
過去回想「 」
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少年は決着をつけるために自分の持つ記憶を捧げる。
火精霊の両腕を相手に叩きつけながら、どれを捧げるかの取捨選択を意識の片隅で行う。
戦闘行動を継続しながら、並行して別の機能(異能)を意識的に稼働させる。
火精霊の腕という少年が初めて用いる武器を十全に扱う。
その二つは少年の才能だったかもしれず、それらが今少年に初めての"敵"に食らいつかせていた。
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売られる前の記憶。
判断、売られる時の記憶は現在の性格構築に多大な影響を与えている、保持。
それ以外の記憶、いくつか消費しているが残存記憶全て……生存期間にして5年間のそれを消費。
研究所での記憶。
判断、交戦記憶は保持。
物理的痛みを伴う記憶、保持。
ここの人員との会話のうち事務説明を消費。
……"みな"との会話、その末路、全てを保持、自身に多大な影響を与えると予測、保持。
残存記憶、保留。
自我。
判断、変化後に戻る際に必要、保持。
推定。
火精霊の腕、使用可能時間残り6分40秒。
他部位使用により残存時間減少。
使用可能部位
鬼
水精霊
風精霊
火精霊
濡れ女
鵺
二口女
リビングデッド
対応、使用可能部位の知識を消費する。
対象、火精霊、鵺、鬼以外の全ての知識。
戦闘可能時間の再評価、7分20秒。
残存体力の消費。
可能とした場合、残存時間30秒増加。
自身の生死を考慮外にした場合、残存時間1分増加。
現在の戦局で体力の消耗は回避が望ましい。
かつ、現状では機動力に問題あり、追加の部位生成も考慮。
設定、火精霊の腕の出力を上昇させた上で、1分以内での決着を目標とする。
超過した場合、自身の情報に関する記憶から消費することで戦闘継続。
戦闘終了条件、…………。
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少年は異能と思考を操り続けながら、火精霊を模した腕を目前の"敵"に叩きつける。
制限時間が決まる、否、少年が全てを差し出そうとするのであればそんなものはなかっただろう。
だが、少年はその選択をしなかった。
全てを差し出すつもりなどはなかった。
目の前の相手は、敵だ。
彼女を失う原因でもある。
だが、そうだったとして。
それを理由に目の前の相手と刺し違えたとして。
彼女と同じ強さを、いや。
それよりも強いのだと、自分は言えるのだろうかと。
答えは既に少年の中にあった、だから少年は異形の右の拳を研究者に向かい振りぬく。
研究者はそれを後ろに跳んで回避する。
今までは受けるという選択を取れていたが、火精霊の腕相手にそれをすれば燃えるのは自分。
だから回避しか選べない、それを少年はわかっていた。
後ろに跳んだ、その着地を狩るようにと一歩強く踏み込んで今度は左の異形を相手に突き込んだ。
研究者は避けることができず、ただせめてもと自分の持つ異形の腕の二本を盾にして受け止め、さらに後ろに跳ぶ。
着地は上手くできずにごろごろと体を転げさせたが、研究者はそれでよかった。
「がはっ……はは、はははは、いいね、貪欲に敵を殺そうとする。獣のようだ。ああ、そうだ、そうだ。人はすべからく獣なんだ!」
自身の体が焼ける苦痛、鋭い衝撃がその体を貫く痛み。
それらこそが、自らの持つ論の証明と受け止めて研究者は笑い、立ち上がる。
少年は答えない、次の行動への準備をしている。
「だがまだ、まだ終われない、終わらない……!」
少年と距離を開けた研究者は、少年が納められていた部屋を出る。
通路に出て右に曲がり、走る。
少年にはいくつか枷があり、そのうちの一つ『人工物の中では迷う』という暗示に近い条件付けがある。
研究者はそれを利用した時間稼ぎを打ち、稼いだ時間で負傷した自身の腕を回復させる薬の調達をするつもりだった。
だが。
「……何故、迷わない!?」
後ろを追う少年の気配に研究者は叫ぶ。
少年は確かに、人工的な建物の中では迷う。
見ていない場所へのルートの構築ができない。
けれども、見えている相手を追うのなら、迷うことはない。
少年は研究者が部屋の外に出てから即座に異形の足……鵺の尾を一対の足として生やした。
鵺の尾は蛇、その頭。
最低限の稼働ではない今では、それにある目と蛇特有の赤外線を感知する機能まで備えてしまった。
だから感知した中でも一番近くにある熱源……研究者の姿が視界から消えても、追跡できる、見える。
蛇の頭を床に叩きつけ、前に跳び、とんだ先で今度は人の足で前に跳ぶ。
人の身ではできなかった走法で、追いすがる。
「ああ……ああ……そうやって、手を尽くして追ってくれるのか? 最高だ!」
後ろを見た研究者は歓喜を得る。
憎い相手を殺すため、なりふり構わず、力を尽くして追ってくれるというそれが彼に歓喜と狂喜を与える。
