~3月××日 イバラシティ~
3学期が終わり、創藍高校も春休みの期間に入った。
まとまった時間を得た僕はツクナミ区に足を運び、お世話になった施設を訪れて近況報告をする。
久しぶりに会った先生はあの時のまま、何も変わっていない。それほど空けてはいないけどその姿は懐かしい。
他愛もない談笑に花を咲かせていると、先生は言った。
周子ちゃんは、少し変わったね。と。
自覚は出来ないがそうなのだろうか。考える素振りを見せると先生は、
そういうところは変わってない。と、また笑った。
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周子 「……ありがとう、ございました。先生も、お元気で……」 |
去り際に深くお辞儀をして、施設を後にする。
きっと、良い方向に進めているのだろう。そんなことを思いながら帰り道を進む。
来年からは、僕も2年生だ。学年の垣根が薄い学校だけど、先輩として後輩の手本になれるようにしないといけない。
決意を新たにして来年度に思いを巡らせていれば、不意に不穏な雰囲気を感じ取って。
──……痛い、怖い、どうして。
……胸が締め付けられるように苦しくなる、いったい何が起こっているのだろう。
そんな思考を巡らせる暇もなく、次の瞬間には悲鳴が響いた。聞いたのは、僕一人だけ。
僕が、やらないと。心臓が、ばくばくと脈打つ。突き動かされるように嫌なものを追い、人気の少ない場所に入り込む。
そこには、鮮血に塗れながら地面に横たわる、自分と同じくらいの少女の姿があった。
右半身が抉られたように失われていて、何か尋常でないことが起こったのがすぐにわかった。
他には誰もいない。自然にこうなるとは考えられず、誰かの異能によって行われたのだと理解する。
目を背けたくなるような惨状に、自らの中にある何かがぐねぐねと蠢くのを知覚する。
怒りだろうか、悲しみだろうか、恐れだろうか。
いずれにせよ、ネガティブな感情にこの身を染められるのが嫌で努めて自分を制御する。
まだ危険な何かが残っているかもしれない。少し警戒しながらも、彼女の傍に駆け寄って少女の容態を見る。
まだ、可能性が残っているかもしれない。僕はそう思いたかったのだろう。しかしそれは、呆気なく裏切られる。
少女はもう、このままでは助かることはない。医学の知識がなくともわかる、誰の目から見ても明らかだった。
もしこの状況で、少女を助けられる可能性があるとすれば僕の異能──……一体化の能力しかない。
おこげの尻尾の時のように失った身体を僕の身体で補えば、きっと少女は助かる。
これほどの欠損を補うとなれば僕の意識は薄れて戻れないかもしれない、しかしそれは些細なことだ。
しかし、本当にそんなことをしてもいいのだろうか。倫理を覆すほどの異能は、今まで僕を迷わせるものだった。
だけど、いざその時になってみれば、不思議と迷いはなかった。
むしろ、僕はこの時のために生まれてきたのかもしれないとさえ思えて。
──異能を使い、少女に触れる。
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周子 「──これは……」 |
記憶が読めない。消されたのではと思えるほど、不自然に。
このままでは、命が助かったとしても不自由するのは間違いない。何とかしなくては。
いくつかの解決案を思い浮かべては消え、それを繰り返せば、ひとつの結論に達する。
──あの人なら、きっと。
厄介ごとを押し付けるようで後ろめたい。だけど、思いつくもので最良の選択は間違いなくこれだった。
解決案が決まれば、異能で僕を少女の身体とひとつにする。
──眠りに落ちるように、僕の意識がゆっくりと遠のいていく、はじめての感覚。
何度も繰り返したことだと思っていたけど、まだまだ知らないことがあるらしい。
微睡むような感覚と一緒に抱いた感想は霧のように消えた、僕の意識もそこで途絶えて──……
────────……
──────……
────……
──人影が、立ち上がる。
それはまるで夢遊病者のように虚ろな目のまま、ふらふらとウラド区の方角へと向かっていくのだった。
~××月××日 イバラシティ~
今日から日記を書くことにする。もしもまた、私が記憶を失ってしまったのなら、こういうものが役に立つだろうから。
さて最初の一頁目、書き出しは──
