
==荊街備忘録==
6
フミちゃんが悩んでいる。というか、納得いかないという感じで俺に相談に来たのは少し前のことだ。
「なんか妙なメモがあるのよ」
そう切り出して差し出して来たのはよくある古風なアドレス帳、そのメモ欄のあたりには、要領を得ない謎の走り書き。
正直、あんまり綺麗な文字じゃない。ミミズののたくったような感じでかなり読みにくい。
かろうじて読み取れるのは断片的に、アルファベットや何らかの数字、単語が書き留められていることくらい。
「んー、これ、フミちゃんの字か?」そう聞かざるを得ないくらい、俺が知ってる普段のこのコらしくない筆跡だった。
「・・・うん、使ってるペンは一緒。でも、書いた覚えがないの」
そう言って眉を寄せてから、意味深な表情で身を乗り出す。
「で、相談なんだけど」
「なんだよ?」
「楽ちゃん、心当たりない?・・・あるわよね?」
確信めいた表情でそう言うフミちゃんの目線にただたらぬものを感じて俺は息を飲み込んだ。
***
チナミ区、割と閑静な所謂庁舎やら美術館のある一角の、いかにも公営って感じのシンプルなカフェの一角。
一見するとデートか何かに思えなくもない感じだけど、飾り気のなさはどっちかというと社員食堂って感じで、残念ながらそういうムードには程遠かった。
フミちゃんは手帳から切り離した走り書きを順番にテーブルに並べながら口を開く。
「明らかにおかしいのよ。月に一回、こう、妙に疲れている時があって」
「あー、そういうのは聞いてる」
「そうじゃなくて」かなり真顔で詰められた。「楽ちゃんだって気づいてるんでしょ?明らかにこの街、なんかおかしいのよ」
言いたいことはわかってる。要するに、普段生活しているこのイバラシティは、数ヶ月過ごしてだんだんその奇妙さが露呈してきているのだ。
「知らない記憶が増えてる?」
「としか言えない、というか、知ってたはずだけどそれを忘れてるというか」
「どっちなんだよ」
フミちゃんは言葉を探す。「なんていうか・・・『余計な時間』があるのよ。寝ている間に見た夢だと思ってるものが、実際あったことみたいな」
そう言って、メモを順番に並べながら内容を整理する。
「例えばこの日、私は普通に家で寝てただけなのに、なんか昼間眠くて体調も変だった」
それは確か、俺がフミちゃんと待ち合わせした日のその夜のことだ。確か満月の日の深夜で、俺は終電でこの街にやってきた。
「で、それからひと月くらいして、同じような日があった。というか、その日の夜、すごく変な夢を見てて。
しかもなんか知らないうちに怪我とか打ち身とかしちゃってて、明らかにおかしいって思ったの」
それで、携帯にそのあたりをメモした覚えがあるのだが、それが消えていたという。
「日付も覚えてるし、携帯にメモをとった履歴だって残ってたのに、文章だけがないの。それって変でしょ?」
間違って消しちゃった可能性もある。だから改めて調べて見たけれど、その時は履歴すら残らないはずだと。
つまり何らかの記録は取っていたってことだ。しかも、細かく分散した断片的なメモの履歴が何度も反復されていた。
「だから。私、今度の満月の時はことさら注意してた。で、この成果ってわけ」
古式ゆかしい紙片の走り書き。一見すると支離滅裂だけど、数字と単語をひっくり返したり並べ替えたりするとなんとなく意味は通じる。
おそらく数字は日付、あるいは時間だ。時系列だててその通りに並べ替えると、どうやら意味をもった単語になってきた。
「35分、・・軍手、24時40分・・・でぃあー? ああシカのことかな」
言葉にすると支離滅裂だが、読み上げた俺自身、なにか既視感がある。どこかでそんなものを見た気がした。
「・・・読みにくいけど、何とかわかるな。でも、なんか日本語とそれ以外がめちゃくちゃに入り組んでる」
そう。とフミちゃん。どこか我が意を得たりといった満足そうな表情になった。
「なんかこう、普通にメモをしようとしたけど、書いてる文字が別の単語になっちゃう。それを必死で伝わるように工夫して書き残した感じというか」
暗号文みたいなもんかな、そう言いかけた俺の言葉に、フミちゃんは神妙に頷く。
「もしくは、敢えて『書けなくされている』なにかが働いてるような感じかも」
いきなり陰謀論的な単語が飛んで来たので目を見開く。「おだやかじゃないな、なんだそれ」
するとフミちゃんはそういうことでもないのと首を振った。
要するに一種の、症状としてのものだと。
人間の記憶ってのはけっこう曖昧で、すごく高度に精巧に形作られた機能のわりに、いやだからこそ、意外な弱点もあるのだと。
ちょっとした機能の不具合、特定の条件下などで、突然その機能を狂わせたりうまく働かなくなったりすることがある。
それが極度の疲労や、特定の薬やら、切っ掛けはいくつかあっても、割と問答無用に脳みそは誤解したり、機能不全を起こしてしまう。
「まあ、そのおかげでお医者も治療できるんだけど」
感覚を鈍らせる麻酔ひとつとってもその恩恵を受けている。俺は全身麻酔の経験はないけど、だいたい『意識』なんて物自体が定義するには曖昧な存在なのだ。
「夢の中って、脳みそも寝ぼけてるからたいていは不自由なもんじゃないか。そういうことかも知れないぜ」
「それにしては、目的が明確すぎるの。夢の中は単なる夢だから、そんなに意味は繋がらない。
でも、このメモの走り書きは時系列順につなぐと、意味が出てくるの。5分か10分刻みで、いろんなことが動いてる」
そう言って視線を下げた。「何ヶ月越しに、意味が繋がってくる夢なんてさすがにおかしいよ。これ、確実にメッセージなんだと思う」
フミちゃんは『書いた覚えのない、自分が書いた文字』を指でなぞりながら俯く。
「書いた覚えがないのか、自分が書いたんじゃないのか。わからないけど・・・どっちにしろわかったことが一つあるわ」
言葉を切って顔を上げる。
「それは、楽ちゃんもそれを知ってるってことよ」
「へ?」いきなり指さされて俺は面食らった。
「でしょ、私、このメモの走り書き、ほとんど意味はわからなかった。これだって楽ちゃんが読んでくれたから、シカだってわかったんだし」
いきなり熱を帯びた目線でフミちゃんは断言した。
「つまり、楽ちゃんもこの同じ夢を見てるってことよ。そして、多分、夢とかそんな生易しいもんじゃないわ」
断言して、フミちゃんは切り出した。調べたいことがあるから、自分に協力をしてほしいのだと。
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