第一話 非日常の扉
雑踏な往来をポケットに手を突っ込み、首をすぼめて足早に歩く。
防寒具で全身を固めているとはいえ、クリスマス前のこの時期、吹き付ける風は冷たかった。
アスファルトを鳴らす幾つものタイヤの音や、遠くで聞こえる線路の音が何度も繰り返した日常を知らせるが、その音は何処か楽しげだ。
何処で遊ぶか話し合っている女子高生の声が耳に届けば、ショッピングの最中なのか、嬉しそうに親の手を引く少女の様子が目に映つる。
学校の行き帰りに何度も通った道だが、年末のこの時期は様相をがらりと変える。
商戦期の特売を告げるのぼりや、派手なネ¥オンのパチンコ屋、クリスマス需要を狙った服飾店、いたる所で飾り付けがされ、非日常を演出していた。
同時に、絵本の品揃えが多い小さな本屋や、いつみても人であふれている著名なコーヒー喫茶、それらの変わらぬ姿に何処かほっとした。
商店街で一際目を引く大きい建物はイバモールウラド。隣接地区のツクナミ区に高校や大学が林立しており、電車通学する学生は大抵この前を通る。周辺は学生のちょっとした遊び場になっており、おしゃれな喫茶店や雑貨店が立ち並んでいた。
なんともなしに、そんな浮き立つ商店街を見ながら歩を進めていると、小さな溜息が漏れた。彼女いない歴が年齢の自分には、クリスマスの空気はただ騒々しいだけで、とても華やいだ気分にはならないようだと、溜息と同時に苦笑いを浮かべる。
どうせ今年も悪友達とイバモールで自棄食いが決定だろう。それともラーメン大会だろうか。そうだとしたらチャーシューの美味しいお店を探そうと決意する。
どうでもいい決意だが。
口の中はラーメンを求めていたが、残念ながら近くにそんな店は無い。休日の昼時、空いた小腹に任せて行きつけのハンバーガーショップへと足を進めると、ふいに視界の端に見慣れぬ白い服を着た男が映った。
違和感を覚えて目を向ける。
この辺りで白衣を着た人を見るのは初めてだった。もっとも、珍しくはあるが不思議ではない。
ツクナミ区の中心には研究所が乱立する区画があるので、そこの研究職なのだろう。
袖や裾に薄いシミが見て取れるほどの古ぼけた白衣を着た科学者風の男だ。
サングラスに黒いハイネックのセーター、黒いスラックス、その上に白衣を羽織っている。
会社の休憩時間にそのまま出てきたのだろうか。すれ違いざまに興味にそそられて横顔を見上げてしまったのは、仕方のないことだと思う。
サングラスの脇から見える素顔に、あっと声をあげたのは、お互いの視線が合っていることに気づいたせいか。それともその瞳が見たこともないような緑がかった黄色をしていたせいか。
軽く頭を下げて挨拶をする。とりあず、困ったら挨拶だ。
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白衣の男 「丁度いい……」 |
足を止めた男が、白衣の内ポケットへと手を伸ばし、取り出した小さな箱を差し出してくる。
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ユウ 「あ、あの、えっと」 |
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白衣の男 「君にあげよう」 |
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ユウ 「えっ、いや、俺ですか?」 |
知らない人から物をもらってはいけない。いや、あれはついて行ってはいけない、ということだったか、それとも両方だっただろうか。
掌に乗る程度の小箱を差し出した男は、少し屈みながら戸惑うこちらの手を取って押し付けてくる。
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白衣の男 「ちょっとしたおもちゃだよ。娘に与えようと思って買ったのだが、同じものを既に持っていたようでね。無駄になってしまったのだよ」 |
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ユウ 「えっと、いいんですか?」 |
手の中の箱を見つめる。高級そうな外張りの箱を綺麗な青いリボンで結んでラッピングしてある。指輪でも入っていそうだ。
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白衣の男 「たいして高いものでもないさ。不要なら誰か友達にでもあげるといい。友情が深まること間違いなしさ」 |
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ユウ 「あー、はは。ありがとうございます」 |
もらえる物は貰っておく主義だ。
