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荊街備忘録
7
意味不明な映像データと、古式ゆかしいメモの山の前に俺は途方に暮れていた。想像以上の惨状だった。
フミちゃんからの依頼、と言うにはあまりに暫定的であやふやな頼まれごと。それは例の満月の夜の前後に自分達に起きているらしき謎の現象が現実のものだと裏付けるためのある種の実験めいたことだった。
といっても大層なことをするわけでもない。単にその時期にあったこと、覚えていることを単に記録や手書きのメモに残しまくるという単純かつ古風で物理的な手段だ。
なぜメモなのか。それには理由がある。なぜなら端末やら録画、録音機能など電子的データを介したものはのきなみこの調査では無意味か、そもそも記録自体が取れていない、あるいは意味のわからない映像やノイズしか残っていないといった結果がフミちゃん経由ですでに出ていたからだ。
「全然ダメだなー。しかし、どういう仕組みになってんだか」
俺はデータを解析しながら、モニタの前でうーんと呻く。念のため俺自身も携帯端末の録画機能やなんやらを立ち上げた状態で満月の一夜を過ごしてみたわけだが、結果はフミちゃんのいう通りだったというわけだ。
「明らかに何らかの映像やら音声なんやらは撮ってる形跡はあるんだよな」
基本は一晩中撮りっぱなしにしておいた映像データには、なんてことない自室の一角が写っているだけだ。ただ、その中に明らかに不自然な空白がある。時間にして小一時間くらいの、完全な暗室状態といっていい時間が挟まれているのだった。そして、そこのデータには独自のノイズがかすかに混じっていて、そのノイズの合間に断片的に差し挟まれる映像の質もどこかしらおぼろで不安定になっている。穿った見方で言ってみれば、何かに妨害されている。というより、混線しているというか、外部干渉されているような感じだ。
そして何より気味が悪いのは、そのノイズの時間の分だけ録画時間が長い。何を言ってるかわからないが、8時間録画で設定したら9時間分のデータが残っていましたよ、といったら事情がわかるだろうか。
「・・・冗談じゃねえなー、おっかねえよなー」
俺は、正直、このテの話は好きじゃない。苦手だと言ってもいい。歴史考証や地理学なんかは考えるのは好きだけど、トンデモ学術論やSF関連は管轄外なのだ。正直リアリストだと自分のことを認識してきた(これはフミちゃんからは反論があったが)。
あんまり長いこと映像データの解析をするのも薄気味が悪いので、手元のメモの束に視線を移す。束といってもそこまで量はないんだけど、中身の質は混迷の極みというか、ヘロヘロの文字が散漫に残されていてこれまた不安になる。しかもその文字は明らかに自分が書いたものらしい。
夢の中で思いついた着想や夢で見た内容なんかを忘れないようにメモする作家やなんかがいるというが、そういう類に近いだろう。断片的で、支離滅裂で破天荒であってもそういう事情なら頷ける。でも、そういう感じでもない。そこには箇条書きながら番号も振られていて、後から見てもかろうじて内容だけは推測できるような工夫を凝らした記述になってもいたからだ。
どうやら、何度も文字化して残そうとしたものの、その文字自体が満足に書けない、あるいは言語化した文字の時点でなんらかの制約がかかって文字自体が意味不明なものになってしまう、そのことに気付きながら悪戦苦闘して様々な方法を試した形跡が明らかにわかってきた。
仮に夢の中での記録メモだったとしても、これを書いたのが自分であるのだとしたらたいしたものではあると思う。
それくらい、妙な部分だけ正確だった。その妙な部分というのはーーーー
「で、これが楽ちゃんの前回の夜の情報だったってわけ?」
「・・・・」
フミちゃんと例の食堂で落ち合った俺は、テーブルの上に置いた広げた用紙に視線を落とす。
そこには情報を元になんとか再現した絵。ひとつはヒツジ。そしてもうひとつは、妙に作り物めいた存在感を醸し出す、ハト。
「いや、別に、遊んでるわけじゃなくて」無言のフミちゃんから視線を逸らしつつ微妙な言い訳をする。
「たぶん文字だと伝えられないから、こうやって絵にするのがいちばん残しやすいんじゃないかって感じだと思う」
フミちゃんは羊とハトが書かれた紙と、どうやら地名らしいいくつかの単語、そして位置情報的な手掛かりらしい数字やらなんやらを順番に組み合わせ始めた。
「最初のハトがここで、羊がここで・・・それがここで合流して、こう移動してるわけね」
「あ、わかる?」
「正直、ハトも羊もなんか私も見てきた覚えあるし。たぶん、手がかりなんだと思う」
満月の夜の空白の時間の間に、自分たちが知らない場所で知らないなにかと行動していて、しかも割と切羽詰まってる。
朝になると忘れてしまっているが、体は消耗してるし、明らかに不可思議な影響が自分自身に残っている。
それが本当だとしたら、とんでもない話なわけで。
「まず、この異常が自分たちだけに起こってるのかそうじゃないのか、それを確かめなきゃね」
「確かめるって、どうやって」
「このメモが確かなら、羊とハトはそれぞれ何かの暗号というか、一緒に行動してる時点で関わりがある何かだと思う」
そう言って顔を上げる。「つまり、あっちで知り合った相手だけど、あっちの世界の人ってわけじゃないから、こういう形で記憶を持ってこれてるのかも」
フミちゃんの持論はこうだ。つまり自分たち(仮)は、満月の夜の一定時間、別の世界あるいは時間に放り込まれていて、そっちの世界で何かをしている。
だけどそっちの世界の記憶は、こっちの世界には持ってくることができない。記録や文字媒体なんかも含めてなんらかの制限がかかっているのはそのせいだと。
でも、かろうじて持ってこれる情報はゼロではないのは、もしかしたら、同じようにこの街の住民があっちの世界に飛ばされていて、その住民と会っている、あるいはなんらかの関係を持っているからではないか。
「基本、あっちで何が起こったか、あっち側の連中が仮にいたとして、それらが何かの情報は持ってこれないんだな」
「そんな感じでしょ?でも、私は楽ちゃんのこと覚えてるし、楽ちゃんだって私と同じ夢見てるのは確かだったんだし」
俺はなるほどなー、と呻く。基本、記憶を持ってこれないルールがある中で、それでも断片的にこっちに持ってこれた情報はむしろ信頼できる側のなにかだ、という考え方だろう。
ある意味納得できる。でも、素直に歓迎できる話というわけでもない。
「でもなあ・・・羊とハトなんだよなあ・・・」
定期的に巻き込まれる異世界で出会った他の仲間が羊とハトで、彼らと力を合わせてなんらかの旅をしている。そう書くとなんかこうまあそれは夢かな、しかも子供のメルヘン寄りな夢物語だよねという冷静なツッコミ心が自分でも湧き上がらなくもない。
「それも一種のヒントというか、暗号かもしれないでしょ。どっちも、手がかりにはなるわよ」
「うーん・・・」俺は首をひねる。
「まずは羊から当たりましょうよ。なんというか、そういうのが有名な場所とか人とか、いない?」
「ぼ、牧場とか・・・?」
「そのまんまじゃないの」
と言いつつ、フミちゃんは乗り気だった。俺はそこはかとなく不安な気持ちを抱えながら端末を弄るフミちゃんから視線をそらす。
この勢いではどこぞの農場にでも駆け込みそうな勢いだったけど、その調査方向で行くとじゃあハトはどうするんだろうと別の意味で心配になってきた。
なにせハトというものはこの世界のどこにでも生息している類の生物だと俺は認識しているからだ。
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