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シアン 「──男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。 ……なんて、ちょっとふざけすぎでしょうか?」 |
つい最近、授業で習ったのでさっそく使いたくなってしまう。
しかし、もしも記憶を失ってしまった私がこれを見たら、自分を平安時代の人間と勘違いしてしまうかもしれない。
……やっぱり、やめておこう。
ちょっと冗談を入れてみたいなって思うこともあるけど、もしもシェリルさんに見られたりすると恥ずかしいし……
あっ、そういえば。
もしも記憶を失ったときのためなら、自分と関係のある人のことも書いておかないと……日記と一緒に書いていこう。
今日は学校がお休みの日だったので、『めいど亭』の喫茶室のお手伝いをしました。
『めいど亭』というのは、私……阿万音詩杏(あまねしあん)が現在、居候させて貰ってるシェアマンションの事です。
管理人さんはシェリル・ウィステリアさん。記憶喪失の私を保護して、そのまま住まわせてくれている親切な方です。
『めいど亭』の名前の通り、シェリルさんは何でもやってしまうすごいメイドさんで……あ、メイドというのは炊事や洗濯のような家事を行う女性の使用人の事です。シェリルさんは特定の誰かに仕えているわけではないみたいですが。
……話が脇道に逸れてしまいました。
ともかく、私はここに住まわせて貰っている代わりに出来る範囲でシェリルさんのお手伝いをしています。
だけど、やっぱりお手伝いなのでシェリルさんには全然敵わなくて、その度にシェリルさんのすごさを実感します。
今日も、喫茶が終わった後にはシェリルさんとふたりでお茶会をしました。
私はこの時間が大好きで、シェリルさんのお菓子と紅茶を楽しみながらお話しする時間はとても大切なものです。
ところでシェリルさんはいつも、誰に対しても丁寧な物腰を崩さないのですが、私にはちょっとだけ意地悪だったりします。
意地悪と言っても嫌いだからではなくて親しみを持ってくれてるからなのですが、子ども扱いされてるみたいです。
それはちょっと悔しい?ので、いつかシェリルさんみたいにスマートな人になって、シェリルさんを驚かせたいです。
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シアン 「うん、最初はこんな感じかな? ……あ、私……「シェリルさん」って10回も書いちゃってる……」 |
あはは……と、ひとりで笑って。
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シアン 「……今度は学校の事も、書かないと」 |
そう独りごちると、開いた日記帳をゆっくりと閉じた。
~ハザマ時間 00:00~
──イバラシティのようで、イバラシティではない場所。
目の前には大きな時計台と、ひとりの男。
──「侵略」「アンジニティ」「ワールドスワップ」
先月、イバラシティで噂になった怪奇現象で語られた言葉。
悪戯だと騒ぐ声もたくさんあった。そして事実、何も起こってはいなかったのだ。しかし──
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周子 「……本当、だったんだ」 |
その現実に、どうしようもなく心が騒めく。
幸か不幸か、自分はアンジニティの住人ではなかったようだが。
もしも親しい仲の人間がアンジニティで、情に訴えかけてきたのなら……僕は、抵抗出来ないかもしれない。
──争わずにすむことは、出来ないのだろうか。
そんな考えが脳裏を過る。しかしながら、自分の直観がそれは不可能だろうと強く訴えかける。
情を殺して、為すべきことをなさなくてはならないのだと。
その為には誰が敵で、誰が味方なのかを見極めなければならない。
幸いなことか、この"ハザマ"と空間ではお互いに連絡を取り合えるようになっているようだ。
それを使えばイバラシティの住人か、アンジニティの住人かを見極めることが出来るはず。
けれども、まずは──
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「──」 |
──僕の心を不安にさせる色をした、何かの「ナレハテ」……アレを、退けなくては。
~???~
「此処ハ、何処?」
「私ハ……」