狂ったような空疎な嗤い声が、虚しく響く。
影法師は、きっかり一刻前から。こうして嗤い続けている。



偶然取り落とした玩具が、弾みで壊れてしまったみたいに。
















開いた眼で、虚空をなぞる。
空っぽの瞳の底は、何も見ていやしない。初めから。












身を滅ぼすようなこの感覚に、覚えはある。
人間の記憶を。心を通して。知っている。

呪い、縊り殺すような。焼き焦がすような瞋恚。

けれど何故それがここにあるのか、それだけが分からなかった。












ずるりと這う如、赤黒い根が蠢いている。

あの。ひとりのヒトを。
“サクラヨシノ”を手放したその時から、何かがおかしい。












化け物と同じ顔をしたヒト。

……あれは生来の顔ではない。魂こそ元のままだが、その容貌は変質している。
他の“ともだち”はかつての自身のまま、あの街に降り立った。
故に化け物に因った“サクラヨシノ”だけが、イレギュラーであると言える。

その結果として。正しくヒトの魂を持った「ヨシノ」が存在することとなった。
ヒトの心を理解し、翻弄され。そしてヒトのように動く「ヨシノ」が。












「ヨシノ」というヒトに、化け物たる自身が侵されているのは分かっていた。
この地のヒトと言葉を交わすことは、この五臓六腑に触れられるのとそう変わりないことも。
此度の戦争は、罪悪からは切り離せない。思いの有り様から逃れられない。
争いの根底こそ、その衝突であるから。

そうして心はあるのかと問われる度に、都度気づかない振りをしていただけだ。








どうして。どうしてだ。









行ってしまう。往ってしまう。逝ってしまう。

こんなに、ぼくは、きみのことが好きなのに。
愛しているのに。思って。想って。

苦しませたくないのに。




幸せに、したいのに。

---

『桜が見頃です』。





テレビから何気なく聞こえた声に、惹かれるよう、ついそちらを向いた。
明日の支度をしていた手を休め、ぼんやりと眺める。

この街では年中桜が見れる場所だってあるし、うちの桜は今年もまた花を咲かせていないものだから。
だからもう、そんな季節になっていたんだと。“普通”に触れて漸く思わされる。

















卒業式があった。──通い慣れない学校のそれは、心の置き所に少しだけ困ってしまった。

少しだけ申し訳なかった。愛着もそうない自分は、そこに居るべきではない気がした。
同級生が泣いている姿を見て、そんなことを思ってしまった。

本当なら、友人たちと。あの学校で。この時を迎えられたなら良かったと。
それはどうしても、心残りだった。






環境が変わってからの一年間自体は、あまり特筆することがない。

新しい教室には殆ど休まず通っていたけれど、親しい人はできなかった。
話をする程度はあったけれども、如何せん転入直後、自分の愛想が良くなかったもので。

言い訳がましくはあるが、嫌な人たちだったわけではない。
今でこそ楽になっているものの、正直なところ当初は気持ちの余裕がなかったし。

……そもそも自分は、人があまり得意ではないのだ。






人に笑いかけるときの自分は、多少なりとも打算的なのかもしれない。
自分のことを知られたくはないから、先んじて触れる場所を選ばせようとしている。

この態度は概ね、これまでの経験に基づいているのだと思う。
傷が痛むからこそ、そこを庇うよう振舞うのに慣れてしまった。
もしくはわざと傷に触れさせて、痛まない振りをすることに。

