第二話 裏側の住人
朦朧とする意識の中、目を開けると燃え盛るハンバーガーショップが視界に映った。
どうやら爆風に飛ばされて植え込みに突っ込んだようだ。
頭が妙に痛いのはアスファルトやら植木やらにぶつけたからだろう。
ベットリとした頬の感覚を思えば、触らなくても出血があるのが分かる。
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ユウ 「あぁ、そうか。生きてる、のか……」 |
ようやく、意識の覚醒が追いつく。
あの爆発に巻き込まれて良く生きていたものだ。
助かった。そうだ、助かったのだ。
再び周囲を伺う。ハンバーガーショップは黒煙を吹き、盛大に炎を吐き出していた。すでに火災は周囲の建物に燃え移り、商店街は火で覆われようとしていた。
密集した商業区での火災は燃えるものに困らない。程なく周辺は火で包まれることだろう。
絶叫と悲鳴を上げながら大量の人が我先にと逃げていくのが見えた。
道路にはいたる所にコンクリート片が散乱していた。視界を横にやれば、ハンバーガーショップのものと思しき看板が車に突き刺さっている。
全身血まみれの状態のまま、植木を押しのけ体を起こすと、天を仰ぎ、生き残ったことに感謝した。
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ユウ 「……あの二人は……?」 |
親子の姿を探すも姿は見えない。
舗装されたコンクリートの道路に液晶の割れたスマホが転がっている。随分と傷だらけだ。けっこう高かったのになと、場違いな感想が生まれるのに、生きていることを再確認する。
爆発の衝撃で感覚がおかしくなっているのか、思ったよりも体が動いた。
ゆっくりと体を起こし、指先まで動くか四肢を確かめる。
血だらけの手のひら、破れたシャツ、原型の分からないジャケット。穴だらけになったジーパン、意外に頑丈だった安物のスニーカー。
右腕だけは動かなかったが、それ以外はなんとかなりそうだった。感覚のおかしかった足も痛みこそあれ、普通に動かせる。
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ユウ 「意外と、頑丈だな、俺」 |
これなら、なんとかなるだろう。おっかなびっくり立ち上がる。
ふと投げた視線の先に瓦礫の中から覗く人の腕が見えた。爆発で崩れた天井の崩落に巻き込まれたのか。
嫌な予感が駆け巡る。
考えるよりも先に近づいていた。
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ユウ 「大丈夫ですか!」 |
反応がない。
歯を食いしばり瓦礫をどける。一抱えはあるコンクリートの破片を左手で取り除くと、意識の無い女性がコンクリートに挟まれていた。腕を手に取ると脈はある。親子ではなかったが、要救護者発見だ。
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ユウ 「だれかっ! 誰かいませんかっ!」 |
口の中を切ったのだろう、血の味が滲む唾液を吐いて、何度も叫ぶ。しかし、誰も近づいてこようとはしなかった。みな逃げていく。火災の広がりを感じているのだろう。
時間はあまりない。
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ユウ 「くそっ」 |
ハンバーガーショップに横たわっていた人たちの顔が目に浮かんだ。あんな一瞬なのに、良く覚えているものだ。
そう不思議に思いながら、何かないかと近くを探す。
丈夫そうなパイプを見つけてすぐさま意識の無い女性の元に戻った。
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ユウ 「……せーのっ」 |
てこの原理で大きな瓦礫を持ち上げる。できた隙間にコンクリートの破片を足で押し込み、つっかえにする。
それを2度繰り返し、女性の腕を掴む。
奇跡的なことに、瓦礫の隙間に落ちたのか、腕が裂けて血を流している以外の外傷は見当たらない。
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女性 「ありがとう……」 |
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ユウ 「意識が戻ったんですか!」 |
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女性 「ええ……」 |
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ユウ 「今助けますからね。もう少しですから」 |
腕を掴んで引きずり出し、肩を掴んで外に運び出す。上半身を引きずり出したところで隙間に腰が挟まり、つっかえてしまう。
もう少し広げないといけないようだ。
頬にパラパラと何かの欠片が当たる。
見上げれば、商店街の天井がさらに崩れようとしていた。
