ふわふわ、と浮き上がるような
ゆらゆら、と眠るような心地のまま
夢を、見ていた。
“ヴォルフ”が、“名無しの魔狼”ではなく、ただ一人の少女として夢の世界に生まれた時の話。
――――――
―――――――
――――――――
その少女の過去は暗かった。
自らの“虚無”が災いしたのか。生まれるに際して“自らの知らない感情”を知りたいために
こっそりと“感情豊かな”個体に生まれる様に調整したはずの夢の世界のアバター
しかし、その感情というリソースは過去というフィルターにろ過される。
少女や少女の親は、いわゆるクズと呼ばれる人種で自らが産み落としたはずの子供達に毎日のように
欲望、暴力のはけ口にされていた。
上の娘、虚無が望んだ少女はその感情故に下の妹に被害が及ばぬように自らがはけ口になる様に仕向けた
それでも、体と心は幼い少女のままなのだから。
その年数の責め苦に耐えられるはずもなく。
むしばまれていく心と体、発言した異能によってなくなっていく自身の存在。
虚無が望み知りたいとした感情はすでに擦り切れて。このまま異能の酷使で壊れていくはずだった少女を
一つだけ、つなぎとめた奇跡があった。
それこそ、それこそ
『――――』
『――ちゃん』
『お・・・――――』
『おねえちゃん』
それは、大事に大事に守ってきた宝石。
自らが壊れる前、擦り切れる前に遠ざけた唯一の家族。
何も知らないと思っていた可愛い子が、自らを苦しめ続けていた両親も。
そしてその後に引き取られた養育施設の職員も全部全部飲み込んで、壊して
姉を護ろうと手を引いた。
両親から解放されてもなお、少女たちは苦しめられた。
虐待という責任転嫁から逃げられなかった。
だからこそ、妹は姉を守ろうとそのすべてを爆発させた。
自分達に責任転嫁されたものすべてを世界に転嫁して。少女たちは檻から逃げ出した。
――――――
―――――――
――――――――
月日は流れ、彼女達の今がやってくる。
あの日逃げ出した檻はもう、彼女達をとらえて何ていなかった。
妹は相変わらずのんきに外を走り回り自分を困らせては自分に甘えてくる。
自分は体をうって、その日の金を稼いでは妹と自分の学費と生活費を作っていた。
きっと人から見れば、いびつでゆがんだその生き方。
けれど、それは檻にとらわれて死ぬのを待つしかなかった自分達にとってきっと、とっても
とっても…――――――――――
幸せだというとでも思ったのだろうか?
いや、言うはずがない。
結局、これでは過去と同じなのだ。体を奪われ心をすり減らし何も感じなかったあの頃と。
檻がなくなったのではない。今もまだ檻から逃げ出せないだけ。
この年月、檻はいまだ自分達を捕まえ強度を高めてがんじがらめにし続けていただけなのだ。
…それに気が付いた時はもう遅かった。
自分は壊れ廃れもう、いつ酷使のし過ぎで死んでもおかしく何てないし、異能の使い過ぎで存在が消滅してしまっても仕方がない。
それを自覚したときには、もう自分がそれを悲しむための“悲哀”なぞ無くなってしまっていたのかもしれない。
それでも、少しだけでもあらがってみようと、いつもの“客商売中”に男に指摘をしてみた。
男に首を絞められたから。
別に、それに感覚があるわけでもない息苦しさがあった訳でもない。
けれど、ソレを商いとするには事前報告もなければ筋も通っていなかった。
だから「そんなオプション付けていない」と言ったら激昂して髪の毛を切られた。
そのことについて聞いてみたら殴られた
蹴られた
また首を絞められた
異能も相まって負ける気はなかったから殴り返して、男を蹴り飛ばして追い返すとき
金をこちらにたたきつけながら男は
『こんなクソみてぇな仕事してるやつに人権なんてねえんだよ』
と捨て台詞まで吐かれてしまった。
この店の常連だったくせによく言う。と思った。
こんな一目にも法にも触れない場所に来ておいて。…だけど怒りはもう感じなかった。
それに
それは、別にいい。知っている。
だって、俺はそういう生き方をしてきたはずだった。
俺は、そうでなくてはいきれなくなってしまった。
だから。だから
だけど
『幸せに、なりたい。』
隠して自覚しないで認めたくなかった願い。
幸せにしてほしい、優しくしてほしい、頭を撫でてほしかった、抱きしめてほしかった、頑張りを認めてほしかった
自分が捨ててしまった“×××”という名前を呼んでほしかった。
世界に自分だけが一番不幸を語る気なんてなかったのに。この赫い紅いおかしな世界がそんな気分にさせる。
だって、パパとママは”わたし”を愛してなんてくれなかった。
だって、周りの大人は“わたし”を消費物として扱った。
もう一つの世界の“我”が訴える。
幼い子供の様に、あの世界で虚無に捨てる様に隠し続けていた本音を吐露し続ける。
けれど、自分は。この朱い世界の自分にソレは響かない。
自分は“ヴォルフ”ではない。
自分は“名無しの魔狼―オルトロス―”
先ほど、妹を名乗る魔狼に“理想の姉”ではないといって殺されたもの。
この世界での時間が経過するとともに再び虚無は起き上がり普段通りに世界を傍観するためのもの
……なのに。
どうした事だろうか。
何も感じなかった自分に、どうやら再生するにあたってもう一人の自分との感情も過去もすべてが混ざってしまったらしい。
…妹を名乗る魔狼“ルプス”の精神的揺らぎのせいらしい。
多少なりとも感情を理解できる程度には混ざってしまった様だ。
また、ルプスに出会えば半狂乱になって殺しに来るのだろうか?とあたりの気配を探ってみる。
幸い、今はまだ周りに、ルプスの気配がない。
おそらく動転してここから立ち去ってしまったのだろう。
そのうち落ち着いたら戻ってくるのだろうか?いや、あの様子だと戻ってこないのかもしれない。
以前は一切気にならなかった妹の行動ルーチンを思い返して納得してみせる。
どこかで、膝を抱えているのかもしれない。
まだ体の再生中で動かない体の代わりに。
ゆっくりと瞳を開いて自分の姿を確認する。
この世界には似合わない薄い桜色の髪の毛、これから来る夜を映した姿。
―あの世界の自分―とまるきり同じ姿だ。
それならば、自分がすることは一つなのだれろう。
そっと、赤い朱い空を見上げて思う。おそらくこの姿の×××ならば、そうするのだろう。
 |
ヴォルフ 「 迎えに行かなくちゃ。」 |
一つ、息を吸い込んで立ち上がる。
もう妹に腹を貫かれた感覚はなくなっていた。
 |
ヴォルフ 「 あの世界で迎えに来たのがアイツなら、こっちでは我が迎えに行かねばならない様だ。」 |
全てがまざったそれこそ歪なオオカミが、居なくなった妹狼を探して足を踏み出した。
全てが壊れなくなる前。
やっと、プロローグの終わった魔狼の話