
「七色、ななしきー」
「? あ、玉坂先輩」
「久しぶりだな。今日は三限から?」
「うす。ってか、マジで久しぶりっスね先輩。やっぱ就活忙しいスか」
「いや、俺は院に行くから就活はなし。第四の院に行くことにしたからさ。そっちで忙しくて」
「えっ、院!? しかも第四って異能専門のとこじゃないスか、先輩いままで第二だったのに。……親御さんとか大丈夫でした?」
「めちゃくちゃ揉めた。結局家も出てさ。引っ越しもあって大変だった」
「うわー……」
「まあ大体終わったし、今は転入の準備の方が大変かな」
「そんなら良かったスけど。……あ、そういや先輩、第四行くってんなら異能のことも結構詳しくなってます?」
「勉強中だけど、前よりは。どうした?」
「……この前の変な幻覚? みたいなの? 見ました? 侵略とか何とか、アンジニティがどうとか」
「あー、あれか。うん、俺も見た」
「あれって何なのか、分かってることってあるんスかね。実家のかーちゃんがめっちゃ心配してて鬼電がすごいんですよ」
「うーん……悪い、俺のところでもさっぱりだな。いたずらじゃないかって言う奴もいるし」
「やっぱそういう感じスか。ありがとうございます……あ、すみません。次がそろそろ」
「ああ、引き止めてごめん。そのうち皆でまた飲みに行こう」
「奢ってくれます?」
「……ちょっとだけなら」
「よっしゃ。言質とりましたかんねー。んじゃまた!」
目を開ける。濁った空。荒れ果てた風景。見慣れたような、見慣れていないような。
妙な夢を見たな、とボルドールは笑う。あの世界の、自分ではない自分は、本当ならずっと年下であろうガキを「先輩」と呼んでいた。本当の自分が誰かをそんな風に呼んだのはいつのことだっただろう。もう随分前、あの明るく温かな、宝石のような海から逃げ出すよりもずっと前の……。
過去の記憶に浸りかけた自分を、ボルドールは意識して引き戻した。
あれは夢ではない。侵略とやらが成功すれば本物になる景色だ。しかし。
(乗ってやる気にはなれねえんだよな、俺は)
すっかり地面を這うことに慣れた八本の脚を動かしながら、ボルドールは考える。とりあえず、アンジニティで知り合った「話ができる方」の奴らを訪ねてみるとしよう。
(ふみと、ノーヴァル、あのあたりか。あいつらだったら、もしかしたら俺と似たようなことを考えてるかも知れん)
ずるり。ボルドールが這うたびに、その脚に入ったひび割れじみた模様から虹色の光が漏れる。
それを気にもとめず、蛸でも人でもない異形の生き物はハザマを歩み始めた。