「ぅ、……えほっ、げほ――、ぇ、お、おぐ…………っ」
腹と胸の境界くらいにある器官がぎくぎくと痙攣を繰り返し、食道を競り上がった融解物が口を滑り落ちる。
どろけた感触と不快な酸味が口腔内を支配して惨めな気持ちになると同時に、勿体無い、と頭の片隅で考える。
お百姓さんがた本当にごめんなさい。
「う、ぅー…………」
まあこんな便器にしがみついたみっともない状態で謝られても仕方ないんだろうし届きやしないのだとは分かっているが。
胃は相変わらず可愛げなく胸の中を跳ね回って気持ちが悪い。とはいえもともとおにぎり一個くらいしか食べてなかったからこれ以上戻すものもないというのは不幸中の幸いというか。
でもまあ、本当に、気持ちが悪い。
「……なんなんだよぅ本当に……」
気持ちが悪いっていうのは今のエリカの気分の話でもあり、それ以上にあの、なんていうか。
「アオサマンって、あんな姿になるのってどういう異能なんだろう……」
この前の嗜虐趣味持ちの大変趣味の悪い客の話でもあり。
悪いことにそこそこにお得意様なのだ。
金払いはやたらいい。仕事が出来るサラリーマンって感じなんだろう、アオサだけど。どこに勤めてるか知らないし知ったらできればその会社には関わりたくはないけど。
で、拘束時間もまあ比較的短い。一晩中とかそういうこともないし、なんていうかまぁ、しつこく、もない気がする。比較的。こればっかりは比較的って感じになるけど。なんかあんまり考えたくないし。
問題はその内容が。
「うー……お腹気持ち悪い……」
――本来。
エリカが仕事、というかパパ活、言ってしまえば援交、に使っている魔法少女の身体というものは、普段のエリカの身体とは全く別物なのだ。
この身体でどれだけ怪我をしても魔法少女の身体には影響しない。
魔法少女の身体は普通の生身よりも多少丈夫に出来ており、例え怪我をしたとしても時間の経過で勝手に治るし、多分病気もしない。腕力がアップしたりするようなことはないし痛みは痛みとして変わらずエリカの精神を苛むが。
だから、つまりは、魔法少女の身体をどれほど痛めつけられても、こうして生身のエリカが苦しむことは有り得ない筈なのだ。
筈なのだが。
例のアオサ男の好む”プレイ”の後、エリカは決まって嘔吐感に苛まれる羽目になる。
恐らく精神面への寄与によるものなのだろう。
徹底した腹部への打撃。それが奴の好むプレイであり、やたら整ったフォームから繰り出される強烈な一撃、どころでなく重ねて追い打ち、連打の繰り返し、は通常の女が耐えられるものでは到底ない。異能で魔法少女と化したエリカだからこそ耐えられるプレイであり、だからあのアオサ男もエリカを奇妙に気に入って快く金を弾むのだろう。
が、通常の女子高生――ダブってるけど――のエリカの精神はその責め苦に耐えられず、こうして毎度吐き気を催す結果に陥っている。
「……ほんと、最悪……」
金払いはいい。金払いはいいけど性格と嗜好が最悪。あと見た目も。そんな感じ。
何よりもそんな男に諂いながら諾々とそれを許し金を受け取ってしまっている自分が一番憂鬱で、卑屈で、最悪だった。
■
「……気持ち悪い……」
「大丈夫ですか」
「まあ大丈夫だけど……」
大丈夫だけど、どうかと思う。
恒例の大きなため息をひとつ。折れていた膝を伸ばして立ち上がって、もう一度、ため息。
「……やっぱ向いてねえと思うんだよな」
「人間にですか」
「何が?」
マジで何が。
「フレッドは早く人間の振りを諦めた方がいいことに気付いたのかと」
「いや俺は人間だしお前はもっと人間の振りを頑張ってくれ」
「頑張っていますよ。やっています。こうして。完璧です」
白々と胸を張る仕草などは確かに多少は人間味というものを学びつつあるのではないかと思わなくはなくもなくはないが。
「…………腹減ったな……」
魔法少女の身体となっていてもエリカの精神は変わらずエリカのもので。
そのエリカの記憶と経験はそのままフレッドが引き継ぐもので。
ああして殴打を受けた経験を当然フレッドのものにもなるのだが、しかし。
フレッドは耐えられるが、フレッドの中に耐えられない少女の記憶が残る、というのは酷く気が塞ぐ。精神性の差が歴然だ。
だから、向いていない、と思った。傷を受けるのも。苛まれるのも、苦しめられるのも。
勿論そんなことに向いている人間がいるはずがないのだが。
それを、
「…………はあ……」
忠告できたら話が早いのだが、勿論そんなことは不可能で。
ただ件のアオサマンとやらへの嫌悪ばかりを共有して気を塞がせているのは、どうしようもなく不毛で下らないことだった。