そんな振る舞いをするだけで、この世は生き易くて。けれどやはり、生き辛くもあった。





そういう意味で、かつての教室は居心地がよかったのだ。
なんとなく、似ている気がした。

あの場のみんなが纏う不完全さに気を許していた──と言ってしまえば、誤解を招くだろうか？

だからそれだけは、絶対に口にはしなかったけれど。














誰に向けるでもない自嘲をしながら、日の沈んだ外へ視線をやる。

もう暗いのだし、戸締りはしておかなければならない。
そんなことを思う。

そのそばから。
















花が、ひとひら。　窓辺を掠めた。









どんな風向きであっても、まほら園に薄紅の花が届くことはまずない。

庭の枯れ木を除いて、この近辺に花を咲かす桜はないのだ。
……少なくともこれまで。私に“私の異能”は見えたことがない。


だからそれは、明らかな異常だった。










少し乱暴に窓の鍵を外して、開いた先に身を乗り出す。
不意に触れた夜風は身を竦ませるには充分だけれど、それを気にしている場合ではない。

……花弁はない。
舞い落ちたはずの地面に、真白の色はどこにもない。








見間違ったのかもしれない。つい先程、満開の映像を目にしたばかりだったから。

そこに誰も居ないのに、ちょっとだけ居たたまれなくなった。
自分はまだ、期待していたのだろうか。

……微かにでも変わったのかもしれない。期待してもいいのかもしれないと。

自分の異能が存在していること。或いは、あの桜の木こそが、また。








顔を持ち上げる。ここから、あの木がよく見えるはずだから。










やはり、華やかさはない。寂しい裸の木がそこにあるだけだ。　
それは当然なのだけれど。



















数度瞬く。……やはり、何もない。

何もない、はずだ。
















あの桜の木の陰に。

小さな白い影が、見えた気がしたのだけど。

▲	ふと、目が覚める。 目を擦りながら辺りを見渡すといなくなっている事に気づく。 しばらくぼうっとするが、寝直すように花弁に顔を埋めた。

	ケイ 「ヨシノさんはいいな。目標があるんだ。 　誰かに会いに行く。きっと、嬉しい事だと思う。」

	ケイ 「俺も侵略側に勝たせる、目標がある。 　けど、その後、なんにも無くなってしまう。 　友達も、家族も、世話してた動物さんだって会うことが出来なくなる。」

	ケイ 「目標に向かって進む人を、俺は、見送ることしか出来そうにない。」

	仰向けになり、紅い空を見上げると溜め息をつく。 空になった息を吸うと、ぼうっとした目で話し続けた。

	ケイ 「だから、せめて、ヨシノさん。 　最後に笑ってて欲しい、というのは俺の台詞だ。 　見送る側が望むのはそれだけかも知れない。…俺達、似てるものなのかな。」

▲	タヌキ 「むっ、思い切り行ったな。 泥遊びには何といっても度胸が大事だからな！ 俺の一番弟子なだけあって、なかなか見込みがあるぞ！」

	タヌキ 「見込みは上々だが…ううむ。 まったく、俺の注意は全く聞いて無かったみたいだな！ どこが眼だか鼻だか耳だか、泥塗れで全然分からなくなってるじゃないか。」

	タヌキ 「やれやれ、手の掛かる一番弟子だな！ しょうがない。その姿勢のまま少し待っていろ。 ちゃんと前が見えるようにしてやるからな。」

	【タヌキは思わせ振りに溜め息を吐くと、弟子の顔がある方へ歩き出す。 そうしてグイと頭を盛り上げると、眼や鼻や耳の泥を舐め取ろうとするのだった。 まるで母タヌキが子タヌキに対して、そうしてやるかの様に。】

	タヌキ 「良いか？　泥に飛び込む時はな。 身体を少し傾けて、眼とか鼻とか耳は泥に沈まないようにするんだ。 そうすれば、こんなに何から何まで泥塗れにはならないからな。」

	【ペロペロと丁寧に舌で泥を舐め取りながら。 泥遊びの注意とコツを教え込もうと、合間合間に言葉を投げ掛けて行く。】

▲	それはまさに、感情を持ち得ぬものが表層だけを模倣したような笑声だった。

	女は、凝乎(じっ)とあなたの瞳を見据える。 　赤い瞳はあなたとは違い、まるで人間そのものだ。 　その表情に浮かぶ意志さえ、すべて己のものと疑わないものの顔。

	ニアク 「ああ……そうみたいだな」

	ニアク 「悪かった。いや、どうかな。 　やっぱり、君の言う通り、お互い様ってやつなのかも」

	ニアク 「私自身が何を望んでいるか分からない。 　言ってることがめちゃくちゃなのは分かってる。 　話を聞いてくれて感謝しているよ……そう、感謝している」

	連なる言葉は、やはり感情のあらわれに思える。 　そこには葛藤や、躊躇や、懊悩があるように見える。 　取り繕われた笑顔を見つめて、女はかぶりを振る。

	ニアク 「……あと十時間を切ったか。 　状況は不利みたいだな。イバラシティの住民が、あんな場所に落ちてくることがなきゃいいんだが」

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