【Side-C:1】
途方もないタスクを積み上げた一日を始めてしまうから、朝が嫌いだった。
毎朝、焦燥感に駆られて目を覚ます。
それは、寝付いてから幾許も経たぬ夜明け前。辺りは未だ仄暗く、夜の残滓も色濃く残る明朝の、こと。
そも、どうして人間は眠らなければならないのだろう。
一日はたったの二十四時間しか無いというのに。
こなすべきタスクは、日々、押し潰されそうな程に積み上がっているというのに。
などと、嗚呼——そんな下らぬことを思考している間すらも惜しい。
ぼく
駒には自我など求められてはいない。
意思など不要。
そんなことに割く余裕があるのなら、ひとつでも多くの単語を、数式を、知識をこの頭に詰め込むべきだ。
頭を振ってベッドを降りる。手早く身支度を整えて、朝食までに——
「————う゛、ぇ゛」
さながら、それはミルクを垂らした紅茶のような。
ぐるり。
攪拌された視界が歪む。
サイドボードへ手をついた。それでも支えきれずに膝を折った。握り潰された胃から、不快感が喉元へせり上がる。
ゴミ箱を引き寄せて、蹲るように頭を低くする。こうした場合、堪えるのは得策では無い。
激しく息を吐き、込み上げる儘にすべてを吐き出し、何も出なくなれば手だけでサイドボードの上の水差しを探す。
口内を濯ぐ。喉が灼けるように痛む。けれど、吐き切ってしまえばそれで終わりだ。
ゴミ箱にかけられた袋の口を手早く縛る。呼吸も落ち着いた。サイドボードを支えに、今度こそ立ち上がる。使用人室へ通じる電話もそこにある。後始末は、言い付けておけばいい。
いつの間にか、カーテンの隙間からは薄明かりが射し込んでいる。空が白み始めているのだ。一体、どれ程の時間を無為に失ったのだろう。十分か、十五分か。それだけあれば、他に幾らでも出来ることがあったのに。
こんなことでは、また、
思考を打ち切る。今、すべきことはそれでは無い。当初の予定へ戻り、ようやく身支度を整えれば、デスクに向かって参考書を開いた。
掃除を言付けた使用人が来たのだろう。扉を叩く音がする。
其処は、百点満点でようやく及第点の世界。
僅かばかりの失点も許されず、九十九点には何の価値も無い。
そのような無様を晒せば、待っているのは——出来損ないの、烙印。
——■■■■■■■の嫡子たるもの、この程度のことすらこなせずして如何するのです——
はい、仰る通りです。お父様、お母様。
どうにかこうにか赤黒い粘液じみた生物を退け、ひとつ息を吐いた後のこと。
次元タクシーなる乗り合いの車に揺られ、窓の外を眺める。眼前に広がるのは、見覚えのある地形——の、見覚えのない荒廃した有様。
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イザヤ 「…………」 |
ショックかと言われれば、そうでもない。大した感慨もなく、変わり果てた景色を流し見ながら。考えるのは、先の戦闘でのことだった。
より正確には、そこで自身の異能によって引き起こされた事象について。
こ の 力
《ペイン・ホリック》は「他者の感じる【痛み】を【イザイア自身】へ移し替える」、ただそれだけのもの。今この状況に於いては何の役にも立たない力。己の身を守るには勿論、誰かを助けようにも気休めにすらならない。
それが、その筈が、どうしたことか——
・・・・
あの粘液を、傷付けることが出来てしまった。
異能が変異している。あろうことか、「【傷そのもの】を【誰か】に押し付ける」という形に。お陰様で、この身体には傷のひとつもないのだけれど。
とは言え。
或いは、それは。
思考を打ち止めるように車が停まる。降ろされた場所には、境遇を同じくする者たちが犇いている。
その中には、当然。
——見知った顔も、含まれている。
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イザヤ 「……ヒナが呼んでる」 |
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