今年か。 　今年も、一緒に見たいから」

	「ツリーだけじゃなくって他にも……遊びたいこと、したいこと、たくさんありますから。 　おれが大学行っちゃう前に、今できることは二人でしたいですもん」

▲	「そうか。……そうだろうな」 感情の抜け落ちた、いや押し殺しているのだろうか。明らかに調子の違う笑いに幾つもの可能性を想像したが、文字にしない程度には人生経験はつんでいた。腐った葉も積もれば養分ということだろう。

	「納得は……そうだな、してもらえないだろうな」 「これはヒトとして言わせてもらうが……世の中、納得できることの方が少ないもんだ。理不尽を飲み込んで生きていく、それが人間として生きるってやつだな」

	「だからな。無理に納得しなくてもいいんだぜ、別れってのはよ」 相手か己か、あるいは家族へか。誰に向けたかわからない一文を打ち込み、ふぅと息を吐いた。

	「それで意地の悪い話か。なるほど、今までの話は優しかったものな？」 微笑みに返す文字にはちょっぴりスパイスを聞かせてみた。多少距離が縮まった証左かもしれない。

	「その配慮に精一杯の感謝、というわけでもないが答えるとしよう」 「……普通に立ち会ってもらって構わないぞ？家族がいるだろうから、今の女性の姿だと困るが。他の姿なり見えないようにできるならば問題はないな」 意地の悪い要素がすぐにわからず、文字を打ち込んでから考え込む。この美しい桜の精は今"死"に敏感すぎるのかもしれない。それとも自分が鈍くなっているのか。 まさか『妻子もちの男の病室に若い美女が乗り込んでも家庭は大丈夫だよね』的なニュアンスを桜の精が理解して意地悪だと表現するはずはない。多分。

	「ただ病気なり何なりで部屋で死ねるなら、だろう。誰かに殺されたとなれば偶然近くにいない限り難しいはずだ。そうならないよう願っておいてくれ」 この赤い空の下じゃ病室で死ねそうにも無いな、などと見上げながら。イバラシティでまだ残っている桜を探しにいこうか、とも。

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