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女性 「逃げ、て……あなただけでも」 |
バーガーショップで倒れた人たちの顔が再びフラッシュバックした。
誰が聞いても不可抗力だと言うだろう。逃げるので精一杯だった。できるだけのことはやったじゃないか。
本当にそう思う。
だがそれでも、自分の両腕がちゃんと動いていれば、足が動いていれば、あるいは他の人に手を伸ばせたのではないか。
偽善者だなと、そう思った。
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ユウ 「嫌です」 |
ぐっとあごに力を入れ、一文字に口を引き結び、再びパイプを握って瓦礫を持ち上げる。
片手じゃどうにも上手く体重がかけられない。
全身を使ってパイプに体重を押し付けた。
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女性 「私のことはいいから……。誰か、呼んできて。一人じゃ無理よ……」 |
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ユウ 「手遅れに、なってからじゃ、遅い!」 |
二人いれば。三人いれば。そう思わないでもない。でも、それは逃げだ。
今の状況を放っておく言い訳にしか過ぎない。
今ここで、この人を救えるのは、きっと俺だけなんだ。
もしかしたらそれはただの思い込みかもしれない。人を呼んでくるのが正解かもしれない。
心の何処かでそう冷たく距離を放そうとする自分を、違うぞ、違うぞと叱咤する。
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女性 「私なんか、ただの他人でしょう。ほら、いいから、行きなさい」 |
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ユウ 「嫌です!」 |
歯を食いしばり、力を込める。瓦礫はびくともしない。
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ユウ 「ここで一人で逃げたら……きっと俺は一生自分がゆるせない!」 |
無意識に口をついて出た言葉に、頑固者の、甘ちゃんの、自分が可愛いだけの男だと思いながら、体重をかけてパイプを押す。押しつくす。
ちょっと曲がった気がしたが、がんばれパイプ。
今こそ輝け、てこの原理。お前ならやれる。
ぐぐっと持ち上がった大きな瓦礫に再びつっかえのコンクリート片を差し込む。急いで女性を引き抜いた。
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ユウ 「やった……やったよ……」 |
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女性 「ありがとう……貴方は命の恩人だわ」 |
埃にまみれ、そこら中に生傷を付けた顔で女性は微笑んだ。
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ユウ 「さぁ、早く逃げましょう!」 |
天井が崩落したのは、その時だった。
◆◆◆
悲鳴や絶叫は遠くになり、不思議な静けさが辺りを支配していた。パチパチと何かが火であぶられ弾ける音を聞きながら、瓦礫であふれた道を歩く。
離れた場所にあるハンバーガーショップでは、いまだに火が消えずに火災が続いている。
もう少しすれば、交通封鎖され、野次馬で溢れかえるだろう。
消防車が来るまで5分もあるまい。
火事に呼ばれたのか、強風が吹き、黒一色の背広をはためかせる。
背広が汚れてしまうことに辟易しながら、軽く袖のすすを掃った。
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黒衣の男 ──ふむ、店に車が突っ込んで爆発炎上、か……。その程度で商店街の天井が崩れたりするものかな── |
内ポケットから懐中時計のような物を取り出し見やる。
何度目かの確認作業だ。
不思議な幾何学模様の文字盤に秒針の無い針が2本、右に左に不規則に動いていた。
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黒衣の男 ──プネウマエレメント曲線、エローション値、共に安定せず。随分と異常な値だことだ。となれば、この辺りが中心のようだが……さて── |
ハンティング帽子のつばを手で軽くつまんで押さえながら、天井を見上げる。
崩落した商店街の天井は鉄骨がむき出しになり、もうもうと立ち上る煙で濁り、燃え盛る火災の照り返しで赤々と色づいている。
落ちたコンクリートや鉄板が地面に刺ささり、ガラスが周囲に無残なオブジェを広げていた。
車にひかれ、コンクリート片に潰され、ガラスが突き刺さり、様々な原因で物言わぬ肉となった人々が点在している。
さながら地獄の入り口のようだ。
この平和な国にあって、これだけ死体が散乱するというのは非常に珍しいことだ。
震災や大規模な事故でも無い限り、あらゆるものが安全に、注意深く作られている国で、たかが車の一台の事故でここまで酷く荒れるものではない。
