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――一年前、とある屋敷、とある部屋にて。
既に夜半を回った時間。
とある少女を連れ去り、そうして、その後の事。
静かに、幽かな気配を漂わせた透けるような緑の髪の少女が
その部屋へと訪れる。
『楔奈、もう大丈夫?』
「……うん、大丈夫。怪我事態はこの通り」
数時間前の戦闘で負った傷の手当を終え、
朗らかな表情で緩く首を振ってみせる。
夜光に銀色の髪を反射させる小柄な少女が、
そう答え、その声の主に顔を向けた。
暫くの間を置いて、緑の髪の少女――〝ティーナ〟か柔らかな唇を開いた。
『そう……。ねえ、楔奈。最期に…ひとつ、いい?』
「うん、なぁに?
どうせなら一つだけじゃなくて、二つ、三つあってもいいのだけど」
『――楔奈、貴女の望みを教えて』
そんな言葉が投げかけられるとは思っていなくて、
一度、青い双眸が大きく見開かれ、そうして、細められた。
「……口にしていいの、ティーナ?」
『最期だもの。
想い残しも、想われ残しも、したくは無いでしょう?』
先がわかるからそこ、その言葉は悲しいけれど、
それでも確かにその通りだった。
だからこそ、愛する少女の言葉に、楔奈は縋る事にした。
「――わたしは、ね。
出来れば、ずっと〝ティーナ〟と一緒に在りたかった。
今度こそ、幸せにしてあげたくて、君がくれる幸せを感じたかった。
――それが、わたしの、望み。半分くらいは、叶っているけども、ね」
『……ありがとう。
楔奈、わたしも、貴女とずっと共に歩みたかった。
わたしは、貴女が傍にいてくれるだけで、幸せだった。
けれども…ごめん。わたしでは、ずっとは、その願いを叶えられない。
復讐と、そして…”あの子の幸せ”を、わたしは望んでいるから。
それをしなければ、わたしはわたしでいられないから。
――だからせめて、貴女と思い出を作りましょう』
言葉に重ねるように、〝ティーナ〟はそっと楔奈の手を繋ぐ。
きっと、そう応えるだろうと、そう感じていた。
それが、この少女が未だ世界に在れる理由ならば、当然の事なのだ。
だからそれで良いと、楔奈は自分に言い聞かせる。
「……うん。わかってる。其れでいいの。
じゃなければ、わたしは、
きっと君の事を何処か遠くに連れ去ってしまうから。
そうしてしまったら、
きっと誰の願いは叶わなくなってしまうから。
それは――誰も望んでいないだろうから。
……ありがとう、まだあの子の事を想ってくれて。
――だから、今は、わたしと君の思い出を刻もうか」
繋いだ手に、キュッと力を握り返す。
楔奈の横顔を見つめながら、
〝ティーナ〟はゆっくりと大きく頷いた。
『……そして、見届けてもらいましょう。
あの子に、わたしたちが幸せだったという、その証明の為に。
――結婚式をしましょう』
「……さ、先に言われてしまった。
考える事は一緒かぁ。指輪は用意してたんだけどなぁ……。
あの子――凛音に、か。
うん、最初の三人だもの、ね」
『…ええ、恨んでこそ、憎んでこそいるけれども――幼馴染ですもの。
なんだかんだで、今まで引っ張ってきたのは”わたし”だもの、ね。
ま、用意はしてなかったから、そこは楔奈の役目でしょう?』
普段と変わらない、そんな言葉のやりとりをして、
お互いに小さく微笑む。
「君、随分とヤンチャだったからなぁ。
でも君のお陰で私も、行動的になったわけだし、
何よりもそういうのが好きで、何よりも生きてる気がした。
途中からは引っ張り合いだったじゃない」
昔を振り返る話に〝ティーナ〟は微笑むと、
そういえば、何時の間にやら楔奈は適応してたっけね、と頷いてみせた。
