『ある兵士の手記』 兎斬雫
3020年6月5日 初版発行
訳者 日月 敦
いまのわたしのじかんは、みなのためのものだから、みなのことをにっきにかいていこうとおもう。
ぜんいんは、とてもかききれないから、とくにきおくにのこっているひとだけを、かいていこうとおもう……
訳者はしがき
「兎斬雫手記」が発見されてから既に10年以上の歳月が流れた。
その手記は、帝歴225年(2263年)頃という終末戦争真っただ中における戦地の状況を知るための資料として、学者に広まった。私は手記について研究を重ねてきたが、手記を単なる研究材料とするには惜しいように思われた。そこで以前より懇意にさせていただいている編集のアレクシス・トマス氏に現代語訳版を出版する話を持ち掛けたところ、幸いにも賛同が得られ、氏の尽力によってこの度本書を皆さまの手にお届けできるに至った。トマス氏には重ねて感謝申し上げる次第である。
本書については、「兎斬雫手記」の内容を分かりやすくお伝えすることを心掛けた。もし分かりづらいところがあれば、それはひとえに私の責任である。
また、「兎斬雫手記」は正式な名称ではなく、学者の中でのみ通用している便宜上の名前である。手記には、当然のことながら題名が付されていない。そのため、本書を出版するにあたり題を何とするかは頭を悩ませたところである。これについては作家のミルヤミ・サミドリ氏よりアイディアをいただいた。お忙しい中相談に乗っていただいたサミドリ氏には心より感謝申し上げる。
3020年1月 雪降るタウティカの研究室にて
アイリス
衛生准尉
多数の軍人生命を守りたる功績により功六級勲章授与
第四次チュプト防衛戦において戦死
アイリス姉……アイリスと初めて出会ったのは、帝歴225年の9月頃で、わたしは12歳だった(ということになっていた。
※1)。わたしが隊長
※2の部隊に参加して初めての戦場が終わった後だった。アイリスは補充人員のうちの一人だった。もとは東方の半妖
※3部隊にいたらしいが、アイリスとほか数人とを除いてみな戦死するか退役するかしてしまったため、元の部隊と同じくほぼ半妖しかいないこの部隊に回されてきたらしかった。着任のあいさつで、寒いところは不慣れで、と笑っていたことをよく覚えている。
彼女には元々名前がなく、アイリスという名前は軍隊に入った後で隊の仲間に付けてもらった名前だと聞いた
※4。4月5日に入隊したから、その日の誕生花から取って、アイリス。部隊の皆も彼女自身も、そこまで考えていなかったし、知らなかったようだけど、アイリスの花言葉は「吉報」というもので、衛生兵の彼女にはぴったりのものだった。
アイリスは、わたしと同じく、半妖としてはまだマシな方……見た目が人間に近い方だった。人間との違いは、右目が石のように硬く視力がないことと、両手の上腕から先の部分が異常に膨らんでいて、人間の何倍もの大きさがあり、大きさに違わず力持ちなことだった。どのくらい大きいかというと、普通の人間が両手で他の人間の顔を挟むと、せいぜいがほっぺたを押しつぶすことができるくらいだが、アイリスは頭をすっかり包んで握ることができ、しかもそのまま握りつぶしてしまえるほどだった。しかし、その膨らんだ両手のせいで武器を扱うことができず、戦闘要員ではなく衛生兵に回されたらしかった。
アイリスは部隊の中では年上の方で、優しく、穏やかで、そして勇敢だった。銃弾がひっきりなしに飛び交い続ける戦場の中で、負傷して動けなくなっている兵を見つけては、銃弾の合間を縫うようにして塹壕から飛び出して救助しに行った。それも何度もだ。ときどき、自分も重傷を負って帰ってくることはあったが、彼女が帰ってくるときは決まって一人以上を連れて帰ってきていた。それも、その人が担いでいた装備も込みで、だ。彼女に戦場から助けられた子は多くいて、その子たちが彼女のことを「アイリス姉」と呼んで慕うものだから、その呼び方が隊の中でも定着した。わたしもそう呼んでいた。アイリスはわたしたちの中隊に加わったとき、既に曹長だったけど、わたしたちの隊の中では階級なんて関係がなかったし、彼女もアイリス姉という呼び方を受け入れていた。
実際に、アイリスは皆の姉のようだった。新兵が恐怖でパニックに陥って、彼女が抱きしめて落ち着かせたことは一度や二度ではなかった。彼女は体も、心も温かかった。その温かさに触れると、不安が和らいでくる……
わたしも、彼女に助けられた一人だ。帝歴226年の1月頃、わたしはチュプト防衛戦
※5で敵の一斉射撃に遭って、退却中に運悪く銃弾を左足の膝下のあたりに一発食って動けなくなってしまった。仲間は後方の塹壕に退却してしまって、そこまでは結構な距離があった。
