狭間の刻が来る
『でも。 もうそれは、要らないの。もっと大切なことがあるから。』
ハザマに来て、ひとつのメッセージが送られてきた。
送り主は八矢清という女性――画材店をよく利用していた客の1人だ。
彼女は絵を描こうとしていた。絵を描くのは楽しかった、とも。だけど。
ハザマで伝えられたことは、それはもう"要らない"ということ。もっと大事なことがあるということ。
……侵略者だということ。
……侵略を目的とする者にとっては、イバラシティでの出来事はどれも"要らないこと"なのだろうか。
『"鳥のような姿形の化物"に気を付けてください…もし遭ってしまったら……――』
ハザマに来てから連絡を取り合っていた相手。
彼は画材店の客でもあり、また自分も彼の営んでいる喫茶店へ足を運ぶことがあった。
信頼は出来る人だ。
彼はハザマでも変わらず情報のやり取りに加え、ある意味喫茶店のマスターらしいとも言える、少しのアドバイスなども貰っていた。
……だが、何度かのやり取りの後。突然、敵のことを警告するメッセージが送られてきた。
何者かに襲われたのではないだろか。不安ではあるが、今は返事を待つしか手立てはない。
……"鳥のような姿形の化け物"と言えるような者には、まだ出会っていないが……
『希望を忘れないで』
そのものが使った能力に、覚えがあった。
あのからくりが、あの人から最後に問いかけられた言葉。
届いているかも分からない言葉を零す。それは問いへの返答か、自分へ言い聞かせた言葉か。
……自分は希望を信じることができるのだろうか。
からくりの動きは止まっていた。場を後にする中、音楽が微かに聞こえていた。
――そして、今。
僕の目の前には、ノイがいる。
このハザマに来てから、ずっと探していた友達が。
――最初は画材店の客の1人だった。
ある日、絵を描きに忍び込んだ廃墟の中で、偶然に再会をしたんだ。
少し話が合うかもな、って思った。絵を見せたり教えたりするのも、少しは楽しかった。
……少し、家でのことが心配だった。親との関係が良くなさそうだったから……
少しだけ、共感のようなものを感じてたのかも。
それからも何度か廃墟へ絵を描きに行き、その度にノイと会って、話した。店や学校で会ったこともある。
……幼い印象のあった彼女を1人にするのにちょっと心配があったのもあるけど……
けど、そうして一緒に話したりしてる間は楽しくて。
……友達、と言っていいのかは、まだ分からなかった。
――ある時、ノイが画材店でバイトを始めた。
……今思えば、ここ以外に知っている店も少なかったのかもしれないけれど……
それでも、ここを選んでくれたのも、一緒に働けるっていうのもちょっと嬉しいことだったし。
それに、――その時はノイの家のことを多くは分かってなかったのだけれど――ただ、彼女にはきっと、頼れる場所、逃げられる場所、そういうものは必要なんじゃないかって。自分はそう考えていたんだ。
自分がそういう場所を得たように。
友達になれたらいいな。そう思っていたのはお互い一緒だったみたいで。
……僕と友達になれたことを、ノイは僕以上に喜んでいるようだった。
今回だけじゃない、今までも。約束をするたびに彼女は喜びと安堵の顔を見せていて。
自分はそこまで喜ばれるような人間だろうか、でも、そう思ってもらえるのも、やっぱり嬉しかった。
…君の助けになりたかった。かつての自分がそれで救われたように。
苦しんでいる君の、力になりたいと思った。
1人は寂しいと言う君に、側にいてあげたいと思った。
泣いていた君を受け止めた時、そう思ったんだ。
……好きなものは何だろう。喜んでもらえるだろうか。
ただお返しを選ぶだけなのに、不思議なくらいにどきどきとしていて。
きっと友達だから。自分は友達が少ないから。そう思っていたんだけど。
日々を過ごしていくうちに、自分にとっての彼女の存在が大きいものになっていく。
かつて泣いていた、本当は自分は終わっていたはずだったと悲観を零した君が。
生きててよかった、幸せだと。……それは自分のおかげなのだと。
なによりも満たされる言葉だった。
“君と会えて良かった”って、そう思えるんだ。
自分より小さくて、どこか危なっかしく感じられて。
不安を1人で抱え込んでしまっていた、そういうところが心配で。
すぐ泣くところも、すぐ笑うところも。
すぐに感情が顔に出る、そんな君と一緒にいるのは楽しかった。
気づけば、君のことを考えている。君と一緒にいるのが日常になっていたんだ。
君と話すのも、どこかへ行って遊んだり、同じものを見たりして、
いつも隣で楽しそうにしてくれていたから。いつも隣で嬉しそうにしてくれていたから。
自分も一緒に楽しくなれたんだ。この気持ちは、君が隣にいてくれるから。
一緒にいられて楽しかったんだ。
なのに
その日常が失われようとしている。
君と一緒に過ごした時間が失われようとしている。
今、目の前にいる君は、イバラシティでのような笑顔を向けてはくれない。
それでも、まだ僕のことを友達だと、好きだと言ってくれる君は、苦しそうな顔をしていて。
……この戦いが終われば、離れ離れ?
この戦いが終われば、彼女は、ひとり?
『嫌だ。』と強く思った。
『失いたくない。』と強く思った。
ああ、そうだ。この感情は。
これは、きっと"そう"なんだ。