
赤い空に紫煙が延びる。
自分を捨てようと間は全くそれを口にしなかった。どこまでも徹底して自分を捨てようとしていた事を思うと笑いすらおきない。
フェデルタは移動休みの短い時間、相変わらずその辺の瓦礫で寄りかかれそうな場所を見つけては煙草を咥えて火をつけた。
久しぶりの煙草は、口に咥えた途端に燃え尽きた。三本そうやって無駄にして、四本目で漸く吸えた煙草の味はいつもと変わらない。
ただ、煙草を掴む手は、震えていた。
思えばこれが切欠で、今だって吸う前に何度もまわりを確認した。煙草を手にすれば、激昂された事を思い出して手が震えている。
「……」
情けないと我ながら思いつつ、ふ、と煙を吐き出した。
この煙は、無害化された魔力だ。
自分の身体の中で常に産み出される炎の力。身体を突き破らんばかりに溜まるそれを、フィルターを通して無害化し、外に出す。
言わばマジックアイテム、というやつだ。
(見てんだろうなあ)
この煙草をくれたのは、本の世界で出会って長い長い付き合いになった魔女だ。もう、ずっと会ってはいないが。
きっと、自分の事を見ているのだろう。彼女は、享楽的に見えて意外と気にするタイプなのを知っている。
いつか役に立つと言われて渡された煙草は、無害化した魔力でまた新たな煙草を生み出す為、尽きることは無い。
四本目を吸い終え、それを握りしめるとさらさらと灰になり飛んでいく。
侵略闘争が始まってもうすぐ10時間。その間、大した進捗を生み出すところか同行者に迷惑をかけどおしで、正直動き方としては最悪だ。
迦楼羅やグノウは、本当に自分の都合で振り回した事は後悔しているが、過ぎたことを悔いても仕方がなく、今後あらゆる方法で報いるべきだ。
貸しや迷惑をかけたままなのは、好きではないし、返せるのは今 ここにいる間だけなのだ。
「……」
はあ、と溜め息にも似た吐息で煙を吐き出す。だとしてまずやるべきはひとつ。
「……どの面下げりゃいいんだろうな」
「ほんとだよ。まーそのツラしかないと思うんだけど……」
「!!」
天を仰いでこぼした独り言に、唐突に返事がきた。フェデルタは、咥えていた煙草を吐き捨てながら、がばっと寄りかかった瓦礫から離れ、辺りを見渡す。
そもそも、なんの気配もなかったし、自分の独り言にこんなフランクに言葉を返す相手はいない筈だ。
「……誰だ」
「やっほー。ぼくだよ。覚えてる?」
フェデルタが警戒した様子で声をかけると、瓦礫の裏側からするり、と蛇のような――というには体に色々なものがつきすぎているが――ものが這い出て来た。
「……覚えてる?」
まるで相手は自分を知っているような物言いだ。フェデルタは、警戒したままその姿を凝視する。確かになんとなく、その姿に覚えがある。
「あそこだよほら、本の世界!おじさんもいたでしょ?」
「……、あ、」
本の世界。その一言で合点がいった。死ぬ度に幾つもの記憶がボロボロと抜け落ちても、その世界の記憶だけは、消えていない。今でもすぐに思い出せる。
気の合う仲間が沢山いた、守りたいと思う人もいた、共に死の先を歩む人に会えた。
「……お前、たしか……なんだっけ、パラ、なんとか」
「ウワッ記憶ガバガバじゃん。パライバだよ!パライバトルマリン!」
「ああ、ああ、そうだ、パライバ」
フェデルタの様子に、パライバと呼ばれた生き物は手の変わりか頭の触覚を伸ばしてフェデルタをぺちぺちと叩く。
ただ、それもふざけたような様子で怒っている気配はとくに感じられない。
確かに、フェデルタの記憶のなかにあるこの生物は基本的に陽気だった。
だが、
「……なんでここに」
この生き物は確か、自分の世界に戻ったように記憶してる。もしくは、これが記憶違いなのか、それとも何かこの世界に彼を引き付けるに足るものが――
「――あ、」
この、パライバトルマリンという生き物にまつわるもうひとつの記憶が甦る。この生き物は、咲良乃スズヒコと関わりがあるのだ。
「……色々思い出せた?」
「ああ」
フェデルタの様子を察したパライバは、伸ばしていた触覚を引っ込めてフェデルタと向かい合う位置へと移動する。そもそもフェデルタは、人と違う生き物の表情を読むことは出来ないし、そもそもこの生き物に表情があるのかはわからない。
ただ、フェデルタにはその姿は楽しげに見えた。
「あーよかった! いや、だって、さっきまであんなよぼよぼふらふらで、ぴえんぴえんしてる感じだったからさあ。お話になるのかなって心配したよね、元気になってよかったよかった!」
「おま、え……いつから?」
「えー……ここにきてから2~3時間くらい?」
フェデルタは思わず片手で顔を覆った。よもや、自分の中でも最大レベルの情けない姿を見られていたとは夢にも思わず、しかもそれを目の前で朗々と語られるなんて!