足からは大量の血が流れだしていた。わたしは、左足の付け根に止血帯を付けて、偶然近くにあったコンクリート壁(おそらく、建物の一部ではないかと思う。)の後ろに転がり込んで遮蔽を取った。服を切って傷口を見ると、わたしの左足には表と裏に穴が開いていて、銃弾は貫通したようだったが骨は無事ではなさそうだった。後で教えてもらったことだけれど、その銃弾のせいでわたしの左足の骨は砕けていたらしい。わたしは止血方法をバンテージに切り替えて、それでうまく血が止まってくれたので、止血帯を緩めることができた。
相変わらず銃弾は飛び交っていて、後方の塹壕まで手で這っていけば、その間にもう何発かとびきりの銃弾をプレゼントされるであろうことは目に見えていた。足が一本使えないと、とにかくスピードが出ないし、白一色の景色の中でわたしの血の色は目立ってしまう。かといって、ここでいつまでもじっとしているわけにはいかなかった。わたしの足は銃弾で歪な穴が空いていて感染症の危険もあった。溢れた血と漏れたおしっこですっかり湿ったズボンは、外気に冷やされ凍ってわたしの肌をひどく突き刺していて、凍傷も放っておくわけにはいかなかった。もし相手の前線が上がってくれば、逃げることのできないわたしは上手く死体のフリができなければ死ぬしかなかった。
わたしが、可能性にかけて味方の塹壕まで這っていこうと決意したとき、目指すべき方向から一人の兵が身を低くして、四足歩行でこちらに向かってきているのが見えた。アイリスだった。彼女はわたしのところまで銃弾の中をやってきてくれて、血を失って苦しそうにしているわたしを「もう大丈夫」と言って抱きしめてくれた。この時ほど彼女の大きな手が頼もしく見えたことはなかった。彼女はわたしの左足を手早く固定すると、その大きな左手で汚くなっていたわたしを抱きかかえて、身を低くして走り出した。左手はわたしを支えるのに使っているから右手と両足の三足歩行になっていたが、彼女の大きな大きな手は一本しか使えなくてもその体のバランスを失うことはなかった。
わたしはアイリスに運んでもらって、仲間のところへたどり着いた。仲間の顔に囲まれて、わたしは泣いた……
わたしは、アイリスに救われた351人目の兵になったと、後方移送の前に彼女から教えてもらった。彼女は自分が助けた兵を全て記憶していた。どうして、と尋ねると、彼女は恥ずかしそうに笑って「生きていてくれたことが嬉しいから」と答えた。幸いわたしの傷は軽く、砕けた骨片を取り除けば後は何とかなる程度だった。わたしはそう時間が経たないうちに戦線に復帰した。しかし、わたしが復帰したときには既にアイリスはいなくなっていた。彼女はわたしの後にさらに2人を助け、そして354人目を救おうと戦場に飛び出していったが、それきり帰ってこなかった……彼女の救助記録は353人から永久に動かなくなってしまった。そして、わたしたちは、アイリスがいないまま戦線を離れることになった……
後から聞いた話では、わたしたちの後続部隊が反撃に転じ敵の拠点を攻め落としたとき、アイリスの死体が見つかったそうだ。両方の目玉はくりぬかれ、綺麗な石のような右目は砕かれていた。胸は切り落とされ、色々な暴行の後があった。そして、なにより彼女の大きな両腕が切り落とされていたようだった。彼女のあの優しく温かくたくましい両手を切り落とすなんて、こんなむごい仕打ちがあるだろうか。たくさんの仲間の命と心を救ってきたあの大きな手を。
わたしは今でも鮮明に思い出すことができる。彼女の手の大きさを、温かさを。彼女の手に包まれたときのあの安心感を……アイリス姉……
※1
当時、遺伝子変異が起きた者については戸籍届出がなされないことが一般的であった。兎斬雫は、軍の記録上1月3日生まれの除隊時14歳となっているが、正確な記録ではないと思われる。
※2
Francisca Neves Silva(2248~2265)のこと。兎斬雫はいくつかの隊に所属していたが、帝歴225年9月頃に所属していたのはFrancisnaが隊長を務める北方第1341独立歩兵中隊であった。この中隊は遺伝子変異が起きた者のみを集めた、当時の言葉で言うところの「半妖部隊」であった。独立となっているのもそのためであろう。
※3
遺伝子変異が起きた者の蔑称。当時は、様々な面において通常人とは異なる扱いを受けていた。
※4
当時、遺伝子変異が起きた者については、名前がなく番号などで呼ばれることが珍しいことではなかったようである。
※5
第四次チュプト防衛戦(2263年12月~2264年2月)。この時期のチュプトは平均気温がマイナス20度程度で、極寒の中での戦いであった。
「……もう大丈夫。戻りましょう、みんなのところへ……」