「――それと、あの子の事で。
一つだけ、〝ティーナ〟に伝えておきたい事があるの」
『……うん、聞くよ』
「……あの子は、ね。
わたしと〝ティーナ〟の想いを邪魔してしまった事に気がついて。
きっと、本当に、些細な言葉のつもりだったけど、すごく後悔をしていた。
わたしが君に想いを伝えられなかったのは、自分のせいだって。
それで、あの子は自分の身を呈して、わたしを庇ったの。
わたしを君の下に返そうと。
ちゃんと生きて帰って、〝ティーナ〟とずっと一緒に居たいという事を、
伝えられるようにって。ごめんね……って。
――今の気持ち。
変えることはなくていいから、それだけは、覚えておいてあげて」
『――そう。ああ、確かにそれは……。
わたしの知っている、あの子らしい。
……うん、覚えておくよ』
その言葉を聞いて、〝ティーナ〟もまた思う事はあった。
それ故に、心に、ほんの少しだけ、後悔の色が浮かぶ。
あの子がそう思ってくれていたのであれば、
この復讐を燻らせたまま、こうして在り続けるのも悪くは無いと、
そんな、蓋をしたはずの気持ちが湧き出てくる。
『(――けれども今は、その気持ちに今一度蓋をしよう。
どの道、復讐を果たさねば、わたし長くは己を保てない。
何よりも、この復讐を果たさねば、
〝わたしたち〟を想ってくれた、あの子は幸せを掴めない)』
どの道、〝わたし〟と言う存在そのものに救いなどありはしない、と。
〝ティーナ〟はそんな確信を得ていた。
なぜならば、復讐を果たさねば『己』でなくなり、
その復讐の果てにあるのは己の消滅しかありえないのだから。
〝
復讐を果たし、そして、その消滅を避ける〟など……
ああ、そんな奇跡はありはしない。
たとえあの天使でも、そのような死者蘇生……
いや、消滅の回避など……同等の対価もなしに、行なえはしないと。
そう思っていた。
「……うん、ありがとう。
それだけ、伝えれれば大丈夫」
『そっか。…じゃあ、あの子のところに行こう。そして、誓いを、しよう』
「うん、行こうか。
わたし達を見届けてもらいに――」
■
――同日内、屋敷内、礼拝堂にて。
「式……?」
何のとは口に出さず〝ティーナ〟の方から、楔奈の方へと視線を移し、問う。
「(……まぁ、流石にそこまでは察せないよねぇ。
〝ティーナ〟も最期まで本心は見せないつもり……ないんだろうなぁ。
そもそも、りんちゃんの〝初恋〟の相手っていうのは気づいてるのかな)」
問いかけられた視線を、楔那は敢えて外すように視線を逸らす。
自分からの言及は避るというように。
『……はいこれ、渡すから、手順どおりに進行してね』
そのままとある紙を凛音に投げるようにして手渡す。
「――っと。これは……えっ?」
紙に書かれた文面を見れば、思わず目を丸くし、表情を見返す。
『言ったでしょう?”見届けてもらう”って。
……ほら、早く進行お願い』
〝ティーナ〟はじとっとした眼つきで、せっつく様に急かす。
「――わ、わかった。
けど、いきなりすぎない?
ほんと二人して私を振り回すのは、
昔と変わんないんだから……もう」
小言を口の中に転がしながら、
数泊の間をおき、深呼吸をした後――
思い出したように声を上げる。
「って、待って。指輪はあるの?」
「あるわよ。ほら。白詰草で作ったやつ。
まあ、他は無いけども」
箱にまで納められた二人分の指輪を凛音へと見せれば、。
納得したように頷き返してから、少し考え、凛音は辺りを見回した。
少し待ってと伝えれば、窓際迄歩み、
掛かっていた白いレースのカーテンを取り外していく。
「ドレスは無くともヴェールくらいは……
あったほうが雰囲気あって良いでしょ?