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白衣の男 「礼には及ばんよ。ただの気まぐれさ。持て余していたおもちゃを捨てるのが忍びなかった。ただそれだけの事さ。せっかくだし中身は秘密にしておこう。後で開けるといい」 |
そう言うと白衣の男は何事も無かったかのように、そのまま駅方面へと歩いて行った。
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ユウ 「おじさん、ありがとう!」 |
背中から声をかけると、白衣の男は片手を挙げてそのまま雑踏の中に消えていった。
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ユウ 「中身、何だろう?」 |
豪勢にラッピングされた箱をその場で開けようかと青いリボンに触れるも、盛大に鳴った腹の音に、当初の目的を優先することにしたのだった。
どうせなら座ってゆっくり開ければいい。そう思いながらバーガーショップの入り口をくぐった。
照り焼きバーガーは正義。チーズバーガーは王道にて究極。異論は認める。だがゆずらない。
ジャケットの内ポケットに財布をしまい、コーラとハンバーガーの乗ったお盆を片手に窓際の席に座ると、とりあえずチーズバーガーの包装紙を開ける。照り焼きバーガーは後のお楽しみだ。
一口かぶりつく。安っぽい味だ。だがそれがいい。
口いっぱいに広がる満足感に思わず一息。そしてコーラを一口。
喉元を過ぎる爽快感に、腹を満たす満腹感。思考が覚醒する。
これぞ学生の休日だな。
もらった小箱を取り出した。
青いリボンを解き、ゆっくりと箱を開ける。
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ユウ 「そろそろクリスマスだし、なんだかサンタクロースにプレゼント貰った気分だな」 |
降って沸いたプレゼントに、中身は何かと心が浮き立つ。
娘さん宛てだと言っていたが、まさか女の子もののおもちゃではないだろう。まぁ、それはそれでネタになるのだが。
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ユウ 「さて、何が入ってるかな?」 |
小箱を開ける。
最初それは透明なガラスに見えた。美しくカットされた円形の宝石とでも言おうか。
よく見れば中心に赤い宝石が見える。アクアリウムのように赤い宝石がガラス細工の中を動いていた。
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ユウ 「ガラス細工のアクアリウムかな」 |
じっくり目を凝らしてみてみると、ふいにガラスの中に光が走った。
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ユウ 「おっ」 |
ガラス全体に走った光は何本もの線となり、脈打つように動いて図形を作り、やがて不思議な幾何学模様を描き出す。
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ユウ 「綺麗だなぁ。仕組みが全く分からないけど」 |
何種類もの幾何学模様を作り出すガラス細工を見ながら、大きな口でチーズバーガーにかぶりつく。
これは良いものをもらった。白衣のサンタさんありがとう、と心の中で再びお礼を言いながらコートのポケットを探る。
せっかくなのでスマートフォンで写真を撮ってSNSに投稿しよう。どう考えても投稿せざるを得ない案件だな。しまった、開封シーンを動画に取っておくべきだったと後悔する。
そう思いながら何枚か写真を撮って、ホクホク顔で手の中のプレゼントを見る。
その時だった。
突然けたたましいクラクションの音と、何かが激突、破壊される音が鳴り響いた。
思わず視線を上げ、ガラス窓越しに外を見る。
そこに、悪夢を見た。
繁華街の人通りの多い道を赤い車が歩行者を跳ねながら暴走し、今にもハンバーガーショップに突っ込んでくる所だった。
誰のものとも分からぬ赤い血の跡が街路樹やガードレールを染め、一目でわかる地獄がそこにあった。
速度を緩めることのない車が眼前へと迫ってくる。
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ユウ 「嘘だろっ、こっちに来るのかっ」 |
その場から立ち上がりながら条件反射でスマホをズボンに押し込み、ガラス細工をジャケットの内ポケットに放り込みながら、席から転げ落ちるように逃げ出した。
わずかに遅れて、車が激突する轟音が鳴り響き、衝撃が背中から腹へと突き抜ける。
盛大に割れた窓ガラスが雨のように降り注いだ。
ガラスとコンクリート片があらゆる物にぶつかり、破砕音と悲鳴が店内を蹂躙する。
赤い車の運転席に、吐血しながら白目を剥いた男の姿が見えた。