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黒衣の男 「おや……」 |
そこに居るはずの何かを注意深く探していると、まだ息がある人を見つけた。
少し浅いが呼吸はしっかりしている。
まだ少年と言ってよい見た目だ。体格からすると15,16あたりか。
恐らくは高校生であろう。服装は高校生が好むブランドやデザインだ。
さしずめ、休日に遊んでいるところに巻き込まれたと言ったところか。
バーガーショップで食事でもしていたのだろうなと当りをつける。
面倒だが救助しない訳にもいかないかと、やるべきことを一旦脇に置いてため息をつく。
全員、死んでいると思ったのだが、思わぬ強運の持ち主も居たものだ。
まぁ適当に救急隊員を探して声をかけ、そのまま任せればよいか。と、そこまで考えて気づく。
少年の右腕、左足が千切れて無い。
瓦礫と血だまりで良くわからなかったが、良くこれで生きているものだ。
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黒衣の男 「これは──」 |
屈んで傷口を見る。
不思議なことに傷口は塞がっていた。
そこにガラス質なかさぶたを作って。
ガラス質なかさぶたの上を、時折り血管のように光が走る。
顔を近づけて見る。それこそ息が触れそうなほど近く。注意深く見る。
血管を塞ぐだけでなく、ガラス質な蓋は、動脈から静脈へと血管をバイパスしているように見える。左足も同じだ。
破けた服から胸元が覗いている。明らかに致命傷と思われる大きな裂傷が、心臓から腹にかけてあった。しかしそこにもガラス質なかさぶたが出来ており、これは今にも塞がろうとしている。
少しずつ、蠢きながら、出血を止めようとしている。
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黒衣の男 「面白い。実に面白い──」 |
しかし、このままではいいところ実験動物扱いだろう。
異能とは違う、異常がここにはある。
目の前にある異常は偶然か、必然か。
視界の端にゆらりと動く黒い影が映った。
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黒衣の男 「ほぅ、呑気に食事中だったか」 |
40メートル程度先、人間の腕だったものに貪りつくように噛り付いている異様な影。いや、黒い皮を着た化け物。
俗に悪魔と言われる個体だ。
トカゲのような顔に不釣り合いな牙、2対の翼を生やした黒い悪魔がそこに居た。
赤い血で濡らした口元を拭こうともせず顔を上げると、こちらを睨みつけてくる。
どうやら知能はある程度あるようだ。
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黒衣の男 「何故見えているのか、そんな顔だね」 |
懐から円柱を取り出しゆっくり地面に置く。簡易的な結界だ。
突然悪魔が飛び掛かってくる。
鋭く長い爪を急に生やし、叩きつけるように乱雑に振るう。と、男に触れる前に縫い留められたように空中に留まった。
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黒衣の男 「随分と格が低いね。いや、劣化しているのか?」 |
内臓は未発達か、と嘆息をする。
それなりに食事をした様子だったが、顕現して時間が短いのだろう。羽は所々破れているし、見るからに痩せている。
具現化し、事象に固定されるまではしばらくかかるはずだった。
足元の少年を見やる。失われた腕が何処に行ったのかは、簡単に想像がついた。
さぞかし美味しい食事だったろう。
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黒衣の男 「なんにせよ、出直してくるといい」 |
胸ポケットのペンを投げつける。
触れた部分が焼けただれるように赤熱し、悲鳴を上げて悪魔は飛び立った。
奇声を上げ、恨めしそうに空中でこちらを一睨みしてから逃げていく。
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黒衣の男 「メインディッシュは後に取っておく派なのだろうね。ふふ、気が合いそうだ」 |
足元で倒れる片手、片足の少年を担ぎ上げると、トボトボと歩き出す。
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黒衣の男 「さて、口が堅くて秘密を守れる医者と言えば、まぁ彼だろうなぁ」 |
頬についた傷も、手足と同様にガラス質な瘡蓋で塞がっている。
炎に照らされて奇妙な生命力を感じさせる、おぞましい瘡蓋だ。
そんな少年の横顔を見ながら、思わず言葉がこぼれる。
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黒衣の男 「きっと、多少はましなモルモットになれるさ……」 |
そう呟くと男は、口を歪ませ、人の気配の無い暗がりの奥へと消えていった。