「……あー、あ、そう……うん、元気……いや、元気ではねえ」
顔の熱がぐんとあがっていくのを感じながらフェデルタは弱々しくそう答えることしか出来なかった。
パライバは、まーまー等といいながらフェデルタの後ろにまわりこむと慰めるように再び頭の触覚を伸ばして、フェデルタの肩をポンポンとする。
「で、どうしてあんなにぐだってたわけ?」
「……スズヒコと、ちょっとな」
「……先生と?」
さっきまで明るかったパライバの声がワントーン落ちる。
フェデルタはその様子に、話していいのかと一瞬考えたが、誰かに話をしたい気持ちが勝って、自然と口を開いていた。
「……あの人は、ここに来て少し……いや、大分取り乱してる……それを自分で気付いてないのか、認めたくないのかわかんねえけど、全く直そうとしない。
俺は、あれがスズヒコだとは認めたくなかったし、だからこそ目を覚まして欲しくて、色々やろうとした。結果として、ろくな事は出来ずに、お互いがバカみたいに傷ついた」
「……ふうん」
「俺は、そんな自分に嫌気がさして、あとはご覧の通り――結局、俺はこうして生き続けて……自分でケジメをつける以外はねえって、ようやくわかったけどな」
フェデルタはひとしきりいい終えると、横目でパライバを見る。果たして話してよかったのか、と思わなくはないが、吐き出せた事で少しスッキリしたのも事実だ。
パライバの方が何を考えているかは、その態度や表情――そもそも表情が無いのだが――から読み取る事は出来そうもない。
「先生はね、何でも下準備する人。先のことを考えて、用意しなくていいものまで用意する人。それにはもちろん、自分の死に方も含まれてた」
「……」
「だから、ぼくは先生がなんもしてないわけがないって思うんだよね」
「……準備」
「うん。ポケットとかひっくり返してみたら?」
ふふふ、と笑いながらパライバはフェデルタの側からふわりとはなれていく。
「じゃ、ぼくそろそろ行くね」
「……ちょっと待て」
「……なに?」
「もし、もし万が一お前が――いや、お前をここに寄越した何かが、スズヒコに何かしようと思ってんなら――俺がどうするか、わかるよな?」
ぶわり、と風が吹き砂塵と共に火の粉が舞う。パライバを見据えるフェデルタの瞳は炎が燃える色をしていた。
「わかるとも。だから敢えて言うね、“そんな状況でボクたちに勝てると思わないことだ”」
パライバは臆する様子もなく、けれど否定もせずに最後の一言を告げるとす、とその姿を消した。
「……準備、か」
姿を消した後には赤い空だけが残っている。しばらくそこを見つめていたが、もう何も起こらないとわかればふい、と視線を外した。
パライバが最後に置いて行った一言は、本人の言葉ではないだろう。誰かが、何かをしようとしている。全く、ほっといてくれればもう少しですべての世界から消えていくというのに。
フェデルタは心の中で悪態を吐きつつ、小さくため息を吐いた。パライバ周りの事が気になりはするが、今はあの生き物がくれたヒントの方が重要な気がする。何をするにしたって、まずは、スズヒコが、スズヒコでいてもらわなければはじまらないのだ。
しかし、ゆっくり考える時間が残っているわけではない。フェデルタは、空から視線を外して正面に向き直ると瓦礫を乗り越えて集合場所に戻っていった。