車が赤いのは血に染まってるからだと気づいたのは、全ての音が聞こえなくなり、コマ送りのように流れる景色を他人事のように見つめながらだった。
遅れて跳ねられたのだと自覚する。
天井が迫り、直ぐに反転して床が迫ってくる。
そして再び訪れる衝撃。
意識が暗転する。
無音となった世界に少しずつ、騒めくように音が戻ってくる。
全身を走る痛み以上に、右腕のだるさと悪寒が気になった。
チカチカする視界と鋭い痛みに表情をゆがめながら、ゆっくりと目を開く。
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ユウ 「なん……なんだよ……何か俺、悪いことでもしたかよ……」 |
大きな裂傷の生じた肩から真っ赤な血が滴り、腕はあらぬ方向へ曲がっている。
ゆっくりと動かす。
感覚がマヒしているのか、痛みはほとんど感じない。
恐怖で涙がこぼれた。
直ぐに治療をしないといけない、このままでは命に係わる。恐怖を原動力に変え、痛む体を起こし、周囲を伺う。
恐らくは車のエンジンであろう、車内の後部から小さな爆発音が響き、肌を衝撃が打つ。
どう考えても危ない状況だ。
視界の端に車から漏れ出したガソリンらしき液体と、破砕されて倒れたクリスマスキャンドルが映った。
残念なことに、クリスマスキャンドルにはまだ火が付いている。
逃げないと。
とにかく遠くへ、遮蔽物の先に、逃げないと。
力の入らない左足を引きずるように前に動かしながら、その場を後にする。
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ユウ 「死にたくない……ちくしょうっ!」 |
散乱したガラスで手を切り血が滲むが、そんなことはおかまいなしに逃げる。
小さな女の子、女子高生、仕事帰りのサラリーマン、お店のスタッフ、多くの人が悲鳴を上げて我先にと逃げ出す中、動けず倒れている人が目に映る。
なんであんなに幼い子がこんな悪夢の中に居るのか。
あそこで倒れている女子高生はなんで意識が無いのか。
背広のおっさんはなんで頭から血を流して倒れているのか。
背後から迫る死の気配が足を前に進めさせる。
手を差し伸べれば、もしかしたら救えるかもしれない命を置いて。
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ユウ 「無理だ……逃げるんだ……」 |
うわごとのように、それでいて早口に、自分に言い聞かせるように呟く。
その自分の呟きに、ふと足を止めた。
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ユウ 「……本当に、無理か?」 |
直ぐ近くに母親に抱かれた幼子の姿が映る。3歳くらいだろうか。女の子だ。恐怖に涙を流して泣き叫んでいる。
母親は額と腹部から血を流し意識無く倒れていた。しかし息はしているようだ。
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ユウ 「違う。違うだろっ!」 |
幼子を見捨てるような、そんな男には死んだってならない。
不思議と、その判断は一瞬だった。
痛みを無視して童女に手を伸ばし、持ち上げると、肩に抱く。
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ユウ 「おもいっきり掴め! 腕も、足も、全部使ってしがみつけ!」 |
恫喝するように言われたのが怖かったのか、童女は必死に首にしがみついた。
子供服を噛んで固定すると、開いた手で母親の首裏を掴んで引きずるように進む。
幸いこのバーガーショップはバリアフリーだ。引きずってでも連れていける。
親が無くては子は育たない。
どうせ助けるなら、可能な限り全部だ。
二人の重さに負傷した足と肩が悲鳴を上げるが無視をする。店を出るのにどうせ1分もかからない。
二度と歩けなくてもいいから、今は動けと激痛に悲鳴を上げる己が足を叱咤する。
全員救いたいけど、許してほしい。
背広のおっさん、ギャルっぽい女子高生、きっと同じ高校だろう男子高校生。
恨んでくれていい。
バーガーショップの外へと足を踏み出し、助かったと、もっと距離を取ろうと思ったその時だった。
背中を爆音と炎が舐め、衝撃が腹の底から体を貫いていく。
訪れる浮遊感。
離れていく小さな手。一瞬目に映る吹き飛ばされる母親の姿。
爆風で体が吹き飛びアスファルトの上を転がり滑る。
視界が何度も回転し、赤く染まる。何度も頭を打っていやな音が体の中で響いた。
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ユウ 「う……くっ」 |
激しく燃えるバーガーショップを視界の端に、再び意識は暗転した。
第2話へ続く