チナミ区・某総合病院―――
早朝から入っていた手術も無事に終了して、遅めの昼食を取りに財布片手に院内を歩いていた。
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クライ 「そう言えば!小児科に立ち寄るようにって言伝があったんだっけ」 |
うきうきと売店へ向かっていた脚をぴたりと止めて回れ右すると、
来た道を戻ってエレベーターに乗り込み6階へのボタンを押した。
6階・小児科―――
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クライ 「こんにちはー、麻酔科の病院坂ですけどファイル取りに来るようにって連絡が……」 |
流行りのゲームキャラクターのぬいぐるみや子供向け人気番組のポスターが飾られたナースセンターへ顔を出し、
看護師に声をかけて要件を告げようとしたその時。
近くの病室から耳をつんざくようなそれはそれは凄まじい泣き声が響いた。
声の発生源へとぱたぱたと小走りで近寄って、ひょいと病室をのぞき込むと、
おたおたと立ち尽くしている看護師と目が合った。
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クライ 「あらあらー?どうしたの採血でもしくじっちゃった?」 |
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看護師 「クライ先生丁度良かった~……今から検査なんですけど、前回かなり痛い思いをしたみたいで……」 |
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少年 「うわあああああんやだ!やだ!!!!絶対やだ!!!!やだーーーー!!!」 |
部屋の隅に逃げて泣き叫びながら枕や本、スリッパなどをめちゃくちゃに投げ散らかしている。
同室の子供たちは怯えて部屋から出て行ってしまったらしい。
宥めすかせたりしながら時間をかけて検査まで漕ぎつけるコースかしらね、
なんて真っ赤な目で睨みつける少年を見ながら苦笑いなどしていたけれど……
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看護師 「ちょっとこの後検査詰まっていて……」 |
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クライ 「といっても、あの様子じゃ無理なんじゃない?」 |
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看護師 「え、ええ。……なのであの、アレお願いできませんか」 |
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クライ 「えー?……まあ良いけど。許可だけはちゃんと貰ってきてね」 |
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看護師 「はい!」 |
ぱぁっと音がしそうな笑みを浮かべて、看護師はPHSを弄りながらそそくさと部屋から出ていく。
暫くすると頭の上に掲げた両手で大きく〇を作りながら戻ってきた。
それを見てOKサインをつくると、看護師が入口のドアをスライドさせ閉じる。
そして私は最高にフレンドリーな笑顔で両手を広げながら、
部屋の隅で大泣きしている少年へとゆっくりと歩み寄っていく。
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クライ 「安心して?悪い看護師さんは帰っちゃったから、先生が来たからもう大丈夫よ? 看護師さんにはちゃーんと言っておいたから!」 |
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少年 「ひっ、うわああああバカーーーーー!!!くるなくるなあっち行け!!!」 |
手元に投げるものが無くなったからか、引き攣った顔でその場に寝転がってジタバタ大暴れしだした。
全自動掃除機みたいと笑いそうになるのをこらえながら、少年へ歩み寄るとその場にしゃがみ込む。
少年はと言うとじりじりと後ずさっていって、仕舞には完全に縮こまって角で青い顔をしてしゃくりあげていた。
なんだか捕食者にでもなったような気分すらしてくる。
ふふっと笑いかけて、少年に手を伸ばす。
小刻みに震える身体を抱き寄せて。
彼の目を片手で塞いで、耳元に唇を寄せ、囁く。
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クライ 「怖かったことは忘れちゃおう?……ね?」 |
程なくして―――
腕の中で震える身体は嘘のように落ち着きを取り戻す。
目を覆っていた掌を離すと、焦点の定まらない視線を向こう側の壁へとむけている。
大丈夫?と声をかけると我に返ったようにきょとんとした顔をこちらに向けた。
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クライ 「こんなところで寝転がったらだめだよ?」 |
少年をそのまま抱きかかえて病室の入り口まで移動すると、看護師に彼を預けて。
それじゃあ後は上手くやってねと肩をぽんと叩いて部屋を後にした。
改めてナースセンターでファイルを受け取るとエレベーターに再び乗り込む。
行先は売店のある階ではなく、最上階だ。
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最上階にある食堂の入口で缶コーヒーを買うと、そのまま屋上を目指す。
外へ続く扉を開くと、夏の陽射しが眩しく差し込んでくる。
落下防止の手すりにもたれ掛って、缶コーヒーを片手にチナミの町を見下ろすと、
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クライ 「何度見ても建築技術の進歩に感動を覚えるわね~」 |
しみじみとした呟きが漏れた。
私はこの世界に住むイキモノではない。
”元々の病院坂 儚”によってこちら側へ召喚された、こっちでいう”悪魔”の一種だ。
今流行り風に言うと逆異世界転生とでもいうのだろうか?
こちら側へ喚びだされても実体を持っていないので、
この世界で活動するには何かしらの生物の”器”を借りなければならない。
儚はとある目的で私を召喚して、私はその願いを叶える対価としてこの身体を手に入れた。
この世界で生きていく手段を手に入れたのだ。
前回こうして身体を持ったのはいつの事だっただろう?
100年は前だったし当時は森の奥でひっそり生活してたので、
発展した文化に触れる事はそれだけで気持ちが高揚するのも仕方が無いというもの。
悪魔であっても食料をとらなければ生きてはいけない。
と言っても肉を喰らう訳じゃなくて、私の主食は「悲しみ、苦しみの感情と記憶」だ。
人の不幸は蜜の味だなんて言葉があるけれど、とてもセンスが良いと思う。
悲痛な記憶を食い漁るために、争いに駆り立ててみたり非道を尽くしてみたり、
やりたい放題していた頃もあったけど、
時代の変化に従って通信技術も悪魔祓いの方法も急激に発展して、
昔のように悪さをしていてはすぐ見つかって退治されてしまう時代になってしまった。世知辛い世の中だ。
だからこうやって、ほんの些細な苦しみをつまみ食いして凌いでいる。
そして、この街には”代替品”が存在した。
一之瀬百の持つ霊薬。
あの黒い液体が、私が生きていく上で必要な養分や魔力を補ってくれるのだ、
あれがなければ衝動的に人を襲って退治されていたかもしれない……。
かつて一度、一之瀬百にも滅されかけてるけど。
そんなわけで、霊薬と少しの”食事”でこの世界での病院坂 儚としての人生を上手くおくっている。
でも。それは飴玉でお腹を満たしているようなもので、とてもとても味気ないのだ。
最後にまともな食事をしたのは、呼びだされたあの日食べた、ウレイの記憶。
ありふれた悲劇なのに、何故か後を引いて忘れられないあの味。
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クライ 「おなかがすいたなあ……」 |
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クライ 「また、食べたいな―――」 |