時間を稼ぎ、この時間を長引かせることはできなくなった。
ならばと、研究者は自身の望む最高の終わりを目指すことにした。
「そうだ、人は感情のままに動く獣だ! 憎くて、怒りを感じて、それを元に他者を否定して屠る獣だ! それが正しいあり方だ!」
笑う研究者は叫ぶ。
走り、肺は空気を求めているというのに、彼の衝動がその叫びを止める事を良しとしなかった。
少年は答えない。
そうして、通路の先に出る。
そこには、自然の光があった。
研究施設の中にある中庭。
芝生と椅子がある憩いの場は、今は誰もいなかった。
「さぁ! これで証明が終わる! 三番、君は人であり、そして獣であるということの!」
中庭の真ん中で研究者は振り返り、追いすがる少年を迎え撃つ。
その体は損傷し、武器として使っている人狼の腕も焼け焦げ、痛みを研究者へと与える。
動かすことすら痛むそれを、襲い掛かってくるであろう少年へと構えた。
少年は答えない。
ただ、独特な走法のまま駆け寄り、研究者を射程に入れる。
それと同時、研究者のもつ人狼の腕が少年の頭めがけて振るわれる。
少年は異形の腕を振ることはしなかった。
ただ、首を傾け腰の後ろから生えている鵺の左足を、強く地面に叩きつけて勢いを殺し、その爪の薙ぎを回避した。
爪の切っ先が少年の額を切り、血を流すも少年はそれに構わず。
爪を振り切った研究者の体に、鋭いハイキックを叩き込んだ。
幾度も行われた実験、対動物における戦力分析と評されたその中で少年が培った一刀。
それが今、研究者をとらえた。
研究者は何もできず、後ろに転がる。
自ら跳んだわけでは無い、ダメージからくるそれ。
少年は転がった研究者を見届け、そして。
踵を返した。
研究者はその様子を見て、立ち上がる。
体中が痛みを訴えるが、痛みよりも何よりも、研究者は衝動から叫ぶ。
「何故だ! 何故! その腕で僕を燃やさない! 憎くはないのか!?」
少年の腕は未だに火精霊のそれ。
致命傷を与えるのならば使うべきそれを、少年は振るわなかった。
「君は、そうするべきだ、その資格もある! その権利だって! だったらやれ! そうするのが」
少年は答えた。
「……指、図、する、な。……そ、れが……お、前の、終、わり、だ」
何時しか失い、そしてある少女の名前を呼ぶために取り戻した機能を使い。
研究者に対して終わりを告げた。
少年が感知した熱源は複数、それが意味することは『この施設は終わり』と口走った研究者が教えてくれた通りだ。
事実、研究者が背にしている方から複数の足音が響く。
「何故だ! 何故!? だとしたら、だとしたら僕がやったことは」
少年は答えない。
日のあたるこの場を去る。
その少年の背後で、研究者はこの施設を制圧していた人々に捕らえられる。
薬の反動か、体のいくつかから出血をし始めた彼は取り押さえられながら空を仰ぐ。
獣が吠える。
白い壁ではなく、青く、青く透き通った空に向かい。
一匹の獣は、吠えていた。
その目から溢れる赤い液体は頬を濡らし、地面に滴り落ちた。
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自身がいた部屋に戻った少年は、一つの遺骸の前にたたずむ。
火精霊の両腕、鵺の尾を二本生やしたその姿のまま、少女の遺骸を見る。
「…………」
既にこの場には居ない少女が、少年と共に過ごした中で口にした言葉があった。
『人として、生きて』『人であること捨てないで』
怒りの中で……いや。
少年が異能の代償とするために探った自身の記憶の中にあったその言葉が、少年にこの結末を握らせた。
少年は自身の体の状態を振り返る。
火精霊の腕は相変わらず熱を発している。
自分の生身は研究者の拳を受けて損傷もしている。
そして、自分の体を元に戻すには、リソースが足りない。
少年は考える。
―― 恐らく、自分はこの異能を知ってしまえばまた何かを捨てるのだろう。
―― その在り方を、自分は認めたくはない。
―― 自身の全力で、抗ってその果てに使うのならばまだいい。
―― だが、これがあれば恐らく頼るだろう、そのぐらい自分は弱い。
―― ならば、この異能の知識を代償とする。
そうして、自身の異能についての知識とその知識に紐づく記憶と引き換えに、少年は元の姿を取り戻す。
「……おわり、だ」
呟いて、去来する何かを少年は噛み締め。
それでも、涙をすることはできなかった。
頬を落ちるのは、額から零れ、目を伝った血涙だけ。
泣けなかった、その事実に。
少女が亡くなったあの場で怒りを選んだことによるものなのだという納得と、
その事実を受け止めても涙を流すことはできなかったのだという寂しさを感じ。
少年は、少女の亡骸を抱えてこの場を去る。
その跡には、少年を伝い落ちた赤い雫だけが残った。
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過去回想「血涙流るるは誰が為か」 終