とは言ってもレースのカーテンだけど……
子供の頃のこれでやったこともあるし、無いよりは、ね」
今度こそは遊びではないけれどと囁くように口にすれば、
それを二人に覆うように纏わせる。
「――では、挙式をはじめます」
『……はい』
〝ティーナ〟がその言葉に続くように、返事を返し。
しっかりと、楔奈の傍に佇む。
「〝水原ティーナ〟、あなた此処に居る白妙楔奈を……
幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、
病める時も、健やかなる時も――
死が二人を別離〈わかつ〉とも、これを愛し、
敬い、慈しみ、助け、その先をも、守ることをここに誓いますか?」
『――はい、誓います』
「では、白妙楔奈。
あなたは此処に居る〝水原ティーナ〟を……
幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、
病める時も、健やかなる時も――
死が二人を別離〈わかつ〉とも、これを愛し、
敬い、慈しみ、助け、その先をも、守ることをここに誓いますか?」
「――はい、誓います」
「それでは、結婚指輪の交換を」
そうして、先にティーナへと白詰草で編まれた指輪を差し出す。
『ありがとう。
――私、水原ティーナは。
白妙楔奈を楔奈を最愛の者とし、
幸せな時も、困難な時も、富める時も、
貧しき時も、病める時も、健やかなる時も――
死が二人を別離〈わかつ〉とも、これを愛し、敬い、慈しみ、助け、
その先をも、守ることを誓い…そして、
貴女の生存と未来への幸福を望みます』
手渡された指輪を手に、楔奈の前へそっと差し出す。
「――っ、ティー、ナ。そんな、の、……」
その言葉に息を呑む。ああ、だってそれでは。
それでも、ずるい、とは口にできなかった。
だから、その代わりに、そっと、手を預けるように差し出した。
『ごめんね。でも、それが、わたしの、包み隠さぬきもちだから』
その手の薬指に、〝ティーナ〟は指輪をやさしく嵌める。
「えぇ、わかってる。それが、君の気持ちなら」
声の抑揚を抑えつつ、されど、静かに微笑み頷いて、
指に伝わる感触を確かめた。
『ええ、だから、次は…貴女の番だよ、楔奈』
そっと、その手を差し出した。
ほんの少しの間。
閉じられた双眸からは、僅かに、涙が滲んでいた。
「――ほら、姉さんも、でしょ?」
もう片方の預かっていた指輪を、凛音は楔奈へと差し出す。
「……うん。
――わたし、白妙楔奈は
〝水原ティーナ〟を、貴女を最愛の者とし、
幸せな時も、困難な時も、富める時も、
貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、
死が二人を別離〈わかつ〉とも、これを愛し、敬い、慈しみ、助け、
その先をも、守ることを誓い……わたしは」
「
――貴女の望みを叶え……
そして、この先も貴女と共にあることを望みます」
囁くような声色で紡げば、そっと指輪を前へと差し出した。
『……楔奈』
〝ティーナ〟も分かっていた。分かっていたのだ。
きっと、彼女が望むなら…そう願うであろうことを。
――差し出された指輪に、自ら、その薬指を嵌める
「もう、隠すことも、嘘も吐きたくないもの。
だからちゃんと、後悔しないように望むだけ。
……望むことだけは、許されるでしょう?」
愛する少女が嵌めた心地を確かに感じとり、
はにかむように口角を緩めれば、首を傾ける。
『……おあいこさまだからね、許されないとは言えないよ』
「ふふ……、そう、おあいこだよ」
「――それでは、誓いのキスを」
「――いまは、わたしのが小さいんだよね。
本当に、愛してるよ、ティーナ。ずっと、これからも」
纏うヴェールを降ろし、僅かに顔を上げるとその距離を埋めるように、
ほんの少し背伸びをし、少女の青い瞳と色を重ねる。
その言葉に、同じく頷き、愛しい少女のその傍へと、一歩、前に出る。
「――そうだね、キミは……
いいや、その心はきっと、あのときのまま。
愛してる、楔奈。ずっと昔から、今も、この先も――」
その愛しい唇に、少しだけかがんで、
優しく重ね合わせるように、口付けを落とした。
これは亡霊であった少女と、未だ死人である少女、
それを見届けた空の少女が見届けた、一つの物語。